はじめましてロム3様
私はロム3さんが考えるような「左派」とはいくぶん違うと思いますが、特殊な「左派」の言いぶんとしてお聞きください。
まず、「指導部の交代など実現可能でしょうか。たぶん解党してしまうと思います」とのことですが、そうするとロム3さんは、「党が民主化したら解党する」と考えていることになります。また、ロム3さんは、このまま「右傾化」「現実主義」が党のすみずみにまでゆきわたればよいという考えのようにみえ、同時に「党を変化させて行こうと」いうことで民主化を望んでいるようにもみえ、解党を望んでいるのではなさそうです。
以上まとめると、ロム3さんの立場は、(1)現在の指導部独裁体制は当面維持あるいは徐々に民主化、(2)政治路線は、さらに「右傾化」「現実主義」になればよい、ということですね。
ロム3さんの立場をこのように理解したうえで、この最初の質問にお答えします。
私は、党が民主化すれば指導部の交代はありうると思います。ただし、現状では、民主化する可能性自体がほとんどありませんから、指導部の交代の可能性もほとんどないでしょうし、指導部が交代したとしても、それは「左派」ではなく「右派」が新指導部となるでしょうというのが私の考えです。
第二に、「どういう制度でしょうか。規約の改正でしょうか」とのことですが、それは、「路線論争と多数派形成という過程」が正当な党員の権利として認められることです。規約の改正が必要なものもあるでしょうし、必要でないものもあるでしょう。
第三に
「左派とか、右派の定義はどうなっているのでしょうか? レーニン主義者が左派かなと思ってしまいます。 下部組織においては、指導部よりの人が左派、反指導部の人が右派というように感じます。左派、右派の定義をはっきりさせてくれませんか?」
とのことですが、「指導部よりの人が左派、反指導部の人が右派」という感覚には正直なところ驚かざるをえません。現在の指導部が「右派」であること、反指導部といっても「右派」と「左派」両方あることは、少なくとも「さざ波」では、自明かつ共通認識だと考えていました。
それはさておき、この質問に対する答えですが、「右派」「左派」という用語について、私はこれを党内における相対的な位置を表す言葉として用いています。それには言外の含意はありません。
私が「右派」だとみなしている指導部を「左派」だと言うロム3さんは、私からみれば「最右派」ということになりそうです。
第四に、「左派の主張というものを披瀝してもらえませんか?私の感覚では、教条主義者が左派、現実主義者が右派と考えています。」とのことですが、ここにも大きな隔たりがあるようです。あなたの感覚的な「左派」「右派」の分類は、相当恣意的なものとならざるをえないと思われます。
ロム3さんにとって「教条主義でない左派」や「現実主義の左派」、「現実主義でない右派」や「教条主義の右派」は存在しないのでしょうか?
私の疑問はさておき、ご質問の「左派の主張を披瀝してもらえませんか?」についてですが、自称「左派」にもさまざまな色合いがありますので、お答えできるのはあくまで私の立場ということになります。
ただ一般的には、「左派」「右派」の分岐点は、日本の変革のために革命が必要だとするか否かにあると言ってもいいかもしれません。
私の立場は、一言でいえば、あくまで労働者の境遇の改善・地位向上をめざす「現実主義」の立場ですが、それにはいかなる条件もつけません。たとえば、「資本主義の枠」なるものは設けません。
また日本は、先進諸国の中でも相対的に労働者の力が弱い国に分類されますので、劇的な力関係の変化、つまり革命的激動でもなければ、「労働者の境遇の改善・地位向上」はありえないと考えています。
そういう「現実主義」の「左派」ですから、おそらく当面めざすところは「右派」の人とあまり変わるところはないと思いますし、現状では、「右派」と協同して左翼全体の底上げを図ることが「左派」の任務だと考えています。
第五に、今度はロム3さんの投稿に違和感を感じた部分について私から質問を投げ返したいと思います。
「私の知っているほとんどの党員が党内民主主義などと言うことは問題にしていません。党の主張を主張することが個人の使命だと思っています。
左派とか、右派とかの前に自分の主張を持っていない人が大部分だと思います。党の主張が彼らの主張そのものです。党の主張が変われば彼らの主張もコロリと変わります。ただし、現実主義に変わる場合であって、教条主義にはもどらないだろうと思います。」
ロム3さんが知っているタイプの党員がたくさんいることは事実ですが、そればかりではありません。少なくとも、「さざ波」をこれまで読まれてきたのであれば、異なるタイプの党員がいることがわかったはずです。なぜそれを見よう、理解しようとしなかったのでしょうか?
また、ロム3さんは投稿で「党の主張を主張することが個人の使命」という具合に、明確に意識して「指導部の主張」を「党の主張」として述べています。ここにあなたの思想の本質をみないわけにはいきません。
ロム3さんが、「指導部」=「党」だと考えているという事実は、残念ながら、あなた自身が否定されている「教条主義」に自ら陥っていることを表すものです。なぜなら、「指導部」=「党」という考え方は、スターリン以後の(各国)共産党指導者によって「レーニン主義」として流布された「教条」に他ならないからです。それこそが、指導者独裁ないし指導部寡頭制を維持し再生産する「教条」なのです。
「右派」が「左派」を「教条主義」と呼び、「左派」が「右派」を「反動」「反革命」と呼ぶ。罵りあう両者は、どちらも同じこのドグマ(教条)に陥っていることを知るべきです。共産党においては、一つの潮流だけが絶対的な支配力をもつべきだと考えているからこそ、他の潮流を切り捨て排除しようとするわけです。
現在の指導部は、今後も徐々に「右傾化」「現実主義」へと進むでしょう。それは政治的には「右派」の皆さんが望む方向かもしれません。
党を民主化させると「左派」が邪魔になる。指導部が「左派」を排除してくれるなら、それにまかせた方が得策だと「右派」の皆さんは考えるかもしれません。あるいは、指導部が「右傾化」「現実主義」を徐々に進めるように、党の民主化も徐々に進めてくれるだろうという淡い期待を持っているのかもしれません。
しかしそれは錯覚です。
支配者が自らすすんで支配(の武器)を放棄するわけなどないことは歴史が証明しています。「左派」が排除されることによって、党の民主化を望む勢力がますます弱くなることを理解すべきです。「左派」が完全に排除されたときとは、党が崩壊するときでしょう。「右派」も「左派」も共存する状態こそ、正常な状態なのです。
最後に、あなたの考えを披露された残りの部分のうち、「いづれ党は、右傾化、資本主義容認になるでしょう」という見解については、私も同意していること申し上げておきます。すでに、 99%は達成されているよう ですがね。