2004年10月のこと、「組織論・運動論」欄にて樹々の緑 さんと北朝鮮問題の議論の途中、複数の理由が重なって、一時 的にさざ波へのアクセスを控えねばならなくなりました。また 物理的にアクセスが叶わない期間もありました。その後約半年 前頃に一旦復帰して、議論の遅れを取り戻すべくROMしながら 、それまでの投稿を読み進める機会もありました。その時に、2004 年の年末から翌年1月19日にかけての樹々の緑さんによる一連 の力作も読ませていただきました。本来ならその時点で、お詫 び方々返信すべきでしたが、突然降って湧いた別の理由から、 今度は自主的にさざ波へのアクセスを控えてきました。
それは、共産党員として、具体的に、不遇な人々のために献 身的な活動を地道に重ねてきた大切な友人の突然の死がきっか けでした。その友人がなした事は、私のように党活動から逃亡 した意気地なしが、このような場で議論ばかりをしている事と 天と地ほどのひらきがあります。インターネットとほぼ無縁の 生活をしていた友人は、さざ波の存在さへ知らなかったのでは ないかと思います。この場に具体的に書けないのが残念ですが 、友人の半生を振り返り、自分が時間を割いてなすべきことは 他にあるのではないかと思ったのです。この場での議論に意味 がないと言いたいのではありません。これからも希望を持って 、この場に関わり続けたいと思っています。それには、少しば かりのリハビリの期間が必要です。
今の私は、人文学徒さんが党員用投稿欄で書かれた「エッセ ー、日本共産党の全体像をこんなふうに変えてみたい 2004/10/25 」の中にあるような緩やかな組織の中で、左の中くらいの位置 で、左の左からも左の右からも叩かれてふらふらしながら、な んとかやって行ければいいなと、そんなふうに夢想している次 第です。
追伸:
樹々の緑さんへの返信として、2004年10月下旬頃にほぼ投稿
直前の状態までまとめた文章が残っています。もしどうしても
とご希望なら、今となっては陳腐な文章を公表する恥を引き受
けたいと思います。
なお、樹々の緑さんが「某ブログだけでなく、早くここにも
復帰してほしいです」と書かれたこと、「某ブログ」というの
は、なにかの誤解だと思います。