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一般投稿欄

5/1  人文学徒さま

2006/05/06 ロム3

 文章を手軽く書くのが、苦手の人文学徒さまが、ご丁寧 なご返事を下さって感謝しています。

>まず、民主集中制ですがあなたが批判する「党の運用実態」 が実はこれの本質だということを言いたいんです。

 全く異議ありませんが、それは、民主集中制という組織原則 ではなく、あくまでも規約が悪いのだと思います。

>その最悪の特徴はあっけないくらい何気ない言葉になってる んです。「党内問題は外へ出さない」。党方針と違うものを所 属支部以外で語れば除名にできるという規則です。いわゆる大 衆はもちろん、他の支部所属の仲間一人とこれを語り合っても いけない。妻や夫でもね。集団で話し合えば即分派です。つま り政策グループなどはできっこなくて、中央見解に触れる話し 合いが全く育たない仕組なのね。ここから、中央見解、不破見 解の絶対性が保たれるわけ。新日和見主義事件も、原水協も、 民主主義文学事件も、ほとんどみんなこの「分派規定」でやら れている。「意見がちがうからではなく、組織規則を破ったか ら処分するのだよ」とね。諸個人はこんなことみんな踏み外し ている。しかし、中央意見に対するようなものがどこかで育っ たとき、必ず査問、処分がやられてきた。民青中央とか、原水 協役員や民主主義文学同盟役員である党員仲間とかね。こうい うことです。中央の絶対的権力の温床ね。

 要するに北朝鮮と同じということだと思います。こういう党 の革命が成功しなかったのは、日本国民にとって非常に幸せだ ったと思います。また、こういう党に政権を取らせなかった日 本国民は賢明だったと思います。私自身は、こういう党に半生 をささげてきたのだから、かなり阿呆な人間だったと思ってい ます。

>党の末端は一貫した活動が苦手で、うっかりついていくと( はしご段を外されてて)大変なことになる。だから要注意」と はまた、貴女本当に内情をよくご存知で。思わずくすっと笑っ てしまいましたよ。でもこの問題って、よく考えれば極めて重 要な誤りいっぱいの現象ですよね。「党の大衆運動の重点がく るっと変わる」、「以前の言動に責任を持たない」、「党支部 が大衆組織をよく引き回す」、「大衆の要求にも忠実でない」 などなど。(大衆という言葉は大嫌いですが、今は通じやすい ので使いました)

 私自身いつもはしごをはずされていましたから、骨身にしみ て現在は用心しています。何しろ党員は、逃げ足が速いですか ら。大衆の要求よりも、党の要求を優先していますから、下手 に党員に煽動されると重荷を一人で背負わせられることになり ます。
 今では、はじめから党員は、逃げていくものだと思って付き 合っています。

>こうやって、70年代までの日本人民の遺産を党がどんどん 食い潰してきたということですよね。

 主に不破氏の勝手さのせいだと私は思っています。

>最後に貴女流儀のマルクス主義、レーニン主義、弁証法的・ 史的唯物論のこと。今日はちょっと長く喋りますよ。
 共産党が言う「マルクス・レーニン主義」って、元は「弁証 法的唯物論」のことです。史的唯物論はその「人類史への適用 」とされてきました。ソ連、東ドイツの哲学教科書などが大元 です。こういう哲学教科書的「体系」はマルクスにはなく、レ ーニンからのものです。ですが、弁証法的唯物論と史的唯物論 との関係は意外と難問で、日本でも世界でもずっと問題提起が されていました。日本では終戦直後に「主体性論争」というの がありました。「共産党の哲学は人間不在の客観主義だ。人間 自身の問題を振り返ることがなく、歴史が自動的にこう動いて いくというのと、どこか違うかね」とね。
 そしてこの問題に世界で最も本格的に着手した党が60年代 の東ドイツでした。新しい論争から、新しい哲学教科書ができ たのです。そこでは弁証法的唯物論と史的唯物論とが対等に並 びはじめたかと思います。

 ここで、人文学徒さんと、私の見解は、真二つにわかれます 。
 弁証法的唯物論は、マルクスが編み出したものだと学びまし た。
 弁証法的唯物論を歴史の発展に応用したものが、史的唯物論 です。
 ですから、対等というよりは、同じものだと思います。
 資本主義が生産力増強システムとして、作用するのは、そこ に人間の欲望が介在するからだと思います。資本主義を認める からには人間の欲望もみとめることになるので、人間不在の学 問ではないと思います。
 レーニンの革命は、人間性を否定していたので、結果におい て消滅したのだと思います。同じく不破哲学も人間性を否定し たものだと思います。

>宮本はもちろん不破もその本の内容は理解できないはずです 。世界の唯物論哲学界の最先端の問題で、英国経験論とかカン トとかの素養はもちろんマルクスの生みの親ヘーゲルの素養す らもない二人に分かるとは僕は思えなかった。つまり、人間の 問題抜きで、史的唯物論を語る先述の客観主義ね。

 宮本氏や、不破氏が弁証法的唯物論を知らないはずはありま せん。
 ただ、支配欲にかられて支配しやすいように、党員の頭のな かから抜き去ってしまったのです。当時は、社会主義国が一定 の成果をあげていたので、それでもやってゆけれるとたかをく くったのでしょう。
 ただ、不破氏は、宮本氏と違って、信念のない人なので、そ れだけいじっぱりで、迎合的なところがあります。宮本氏に迎 合、国民に迎合、社会主義国に迎合、迎合主義人生の人ではな いかと思います。

>この欠陥が戦後の党の活動にずっと貫かれていたと僕は考え てきました。30年近く、ある世界を討論し、作り、実践する 立場で悩んできましたもの。僕の日記はそんなことばっかりで 埋め尽くされてきましたね。

 その点については、私も同じ苦しみを味わってきました。し かし、それは、自らの不明と反省するより仕方ありません。

>さて、こうして、あなたが言う宮本や不破の唯物論哲学なる ものは、もともとたいしたものじゃないんです。宮本はがりが りの弁証法的唯物論者、不破はあなたや原仙作さんが言う経文 読みでしょう。また、宮本路線が70年代まで好調に見えたの は、何も彼の力ではなく、戦後の日本・世界の諸特徴が彼らの 客観主義哲学に一時合致したに過ぎないのだと、今の僕は考え ています。もちろん明るい時代の希望溢れた党員の献身が第1 なのですが。ソ連、東欧、スターリン主義の実態はまだ隠され ていましたしね。
 ではまた。

 弁証法的唯物論は、間違ってはいません。宮本氏を弁証法的 唯物論者だと人文学徒さんが、認めるならば、宮本路線は間違 ってはいなかったと思います。しかし、なぜ、不破氏を後継者 にしたのかが、一番の問題だと思います。宮本氏もレーニン路 線や、スターリン路線にたぶらかされていたのだと私は思いま す。
 志位氏を不破氏の下にもぐりこませたのは、宮本氏のはから いだと思います。不破氏のおぼつかなさが宮本氏にもわかった からではないのでしょうか。
 宮本氏の引退は、どういう経過によるものかわかりませんが 、自分の方針の間違いに気がついて、隠遁生活にはいたのでは ないかと深読みしている私です。
 なにしろ、党内のことは一切秘密ですから、筆坂氏のことに ついても一切が秘密、被害者と称する女性の名前すら出てこな いのだから、被害者なんて本当にいたのかどうかもわかりませ ん。筆坂氏が市田書記局長よりも手際よく、書記局長代理をつ とめたことが、足を引っ張られる原因になったのでは、と思い ます。あの時テレビに出た市田書記局長の顔は、筆坂氏憎しが いっぱいににじみ出ていました。あっけらかんとした志位さん の顔とはいちじるしく対照的でした。
 筆坂氏もあの時点で身の潔白を主張するべきでした。国民の 負託を受けた議員としては、失格です。今回の本は読んでいま せんが、証文の出し遅れだと思います。
 筆坂氏も党幹部の官僚主義のぬるま湯につかっていた一人だ と思います。
 その反省がないと、再生はむつかしいのではと思います。