われわれは基本的に他党派のことには口をはさまないこ とにしている。
しかし、「通行人」なる人物が「さざ波通信」で述べている ことについては、何かを言わなければならないと思っている。 なぜなら、「通行人」氏はあれやこれやの党派のことではなく 、「左翼的党派」全体について語っているのであり、それには 当然われわれも含まれているからである。
そしてこの「通行人」氏が問題にしているのは、「左翼的党 派」全体が、インターネットでの自由な意見の表明を許してい ないということである。
つまり、ブログなり、インターネットの管理者が自分のサイ トに寄せられた投稿を勝手に削除しているという左翼系サイト の現状を持ち出して、「左翼的党派」全体が閉鎖的で治癒の見 込みがないと主張しているからである。
もちろんわれわれもホームページを持っており、インターネ ットの管理者として、労働者の利益に反する不真面目な投稿は 即座に削除するように努めている。
この点については「通行人」氏は「確かに掲示板にはいわゆ る『荒らし』もありましょう。」とこの世の中には悪意ある投 稿が存在することは認めており、そのような投稿の削除を容認 するかのようである。
ところがよく読んでみると「通行人」氏がわれわれに要求す るのは、もっと違ったことなのである。
「(筆坂)氏のいくつかの主張『国民のよりよき生活のため に活動する党であれ』『ソ連崩壊で、一般国民にとってもはや 共産主義は過去のものとなった。党名変更も必要と思う』など は、外部の者にも斬新で、党の内部で活動していながら党中央 には批判的な立場の人たちにも共感するところのあるものでは なかったでしょうか?
ところが、党中央を批判し、新しい共産党を目指すと称して いる一部の方々が、筆坂氏によってあぶり出された党中央-- 自己独善で、間違いを認めず、わずかな差異でもって批判する 者を排斥することに汲々としているような、そうした存在と似 た面があるのだから不思議なことです。」
筆坂某についても、日本共産党についても、われわれがどう のこうの述べる必要はないのだが、「通行人」氏は、「ソ連崩 壊で、共産主義は過去のものとなった」ということを認めるの か、認めないかということは「わずかな差異」であり、「左翼 党派」全体は、この「わずかな差異でもって批判する者を排斥 することに汲々としている」などとおっしゃるのである。
われわれのサイトにこのような書き込みがなされた場合、そ のような書き込みは即座に削除されるであろう。その理由は簡 単だ。共産主義、社会主義、もしくはマルクス主義が「過去の ものになった」と考える人とそのように考えない人は基本的に 異なる世界観をもっていると思うからである。
そしてわれわれ「左翼的党派」は筆坂某や「通行人」氏のよ うには思わないからこそ、現在もなおマルクス主義の普及に努 めているのである。そしてマルクス主義を人々の中に普及する ために開設されたサイトで「マルクス主義はもう終わった」な どという見解を何のコメントもつけずに掲載するとしたら、そ れこそサイト管理者の良識と責任が問われるのではないのだろ うか。
コメントをつけて反論するのが筋だろうが、われわれは日々 の労働や他の緊要な仕事も抱えているのである。だから、時間 の都合で、単に削除するだけの場合もある。
ましてや、繰り返し、繰り返し同じような中傷まがいの内容 の投稿は即座に削除されてしかるべきではないだろうか。
ところが「通行人」氏は、自分が正しいと思う見解、すなわ ち「マルクス主義が過去のものになった」という見解をわれわ れに押しつけようとしており、われわれがそのような見解を受 け入れがたいと見なしていることをもって、われわれ「左翼的 党派」全体に閉鎖的で、偏狭で、排外的であり、矯正、治癒の 見込みがないなどとレッテルを貼るのである。
「通行人」氏の見解は何か非常に違和感がある。自分だけが 正しくて、自分の見解を支持しないものは許しがたいのだとい う排外主義的で偏狭な態度を感じる。
ところで「通行人」氏よ。君はわれわれ矯正不能の者たちを どうしてくれるというだろうか。まだ決めかねているというの であれば、参考にブレヒトの詩を進呈しよう。
「 強制収容所に送られた闘士たちに
声をかよわせることもむずかしいきみたち!/きみたち、強制 収容所に埋設され/すべての人間の言葉から断絶され/虐待に ゆだねられ/笞(むち)にうちひしがれ、しかも/意志はひる がえされぬきみたち!/消し去られ、しかも/忘れられぬきみ たち!
きみたちについて聞きうるところは少ないが、聞けば/きみた ちは、矯正不能、だという。/どう教えてみても、プロレタリ ア問題はきみたちの頭から離れず/きみたちは、いまなおドイ ツには二種類の人間が/すなわち搾取する者とされる者がいて /階級闘争のみが都市また村落の人民大衆を/悲惨から解放さ れるのだ、という確信をゆるがさぬ。/棒で乱打され宙づりに されても、聞けばきみたちは/2かける2はいまは5/とはつ いに言わない/まこと、きみたちは/消し去られる、しかし/ 忘れられぬ。/笞(むち)にうちひしがれる、しかし/意志は ひるがえされぬ。/すべての矯正不能の者ら、たたかいつづけ る者らとともに/どうあろうとも真理を棄て去りはせぬ。/き みたちこそ、未来にわたって/真にドイツをみちびく。(19 33年)」