元共産党政策委員長の筆坂秀世氏が「日本共産党」という本を4月に出した。各地でずいぶんの売れ行きらしい。
この本をざっと読む限り、共産党の弱点を衝いた、右翼勢力の策動を私は感じる。というのも、筆坂氏が文言上は自分の責任を述べながら、共産党のみならず今日の対決点たる憲法改悪反対運動や平和運動に露骨な冷水を浴びせているから、また、共産党への批判も政策や路線上の問題を本質的に問うのでなく閉鎖体質や組織運営上の問題点をあげつらうことに意図的に留まっているからである。もちろん、昨年週刊新潮で氏が離党告白記事を書いたときに見られた自民党への肯定的見直し論は書かれていない。しかし、巧妙に、氏の「個人的プライド」をくすぐって、護憲勢力の分断を図ろうとする意図が散見する。そして、極めて奇怪なのは、共産党が珍しくヒステリックに「筆坂転落問題」と機関紙で書き立てるがゆえに、いっそう筆坂氏の本が売れるという構造が見えるのだ。私もそれにはまった一人かもしれない。
そして、これが今日の自公共路線のかたちを変えた現れと感じるのは私ひとりであろうか?
筆坂氏の本を読むと、共産党のなかでもひどく非難されている人(不破哲三氏、一部の元同僚国会議員)、同情的に描かれている人(志位和夫氏 一部の国会議員秘書)、敬遠されている人(宮本顕治氏)、意外にも無視されている人(市田氏、関西の議員たち)が浮かび上がる。また、アメリカ流覇権主義や日本副官利用方式との闘いには冒頭以外は言及が無く、当時テーマとなった共産党中央委員会勤務者の飲酒禁止規定についてはまったくふれられていない。また、氏自身も関与したはずの、天皇制への評価の大転換も触れられていない。これは、無意識ではなく、右からの攻撃という点で、防衛問題などふらふらしている点はつくが、一貫して右傾のものは容認するという意図を感じてしまう。
逆に、驚くのは、社会主義へのイメージの意図的な否定、国防問題での憲法九条への冷笑的態度である。このような人物が、共産党の最高幹部であったとすれば、90年代末からの共産党の堕落もむべなるかなと思われる。同時に、このようなかたちでの論難が、ブッシュ政権のアフガン・イラク戦争での無法な殺戮への抗議運動の人々の結集をためらわせ、日本政府の追随を根本的に追及することへの妨げとなること、も考えられる。まして、今日の共産党が、組織政策は民主集中制、政策面では天皇制や自衛隊を擁護し、政治運動面では自公連立を陰で支え続ける姿じたい、このような「最高幹部」の温床ではないか、と密かに悩む者である。