筆坂秀世氏の『日本共産党』(新潮新書)にたいする『赤旗』紙上での反論のなかで不破氏は 「ここまで落ちることができるのか」と驚いてみせ、志位氏もこれに追随して「落ちるところまで落ちた、というのが感想だ」とのべた。
「落ちる」というのは共産党独特の用語で除名ないし離党した元党員がマスコミに登場して党の内情に触れたり、批判的な意見を述べることを指すようだ。
党の秘密主義・閉鎖体質と党内での「批判の自由」の極端な抑圧がこうした行為を生み出す培養土なのであって、このことに眼を向けない限り筆坂氏のようなケースは今後とも不断に再生産されることだろう。
別の側面でいえば不破、志位氏ら党の最高幹部は自分たちがよほど高みにいるつもりらしいが、筆坂氏は「落ちた」のではなく冷酷・非情な仕打ちでによって「蹴落とされた」というのがことの実相だろう。
党常任幹部会委員・参議院議員から一転してヒラの本部勤務党員に蹴落すというのはどう見ても大人気ない乱暴な処分であったろう。
ことの性質からみればその処分はせいぜい「党常任幹部会委員としての資格停止3ヶ月」といった程度のものだったろう。それが社会の常識であって一流大企業の専務を平社員に降格させるというようなバカな人事が行われたなどとという例はまずないだろう。
もうひとつ腑におちないのは相手女性の態度である。小学生とか世間知らずのお姫さまとかいうのなら話は別だが、相手はレッキとした党員、しかも議員秘書にもなろうという女性である。イヤだったらなぜその場でハッキリと拒否の姿勢を示し、同志的な解決をはからなかったのか。それが党員の品性というものだろう。
秘書グループの行動も面妖である。「匿名の脅迫メール」を送るなどという陰湿な行為は江戸城大奥さながらのもので溌溂とした党内生活とは無縁のものだろう。
「党内の問題は党内で解決する」はずの党だったら秘書グループの行為は正に分派活動そのものだろう。「指導部」はまず当事者同士の話し合いを優先させ、円満解決の途を探らせるべきだったろう。
党最高指導部内でのこの問題の対応の拙劣さは見苦しいの一語でつきるだろう。
不破・志位体制が口舌の徒の集まりでしかなく、いかに政治的処理能力に欠如しているかのこれは見本といえよう。
不破氏の三百代言的な言動には定評があるが「宮本議長引退の真相」についての反論もそのよい一例といえよう。
不破氏は一九九七年九月の第二十一回党大会の最中に彼が宮本議長の引退について協議したというのは「ガセネタ」だという。この点は筆坂氏のカン違いかも知れないが問題はそこにはないだろう。実は筆坂氏自身が宮本議長引退の真相を知らせられていなかったのだ。
ここには集団指導などというものは微塵もみられない。不破氏は党常任幹部会にもはかることなく独断で「宮本議長の自発的勇退」のシナリオを自作自演していたのだ、ということをはしなくも露呈させてしまったのである。
『赤旗』紙上の一連の反論は代々木指導部の知的・道徳的堕落の典型として厳しく糾弾されねばなるまい。(つづく)