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コミュニケーション不全症という絶望

2006/05/13 通行人J 50代 自由業

 KM生さんぐらいの受け止め方のほうが無難なようです。
 そう思いレスをしようと準備していたところ、今度は「アリョーハ」を名乗る人物の奇妙な見解が掲載されました。
 曲解と断定、邪推に近い推測の連続で、トンデモな結論をつきつける、こういう方たちの「論法」はいつも同じですね。
 まず、私は「左翼党派全体」なんて知りません。私の乏しい掲示板体験を述べただけのこと。「全体」に及ぼすつもりはない。
 「他党派」というのも理解できない。この「さざ波通信」ウェブは非党員の一般市民も投稿出来るのであって、何らかの「党派」のものではないはずでしょう。
 「ソ連崩壊で、共産主義は過去のものとなった」という認識について。
 この認識をめぐって、大きな詐術があります。
 私は確かにそのように思っています。そのことを否定しません。
 しかし、そういう趣旨のことを私は特に強調して投稿した訳ではないし、一部掲示板での投稿拒否という体験も、それが理由という訳ではなかった。
 私の前回の投稿文(「筆坂秀世氏による党中央批判で感じたこと」)では、左翼掲示板の偏狭さの原因をその認識に絡めて指摘している訳でもない。
 更に言えば、筆坂氏も(そういう認識に立っているかもしれないものの)私がTVで聞いた限りではそういう発言をしていない。
 私も氏がしているなどとは全然書いていない。
 氏は「そういう認識がいまでは市民の多数を占めるというのが現状なので、共産主義を冠した党名にこだわる必要はない」「実質的に市民のために活動する党であればよい」
という趣旨のことを述べていた、というのが私の報告の趣旨であった。
 「現在もなおマルクス主義の普及に努め」るのは「アリョーハ」を名乗る人物の属する党派の勝手である。
 しかし、せっかくインターネットがあるのに、何故インターネットではその「普及」(「布教」のほうが正確では?)活動をしないのでしょうねえ。
 これだけ有効なメディアを使わないで十分な「普及」が出来るのか、他人事ながら心配してしまいます。
 それにしても、自由な言論こそ大事であると主張している私を「排外主義的で偏狭な態度」とは、いったいどういう「理屈」なのか。
 まったく理解しがたいのは、「アリョーハ」を名乗る人物の属する党派では議論などはあり得ないのだろうか、ということです。
 党派所属人数が何人かは知りませんが、普通の人間の集団なら、3人も集まれば、それぞれに見解の相違が生じる。
 コミュニケーションによって、一致点と相違点をより明確に出来、全体としての何らかの認識の一致が必要とされるときは、基本的には多数決というルールに従う。
 所属成員の皆が、誰か特定一人の見解に従う、というのは独裁です。
 特定党派ではそんな独裁が通用しても、残念ながら21世紀の日本と世界では時代遅れです。