風来坊さんや銀河さんから筋金入りの共産主義者にふさわしいような反論をいただき感謝する次第であります。
風来坊さんの言うとおり、たしかに民主連合政府が成立した段階でアメリカ帝国主義と日本独占資本がこの政府を敵視し、自衛隊がクーデターの企画をするであろうことは必然的におこってくることでありましょう。
まさしく自衛隊はアメリカや財界の支配階級の軍隊であり、その階級性の暴露が必要なことは言うにおよびません。
そしてまた、銀河さんが言うとおり、自民党をはじめとした反動勢力はいわゆる「国の安全保障」ということを錦の御旗にして改憲策動を推し進めていくであろうこともおっしゃるとおりであります。
そして、常に侵略戦争を糊塗する言葉は自衛であり、安全保障という言葉は国民を戦争に動員するための帝国主義者の排外主義的スローガンでありました。これも多くの歴史の事実が立証していることであります。
しかし、私にはどうしても結論がでない疑問が残ります。
古い文献ですが党の14回大会をはさんで刊行された「科学的社会主義:上下巻」(小林栄三監修)という文献があります。その下巻の第5章の2節の2の中立政策という項目のなかでこのような一説があります。
それは、現憲法がたとえ自衛のためであっても国が軍隊を持つことを禁止していることにコメントした上でこのように論じた箇所であります。
「たしかに、独立した国家が一定期間軍隊を持たずに今日の世界で国の安全を確保しようとすることは、それとしてはひとつの矛盾です。しかし、これは、アメリカ帝国主義の占領と半占領が続き、違憲の従属的軍隊を増強させてきた日米支配層が平和。中立の日本と民主連合政府に残した悪しき遺産であり、彼らに責任ある矛盾にほかなりません。」
この論理は共産党が野党であったときは説得力がありますが、民主連合政府を樹立して政権政党になろうとするときにはこの矛盾を日米支配層の責任に押し付けるだけではすまなくなります。
われわれが引き受けるべき矛盾、われわれの矛盾とならざるを得ないでしょう。
そして、独立した主権国家である中立国が一定期間軍隊を持たずに今日の世界で国の安全を保障することは矛盾であると国民にもはやいい続けることはできないでしょう。
ここにいわゆる「自衛隊活用論」がでてこざるを得ない必然性があろうかと思います。
今国民が保守化していることは現実の問題でありますが、民主連合政府のもとでのわが国の自衛措置の問題に明確な答えを出さないかぎり、国民のなかの疑問を払拭することはできないだろうし、この疑問に明確な答えを出してこそ、自衛隊の反動性・階級性の暴露も説得力を持ちえるのではないかと考えますがいかがでしょうか。
また、民主連合政府のもとで万が一に急迫不正のわが国に対する侵略行為がおこった場合、反動的で階級性の強い自衛隊の使用を避けるべきでしょうか。
当然、これは自衛隊の解消により憲法9条の完全実施に向けての努力がおこなわれている過程での出来事であるとします。
かって、日本帝国主義の中国侵略戦争のなかで、二つの軍隊が日本侵略軍と戦っていました。
ひとつは中国共産党の八路軍であり、またひとつは国民党の軍隊でありました。
そして、この国民党の軍隊は反動的な軍隊でありました。特に1928年の上海でのクーデターで中国共産党を血の海に沈めたのもこの国民党の軍隊であります。
しかし、だからといって彼らが抗日統一戦線の構成部分として日本侵略軍と戦ったことに正統性がなかったのでありましょうか。
それどころか、彼らの日本侵略軍との戦いは正当性を持つ民族戦争の不可欠の構成部分であったことは否定できません。
反動的・階級的な軍隊の存する状況での民族戦争・祖国防衛戦争が成り立たないわけではないことは近現代の歴史が証明していると思いますがいかが思われますか。