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「セクハラ非難」の論理への疑問

2006/05/18 赤根 40代 自営業

 「女性がセクハラと言ったらセクハラだ」「女性が不快 と感じたらそれはセクハラだ」
 こんな論理が筆坂氏への口を極めた人格攻撃と一体になって 語られています。女性の立場に立っているように見えるので疑 問や批判を提起することも憚られる。そんな息苦しさの中であ えて私見を述べてみたいと思います。

 「セクハラ」とされる行為内容は筆坂氏の言として15日付け 澄空さんの投稿にまとめられておりますので略します。党の側 も事実関係には反論していません。

 筆坂氏の行為につき女性の側に「被害意識」があったことは 事実のようですが、それのみをもって「セクハラ」と断罪して 良い場合というのは、筆坂氏とこの女性が支配/被支配の関係 にあり、女性が筆坂氏に対して直接抗議することが困難な場合 だけだと考えます。

 そのような異常な人間関係においては女性の側はいわゆる「 社会的弱者」と規定されましょう。企業内におけるセクハラへ の対応原則というものは、支配/被支配の関係を維持する代償 として女性を特別に扱うという欺瞞紳士の自己ペナルティの論 理を基本に置いています。なぜなら、そこに対等な人間関係が 存在するのであれば被害者の主観のみによって規定される「セ クハラ」など存在しようがありません。

 他のあらゆる迷惑行為と同じく、相手の行為を不快と感じた 時点で相手を諭すなり、拒否や抗議をすればよいことです。相 手の言い分もそこで表明されるし、「気がつかなくてごめんな さい」で済むようなこともあるでしょう。意図的にやっている のならそれなりの対応をすればよい。それが健全な人と人との 関係、当たり前のコミュニケーションというものです(男女同 権はそこにしか成立しません)。そういう関係が成立しないと ころに立ち現われたのが「セクハラ」なる概念でしょう。巷で は、「お前が接近しただけでセクハラだが、キムタクがタッチ してもセクハラではない」などと庶民的な明け透けさを持って 「セクハラ」の本質が笑い飛ばされているのです。

 しかし、筆坂氏を断罪する人の中には、この問題を企業の人 間関係になぞらえて、筆坂氏を上司、女性を部下に見立ててセ クハラ断罪の正当性を述べる議論まであります。自由な人間関 係が開花する未来社会を目指しているはずの共産党の党員間に おいて、企業内の支配/被支配の関係を前提とするような「セ クハラ告発」とその一方的な断罪がなされたことへの洞察が必 要ではないでしょうか?

 党中央はかねてから「党内に身分的特権的な上下関係などな く、平等な党員間における任務分担があるだけ」などと主張し ていますが、この見解に偽りが無ければ、今回のセクハラ処理 は、「筆坂秘書を担う党員」という責任主体を「弱い女性」に 還元することで筆坂氏と秘書との有りうべき関係を「支配する 者と支配される者」に捏造したことになります。

 また、公式見解とは裏腹に党内に支配/被支配の擬似身分的 従属関係が存在するということであれば、党中央がそれを放置 し、党員と国民を欺いていることになります。なぜ筆坂氏の個 人責任に留まらないかと言えば、この女性党員は筆坂秘書とし ては新任であり、筆坂氏と対等な関係を喪失しているとすれば 、それは着任以前に幹部一般との関係がそうなっていたという ことです。

 私自身は、事の真相は上記両極の中間あたりにあるのではな いかと推測しているわけですが、不破氏が特権的処遇を享受し ているとの批判に対して沈黙している党ですから、あるいは想 像以上に蝕まれている可能性も否定はできません。