戦争時代に生まれた人の、戦争や憲法に対する無関心さに、あきれ果てた私。
お茶を飲んでいると、訪問者の気配。でると、昔なつかしの同僚である。人を連れてきたその訪問になにかの勧誘とぴんときたが「2,3分で良いんだけど」といいながら、紙切れを見せる。
何かしらね・・と問うと、「先祖供養して欲しいと思って・・・・」
「田舎でやっているし、母の戒名もうちにあるので、お線香もあげているのよ」と、私。
素直に聴いていれば良いものを、つい、また、今の戦争の話と憲法の話をしてしまった。
結論、「戦争は今のわたしたちの生活とは関係のないこと。犯罪や病気は、先祖供養が足りないのが原因。{カルマの法則}なんて知らないけど、勉強しようとは思わないです。ただ、まず、家のことが一番でしょ。家がしっかりとしないと。」
案の定、「憲法は誰がまもるもの?」と問うと、「私達国民が」ときました。
昔の同僚時代には、ノンポリ的だったと思うのですが、なにか、憑かれたような、妙に、安心しているその表情に、私はぞっとするものを感じたのです。年齢は40代前半。
こうして、似非宗教やらプロパガンダやら、横行する土壌には、早くもあちこち芽が出始めたのかもしれません。
「家が大事」という意識。「憲法は国民が守るもの」という意識。
そうそう、その家を守るために、憲法を変えて、あなたたちの子どもや夫が空爆作戦に組み込まれるのですよ。
水面下では、軍需産業任務が密やかに拡大しているということも、乖離したまま、家が大事、家を大事にすれば夫は戦死しても、食うための金が入る・・・ということか。いや、ここまで自覚はしていない。
石原都知事の監督する戦争を鼓舞する映画が作られるというが、こういう非中立な思考の都知事が存続するということもまた、戦争時代なのであろう。
戦争体験者も未体験者も、今ある政府に異議をとなえることなど100%ない人種として存在しているのでしょうか。今にもガンになるのではないかと覚悟と不安を抱いている私に、がんが多いのも・・・といわれ、妙に、気になったりして・・・
どうやら、「戦争反対」「憲法擁護」は、言えばいうほど、現実の生活に結びつければつけるほど、憲法とは何のかかわりもなさげに見える今の社会状況に、説得力はゼロに近くなります。
なにか、見えなかった限界が見えてきました。
仕切り直しをしなければ。