今さら言うまでもないが、6月1日を以って自動車に対する駐 車違反取締に係る民間委託事務がスタートした。ついに始まっ てしまったか!、というのがおおかたの感覚ではないかと思う 。(思いのほか機械的トラブルが散発し、携帯型プリンターの 動作不具合とかで手こずるうちにクルマの所有者が戻ってきて トラブルになった?とかが報じられていた記憶がある)
この件については昨年春ごろからいくつかの若者向け雑誌等 でも警鐘が鳴らされていたのだが、ぼくの周囲ではさっそく「 悲鳴」が上がり始めた。取締側からすれば「予想以上の効果」 とほくそ笑んでいるのかもしれないが、改正道路交通法施行前 の説明では「とにかく運転席から離れた時点で即、違反と看做 しますよ」とあった以上、事態は深刻である。
《実例A》:営業職のA君はお得意先への立ち回りに社用車を
使っていたが、助手席に期間契約社員を同乗させることになっ
た。彼は「アイツ(契約社員)が契約更改に応じず空席になっ
たら、オレはおちおち運転もできなくなるかも・・・」と今か
ら懸念している。理由は推して知るべし。
《実例B》:昔から顔なじみの近所の新婚さんは「免許のな
い友人を毎朝、駅まで送迎していくことができなくなった」と
嘆いている。なにしろ、過去数次にわたって民間バス路線が削
減されたり路線廃止になっており、田舎の住民にとってクルマ
は生活必需品なのに。
《実例C》:近々愛娘(新生児)が誕生するという同級生は
、「ここんちの幼稚園や保育園はなぜか送迎バスがなくなった
。園の側道は軒並み駐禁ゾーンでマイカー送迎すらままならな
いんだ。こんなテイタラクだから少子化に歯止めがかからない
のではないのか!?」と怒りを表している。
類例の悲鳴は今後、枚挙にいとまがないほど頻出するのでは ないか? 少なくないジャーナリストや識者が指摘したように 、民間委託員とは言ってもその実、交通警察官OB出身が5割近 い、実質“みなし公務員”というのは本当かもしれない(都内 六本木辺りでは委託監視員を殴ったとかでさっそく、逮捕者が 出たらしい。みなし公務員相手なら公務執行妨害ということか ?)。民間取締員を一瞥するかぎりでは確かに皆、体格・姿勢 ともに非常に良く、素人目にはすっぴん(純然たる)の非公務 員には見えない。
悪質な駐車違反は確かに迷惑。たとえ広くなくとも、公道を 夜間駐車場代りにされては、消防車や救急車の走行の妨げにな り生命にかかわることは誰でも理解るし、きわめて悪質な違反 車両・ドライバーに対しては検挙の手を緩めるべきではないだ ろう。そこまでは異論はない。
ただ、月並な意見ではあるが、強権的に機械的に取締りをす
る前に、適切な施策を講じることがなぜなされていないのだろ
うか。市内の要所要所に時間限定タイプの安価な駐車場を新設
したり、狭い国土に増え続ける一方の車両台数を徐々に減らす
交通政策を打ったりは、なぜ採られないのだろうか。
かつて全国の幹線道で相次いだ排気ガス公害・騒音被害で人
生を狂わされた方々(クルマの排ガスに起因する喘息、騒音振
動に起因する難聴・不眠その他精神疾患等の患者)の話を拝聴
したことがあるが、他人事と馬耳東風モードでいるかぎり、こ
の国の交通戦争・“自動車天国”は改善されることはないだろ
う。(それに違反にかかる罰金(反則金か?)の額が低所得層
からみると驚くほど高額。)
(かつての一時期をわずかな例外として)最近の共産党の主
張や党国会議員の講演をみるかぎりでも、このテーマが俎上に
のぼっているのを寡聞にして聞いたことがない。票(争点)に
ならないからなのか、それとも「職業ドライバー層を敵に回す
わけにいかない」との読みがあるからなのか。それはわからな
いもののこういうところがエコロジー派から嫌われるのかもし
れない。
党大会でも何中総でも何ら言及がなされなかったのも腹立た
しいし、それを某班会の場で苦情を述べても黙殺でもって遇さ
れた(一斉にシーンと静まりかえってしまった!)のだから救
いがない思いだ。機械的に党推奨文献や綱領に接すればするほ
ど、こういう少数意見に鈍感になるというのは、残念ながら本
当のようだ。
寡聞では、オランダや中部ドイツでは国民のコンセンサスの もと、LRTが移動手段に定着してきたという。EU全域への普及 となるとまだまだほど遠いとはいえ、在欧経験のある友人の話 では「LRTを利用する人は国内の異なる交通機関同士で相乗り で共通して使える(ICカードタイプ)カードでマイカー無しで も何不自由のないライフスタイルが送れるし、自治体によって は税制上の優遇措置を付与している。フランス等でも近々これ に倣おうとする動きがある」そうだ。
日本人のぼくらから見ると、別世界の現実。されど羨望のま なざし。彼は、「近年西欧ではグリーン・コンシューマー意識 を有することが真の知識人の最低条件のひとつになっている」 とも語っていたが、われわれは自然環境に護られてはじめて生 存できるのであって、その逆ではないのである(われわれが自 然を護ってあげているのではない!)。 “自然にやさしく” 旨のパラフレーズは、立花隆氏の指摘するまでもなく、やはり 人間の驕慢ではないかと思う。