私にとってここは“異国の地”でありますし、本業をほ ったらかしにして何やっているんだというきつい叱責も各方面 からいただいておりますので、できるだけ早く退出したいと考 えておりますが、スカンジナビアン氏からご意見をいただいて おりますので、最後にそれに答えてからということにしたいと 思います。
1 近代国家の租税を支払っているのは誰か?
この問題についてはすでに一般的な解答は明らかです。
アダム・スミス以来の「近代経済学」は、利潤、地代、労賃 をそれぞれ独自の収入源泉としてとらえておりますので、利潤 に課税することは資本家の収入に課税することであり、地代に 課税することは地主の収入に課税することであり、労賃に課税 することは労働者の収入に課税することであると主張してきま した。
しかしわれわれマルクス主義者は価値を生むのは労働者の労 働であり、利潤も地代も剰余価値(不払い労働)が転化したも のであると考えています。このように広い意味での勤労大衆( 労働者・農民・漁民・自営商工業者)の労働が国の富の源泉で ある以上、それに対する課税はどのようなものであっても勤労 大衆の労働が生みだしたものから支払われされざるをえません 。ですから近代的なブルジョア国家で租税の源泉は勤労大衆の 労働であるというのは租税の徴収のされ方によっては動きませ ん。
もっとも、一般的にそのようなことがいえるからといって、 すでに労働者の収入に転化している労働賃金に対する課税とす でに企業者利得に転化して資本家の収入をなしている部分に対 する課税は同じものではありません。
労働賃金に対する課税は労働者の生活費からの強制的な控除 であり、法人企業そのものに対する課税や資本家の所得に対す る課税はすでに資本家のものになっている価値部分に対する課 税で、労働者の生活とは直接的な関係がありません。
もちろん、直接関係がないといっても、企業が法人税を払う ために、また資本家が自分の収入から所得税を払うために、労 働者の賃金を引き下げたり、賃上げをやめたりした場合、それ は労働者を犠牲にして課税がなされているということであり、 この場合、税金は労働者を犠牲にして支払われているというこ とができます。
2 統計の謎 その1
スカンジナビアン氏はこのような一般的なことよりも実際の 問題の方が重要であるといわれるので、実際の問題に移って考 えていきたいと思います。
スカンジナビアン氏が提出している統計資料はどれもが実に 不思議なものです。
日本 02年 事業主(資本側)負担 32.2%
労働者本人負担 31.1%
税から 30.3%
そのほか 6.4%
スウェーデン 事業主(資本側)負担 39.7%
労働者本人負担 9.4%
その他の税から 38.0%
消費税から 8.6%
そのほか 4.3%
スカンジナビアン氏はこれは「社会保障給付費」といってい ますが、社会保障にもいろいろあって生活保護のように全額税 金からまかなわれるものから、介護保険のように全額保険料に よってまかなわれるものや国民年金、国民健康保険といったも のと厚生年金、健康保険では負担の仕方が違います。
しかし、「誰かが」3割拠出し、3割自己負担で、残りが税 金の投入という日本の数字を見ますと日本の「医療費」がスカ ンジナビアン氏が提起した数字に近いのではないかと思います 。
だとするなら「事業主(資本側)負担」という項目は、「保 険より」と改めた方がいいと思います。
この保険についても、形式的には労働者と資本家が折半して 支払っているということになっていますが、資本家は自分たち が支払うべき労働者の保険料のうちの自己負担分を「人件費」 に含めており、事実上の“見えない給料”(厚生費等の労働者 のために支払う資本家の費用で給料に表示されないが、実質的 な労働者の賃金の一部分)となっていますから、事実上は労働 者が負担しているものです。
その税で不思議なのは日本以外の国では消費税の内訳が入っ ていることです。税金は一端国庫に納められて、まとめてプー ルされ、そこから国庫支出として払い出されるのですから、一 機100億円のF15戦闘機のどの部分がどういう税金でまか なわれているかということまでは普通は絶対にわかりません。 このようなことが可能であるためには道路特定財源のように消 費税が独立会計化していなければなりませんが、消費税を独立 会計化しなければならない理由は特に見あたらないし、そうし ているという国も聞いたことがありません。
この「消費税から」という項目はどうやって計算したのでし ょうか?実に、不思議です。
税における収入配分比率をそのまま反映させたとも考えられ ますが、それにしては消費税分が低すぎます。
日本では、消費税は1%2兆円として計算されています。で すから消費税が25%であれば50兆円であり、日本の予算規 模80兆円に対して65%となります。
65%はオーバーとしても、消費税5%の日本でさえも予算 全体における消費税分は10%を超えているのですから、単純 に比例配分したのであれば、どの国でも消費税分は二ケタ、す なわち数十%にならなければおかしいです。どうやって計算し たのでしょうか?ナゾです。私にはわかりません。
統計の謎 その2
謎といえば、スカンジナビアン氏がいうスウェーデンでは9 0年代にも社会福祉は増加しているという説です。
私がスウェーデンの90年代は財政再建の時代で増税と福祉 の切り捨てが進行していると主張しているにも関わらず、スカ ンジナビアン氏は1995年から2000年にかけて福祉予算 は200から260に増えているというのですから首をひねら ざるをえません。
最初にもう一度事実から確認しておくと、94年に返り咲い た社会民主労働党のカールソン政権を待ち受けていたのは国家 財政の破綻状況です。
スウェーデンの累積財政赤字の総額がGDP(国内総生産) の100%近くにまでふくらんでいたのです。
そこでぺーション蔵相は「長期経済政策法案」を発表して、 今後4年間に増税策を継続するとともに福祉の削減などを中心 に570億クローナの赤字削減を行うことを発表しました。
翌、95年には、財政はもっと逼迫しましたから、これに加 えて、さらに200億クローナの追加赤字削減策(児童福祉を 中心にした福祉予算の削減策)を盛り込んだ予算を策定してい ます。
ですから、スウェーデンの福祉予算は90年代の後半に確実 に削減されているのです。しかし、現実に減少しているはずの 金額が増大しているのはなぜか?この謎を解くカギは一つには スウェーデンにおける急速な失業の増大があります。通信大手 のエリクソンや自動車のボルボが大規模なリストラ、首切りを おこない大量の労働者が街頭に放り出される中で、失業給付は 政府がどうしても出費しなければならない社会保障費として存 在していました。だから、一方において社会福祉の質を切り捨 てて社会保障費を圧縮しようとしても、他方において他の社会 保障費が膨れあがるという現実が当時のスウェーデン社会には あったのです。
またこの謎を解くカギはスカンジナビアン氏の言った「購買 力平価」という言葉にもあります。
つまりこうです。1995年には1ドル=7.03クローナ でした。これが2000年には1ドル=9.81クローナまで 下落しています。
これは95年当時のスウェーデン経済は破局的な財政赤字、 インフレ、高い失業率で混迷していましたが、財政再建の進行 の努力にもかかわらずスウェーデンのインフレとそれにともな うクローナ安は終息しなかったことに起因します。
この通貨レートで計算すると、95年には200クローナは 28.4ドルでしたが、00年には20.3ドルにしかなりま せん。ですから2000年に1995年と同じ28.4ドル( 200クローナ)のものを買うには278.6クローナが必要 となります。
ですから、スカンジナビアン氏はこのようにいうべきであっ たのです。1995年と2000年の福祉の水準が同じである というためには、2000年の指数は260ではなく278に ならなければならなかったのだが、実際に260にとどまって いたのだから、スウェーデンの福祉水準は、この間(90年代 後半)、実質的に低下したのであると。
統計の謎 その3
これは謎ではなく、見解の相違ということでしょうが、スカ ンジナビアン氏は、ある国の社会保障費の総額をその国の人口 で割った数を「一人あたりの社会保証の給付費」と呼んでいま す。
しかしこれは「一人あたりの社会保障の負担額」と呼ぶべき ではないでしょうか。
なぜなら、社会保障の給付はすべての人が負担しているが、 すべての人が給付を受けているわけではないからです。病気に なった人、労働できない人(失業者)、労働しない人(年金生 活者)、年をとった人、障害を持っている人、生活を維持でき ない人、貧しい子どもたち等、自己の労働によって生活を支え ることができない人が「社会」から援助を受けるわけです。
しかもこの社会(資本主義社会)の支配階級である資本家階 級はこの社会の「維持費」を主に働く人々のから徴収している のです。ですからスウェーデンでも高福祉に対する勤労大衆の 高負担をどうするのかがつねに問題になるのです。
年収100万円そこらの労働者でさえも、健康保険料、年金 、雇用保険、国の税金、市民税、を給料からしっかり引かれた うえで、さらに消費税5%やたばこ税、酒税、ガソリン税を支 払っているのです。
私も貧乏な生活が長かったですが、貧乏であることを理由に 、国や地方公共団体から何かをしてもらったことはありません し、税金の支払いをまぬがれたこともありません。
スカンジナビアン氏によれば、社会保障はアメだそうですが 、このアメは労働者から取り上げた砂糖をこねて作られたもの であり、必要な人にほんのわずかに配られるだけです。
スカンジナビアン氏は、さかんに「社会保障とは資本家階級 から、労働者人民への所得の再分配」であると言っています。 これはベルンシュタインの「累進課税とは資本家階級から、労 働者人民への所得の再分配」という言葉を言いかえたものです 。しかし現在ではこの累進課税という制度自体がすでに、日本 でも、スウェーデンでも、その他の国々でも放棄されてすでに 世界的に過去のものになっています。
また累進課税と社会保障は同じものではありません。社会保 障に階級間の所得の再分配機能はありません。そのような議論 は社会保障の財源の主たる担い手が働く人々であることを忘れ ています。
そして何より、社会保障は不幸な人々の不幸な状態を一時的 に緩和するものであっても、不幸な人々をその苦悩から解放し 、人々を本当の意味で幸福にする手段ではないのです。
もちろん、私がこのようにいったからと言って、労働者が高 負担からの減免を求めたり、より多くの社会保障の給付を求め たり、あるいはその両方を求めて闘ってはならないという理由 にはならないでしょう。
また、軍事費削ってとか、むだな公共事業をなくしてとか、 金持ちにより大きな負担をとかいう主張は日本をスウェーデン のようにしようという主張とは違います。
前者は社会改良の要求であるのに対して、後者は現行の社会 保障制度が持っている欺瞞を際限なく美化するものでしかない からです。
最後に
スカンジナビアン氏は「19世紀英国の救貧制度にしても、 “貧”を“救”わねばならなかった人々から原資を搾り取って 、救貧制度を実施したというのでしょうか?そんなことはない でしょう」といっています。
そこで『資本論』から救貧制度の実態を暴いた部分を引用し たいと思います。書いた人はジョン・フィールデンという紡績 業者で、マルクスは彼の引用をしているだけです。
「ダービシャやノッティンガムシャまたことにランカシャで は、最近発明された機械が、水車を回すことのできる流水に接 している大工場で使用された。都市から遠く離れたこれらの地 で、にわかに何千もの人手が必要になった。そして、ことに当 時まで比較的人口が希薄で子どもができなかったランカシャは 、今ではなによりもまず人口を必要とした。小さくて器用な指 がなによりも必要だった。すぐに、ロンドンやバーミンガムや その他あちこちの教区救貧院から徒弟(!)をつれてくる習慣 ができあがった。こうして、7歳から13歳か14歳までのこ れらの小さな寄るべのない生きものが幾千となく北方に送り出 された。自分の徒弟に衣食を与えて工場に近い『徒弟小屋』に 泊まられることは雇い主」(すなわち子供盗人)「の習慣だっ た。かれらの労働を監視するために、監督が置かれた。子供た ちを極度に酷使することはこれらの奴隷監督の利益になった。 なぜならば、彼らの給料は子供からしぼり出すことのできた生 産物量に比例していたからである。残酷は当然の結果だった。 ・・・多くの工場地帯、ことにランカシャでは、工場主の手に まかされたこれらの無邪気で孤独な子供たちに残酷きわまる責 め苦が加えられた。彼らは死にかかるまで過激な労働に追い回 された。・・・彼らはえりにえった残酷なやり方でムチを打た れ、縛られ、責められた。・・・彼らは骨まで飢えながらムチ で労働を強いられることが多かった。・・・じつに、ときには 自殺に追いやられることさえもあった・・・ダービシャやノッ ティンガムシャやランカシャの人里離れた美しいロマンティッ クな渓谷も、責め苦の――そしてしばしば殺人の――ものすご く荒れ果てた土地になった!・・・工場主たちの利益は莫大だ った。それもただ人狼的飢渇を激しくするばかりだった。彼ら は『夜業』という慣行を始めた。すなわち、一組の労働者を昼 間の作業でくたくたに疲れさせたあとには、夜間作業のための 別の一組を用意していた。昼間組は夜間組がいま出たばかりの 寝床にはいり、またその反対に昼間組が出たあとに夜間組が入 った。寝床の冷えるまもない、とはランカシャの言い伝えであ る。」
この引用には注があって注の中でマルクスは「蒸気機関は工 場を田舎の落流のそばから都市の真ん中に移したので、『禁欲 好きな』利殖家は、今では救貧院からのむりやりな奴隷供給に よらないでも手近なところに児童材料を見いだすようになった 。」と補足している。
救貧院は19世紀の一時期、「児童奴隷」の供給源で、企業 家はこの救貧院制度によって莫大な利潤を得たのである。