[マルクス主義と美術・芸術とはどのような関係にあるのか]
ふみさま
何度か読み返しているのですが散漫な文章のような気がしま
す。
多分、こういうことでしょうか。「マルクス主義において芸
術はいかにあるべきか。」
私は若いころにマルクスエンゲルス芸術論集という分厚い本
を持っていましたが古本屋に売ってしまいました。いまさらに
なって惜しいことをしたと思います。多分、マルクスもエンゲ
ルス、レーニンも芸術論という形での書物はないと思いますが
、芸術について論及している部分があり興味深いものです。マ
ルクスがシラー風にではなくゲーテ風に書けといっていたのだ
が、シラーのオルレアンの少女・ジャンヌ・ダークは主人公を
英雄というイメージからシラーが描いたのに対して、ゲーテは
現実の描写をするといった意味だと思います。わたしはシラー
が好きだったのでなんともいえないと思いました。
マルクスはある観念、ある思想を下敷きにして作品を書くの
を否定しているようです。たとえばバルザックは王朝派である
が、フランス革命の前の王侯貴族の腐敗を見た通りに書いたこ
とによってフランス革命を招き寄せる役割をしてしまったとい
う意味だと思います。だからマルクスはマルクス主義という芸
術が標榜されればきっと嫌ったと思います。曽野綾子は思想的
には保守反動的だが彼女が描く小説は実にレアリティーがあっ
て生き生きしています。三浦綾子は良心的作家でクリスティア
ンだが『銃口』という作品では美しすぎてレアリティーがあま
り感じられませんでした。芸術においてはイズムという色眼鏡
でものを見るのではなくあくまで現実を描写するべきときっと
マルクスは思っていたかどうか。でもレアリズムが必ずしも正
しい方法とはいえないかもしれません。私たちは現実があまり
にも無残なときそれをまともに見るよりもモリエールのように
笑い飛ばすことも方法であるし、メルヘン的なシャガールも方
法のひとつです。ピカソも存在価値があったし、美の追求者マ
チスも彼の生きた時代を反映しています。私も今はギリシャ神
話を絵にしようと夢中です。これが現実からの逃避か、寓意に
見えますがそのような表現をとらざるを得ないほど現実が愚劣
に見えるとき、あるいはそれもレアリズムなのかなあと思いま
す。ルカーチの芸術論は買いません。永井潔と中野徹三の論争
は中野に私は軍杯を挙げたと思います。
「未来社会を提唱しているはずのマルクス主義者が体感する
ライフスタイルが、後進的かつ退廃であったのでは、マルクス
主義は何の未来も見えないでしょう。」それはマルクス主義が
悪いのではなくマルクス主義を偏狭に受け取るものの資質のせ
いでしょう。
だが美学や芸術論は言うがやさしく為すは難し。