長々と書かれていますが、当事者ではないあなたがずいぶんと熱を上げて、私の批判する人たちを擁護されている姿に面食らっています。
何が言いたいのか、と今更言われても、当初に指摘したとおりです。
こちらに投稿されている方たちのなかで、自分の掲示板を主宰している人が複数いる。彼らの掲示板での私の体験から感じたことは、彼らの姿勢は非常に非寛容で、自分の基準に合わない意見を排除する傾向がある。しかし、その基準とは常に動いていくものであり、その証拠に、彼らの掲示板で昨日仲良かった人が今日は意見対立から喧嘩する例が数々ある。結局、力の強いもの(このケースで言えば、掲示板主宰者)が基準をつくるということになりかねず、そうした非寛容・排他性・独善の姿勢がソ連崩壊の淵源とも言えるのではないか。
以上、狭い私の体験談ではありますが、左翼と称する人たち共通の病理だとすればそこには何らかの普遍的な要素があるので、ここで提起するのもそれなりの意義があろう、という判断から行っていることです。
あなたについては掲示板を知らず、インターネットでの「業績」を知りませんので、ここでの私への批判だけで判断することになります。
私は経験を重視する人間ですので、どうしても(言葉は悪いですが)横槍というイメージを感じてしまいます。
まず、私が挙げた例について、あまり直対応されても困ります。
適切ではなかったかもしれませんが、量と質の問題とは大げさです。
米国産牛や松阪牛の例。
あなたは「BSEに感染した疑いのある牛肉を食べさせられるのは、お断りということなのであり、牛肉の産地などの問題ではない」「質的な違いの問題を量的な違いの問題、すなわち程度の問題に「すりかえている」てい」る、と私を批判しています。
しかし、実はこの基準自体、あなたがつくったものであり、一般的なものとは言えないのです。
つまりは「米国産牛肉には何の問題もない」「松阪牛以外の牛肉はとうてい食べられたものではない」という判断もあっていいのです。
それをアプリオリに基準から外れるので排除する、って、誰がその基準を決めるのか? ということなのです。
続いての、反戦連合氏とスカンジナビアン氏の議論への私の見立てについて。
これもずいぶんとあれこれ書かれてますが、ちょっと「発展」のし過ぎと言うか、私が言っているのは単に、客観的に見て、基準は本当は不明確なものなのに、明確であろうとするところに独善が生まれる、と言った程度のことです。
アリョーハさんは反戦連合氏がレーニン主義者であるにも関わらず「社民」を自称するところに矛盾を指摘されていますが、それはその通りです!
もし、アリョーハさんが反戦連合氏の掲示板でそのことを指摘すれば、彼に「右翼」だ、「公安」だ、と言われてしまうことでしょう(笑)。
メンシェヴィキの件。
レーニンたちは18年2月に憲法制定議会を暴力で解散させ、メンシェヴィキや左翼エスエルの弾圧に転じました。
そのレーニンが創ったソ連は91年に崩壊し、いまロシアは共産主義時代の負債に苦しみながらも自由で民主主義の国家として歩んでいる。
さあ、メンシェヴィキとレーニンとで、果たしてどちらが正しかったと言えるのでしょう。
あなたの、ロシア革命での「正しさ」の判断は、17年で終わってませんか?
11月革命時は左翼連合政権でボルシェヴィキはその一員にすぎなかった。
ところが、憲法制定議会の解散で一党独裁になったから、それが書記長の独裁へと転化し、やがて91年の崩壊に結びついた。
そう見るのが一般の解釈ではないでしょうか?
メンシェヴィキは自分たちが絶対正しいとは主張しなかったでしょう。
ただ言論の自由を保障せよ、と主張したに過ぎなかった。
一方レーニン率いるボルシェヴィキは自分たちが絶対正しいのだから、正しくない連中に言論の自由は不要である、と主張する独善に陥ったのです。
あなたはまだ「マルクス」「レーニン」で共産主義社会の建設が出来ると「信じる」。
私は個人的には信じないし、そう思わない意見をどこでも自由に言明されないのはいけないことだと思う。
自分に反する意見を排除するのは、要するに「怖い」から、それによって「信念」が揺らぐのが怖いからなのだろう、というのが私の意見です。
あなたの信念は貴重なものです。
ただあなたは共産党ではなく「他党派」と自称される。
共産党と、あなたの属する党派、それぞれで、「マルクス」「レーニン」についてさえ「絶対の正しさ」で対立している。
これは不思議です。「絶対の正しさ」が複数存在することになる!
それはともかく、両者の「絶対の正しさ」並立状態がいつか「本当の絶対の正しさ」一つになるとしたら、それは両者間にコミュニケーションがなければならないんじゃないですかね?
なお、アリョーハさんは「50代」ということで、反戦連合氏のように「20代」ではない。
20代ならまだしも、成人後既に30年以上、憲法第22条「国籍を離脱する自由」を行使することなく、日本国民として税も払い、言論の自由などの基本的人権を認められて生きてこられた事実。
それは疑いもなく、「自由な意志で結集した団体」としての日本国家の主体的な成員であることを意味します。
だから、そうした団体が決めたことは尊重する義務が生じるのは当然のことなので、「誤解のないようにお願いします」。