わが党の綱領にもとづく革命路線は、日本の具 体的情勢にマルクス・レーニン主義の革命論を適用したもので あり、ブルジョア議会主義に屈服した、ベルンシュタインやカ ウツキーなどの日和見主義路線とは、根本的に対立したもので ある。
第一に、わが党の綱領は、「綱領は、一般的に政治権力の獲 得のことをのべて、その獲得方法を規定しない」という原則的 見地を忠実にまもって、当面する反帝反独占の民主主義革命で 、労働者、農民を中心とする人民の民主主義権力の確立の必要 性は明確に規定しているが、権力獲得の方法については、規定 していない。
綱領は、議会で多数を獲得して統一戦線政府を樹立する問題 についても、「党と労働者階級の指導する民族民主統一戦線勢 力」が「国会で安定した過半数をしめることができるならば、 国会を反動支配の道具から人民に奉仕する道具にかえ」ること ができるとのべて、これを革命の発展過程における一つの可能 な展望としてしめし、反動勢力の出方によっては、統一戦線勢 力が人民を代表して国会の多数をしめる道がとざされ、革命へ の発展が別の道をとおらなければならなくなる可能性があるこ とも十分考慮にいれている。
ここに、マルクス・レーニン主義の革命的見地と第二インタ ーナショナル以来の修正主義者の日和見主義的見地との根本的 な分岐点の一つがある。「議会闘争を、とくに一定の歴史的時 期の有効な闘争手段の一つと見ないで、主要な、ほとんど唯一 の闘争形態と見、それは「暴力」、「奪取」。「独裁」を不必 要にするものだ」としたことこそ、ベルンシュタインやカウツ キーらの「革命」理論のひとつの最大の特徴であったからであ る。
第二に、綱領は、「国会を反動支配の道具から人民に奉仕す る道具にかえ」ることの革命運動の発展過程全体にたいする意 義を「革命の条件をさらに有利にすることができる」と正確に 規定し、それがけっしてまだ革命の達成や人民による権力の獲 得を意味するものではないことを明確にしている。
さらに綱領は、民族民主統一戦線政府をつくることが「アメ リカ帝国主義と日本反動勢力のあらゆる妨害に抗しての闘争」 であること、さらにこの政府を革命権力につよめる土台は「当 面するこの人民の民主主義革命の目標と任務にむかっての、民 主勢力の広範な統一と大衆闘争の前進」にあることをはっきり 指摘し、革命が平和的形態をとろうと非平和的形態をとろうと 、その主要な推進力が、労働者階級と人民の議会外の革命的大 衆闘争の発展、民族民主統一戦線の革命的力量の成長にあるこ とをあきらかにしている。
これにたいして、第二インターナショナルの日和見主義者た ちは、革命的大衆闘争の意義を否認し、議会の多数を獲得する ことをそのまま国家権力の獲得と同一視し、理論的にも実践的 にも、革命を議会闘争に解消してしまったのである。
たとえば、カウツキーは、労働者階級の「政治闘争の目標」 を、「議会内で多数者を獲得することによって国家権力をたた かいとること」および「議会を政府の主人にたかめること」だ と規定したが、レーニンは、カウツキーのこの規定を、口先で は革命を承認しながら実際にはそれを否認する「純然たる、卑 属きわまる日和見主義」として批判した。
第三に、綱領は、人民が権力をにぎったときに、現在の国家 機関をそのまま利用することはできず、軍事的.官僚的機構を 粉砕し、これを新しい民主的な国家機構におきかえなければな らないというマルクス・レーニン主義の革命的原則に忠実に、 反動的な国家機構を根本的に変革することが、革命権力の主要 な任務のひとつになることを、具体的に指摘している。
「労働者、農民を中心とする人民の民主連合独裁の性格をも つこの権力は、世界の平和、民主主義、社会主義の勢力と連帯 して独立と民主主義の任務をなしとげ、独占資本の政治的経済 的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、反動的国家機構を根 本的に変革して人民共和国をつくり、名実ともに国会を国の最 高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する」。(日本共 産党綱領)
そして、「あらゆる真の人民革命の前提条件」としての官僚 的、軍事的機構の破壊の問題こそ、第二インターナショナルの あらゆる日和見主義者が最後までみとめようとしなかった問題 であった。「プロレタリアートはこの機構(常備軍、警察、官 僚制度)を粉砕しなければならない。これは、日和見主義者(社 会愛国主義者)とカウツキー主義者(社会平和主義者)が異論を となえるか、あるいはごまかそうとしていることである」
綱領のこれらの命題を全体としてみるならば、国会の利用に ついての綱領の路線がマルクス・レーニン主義の革命的原則に つらぬかれたものであって、革命を「議会の多数獲得」に解消 する第二インターナショナル流の日和見主義的「議会主義」の 路線などとひとかけらの共通点もないことは明白であろう。
これを「議会主義」への転落だなどといって非難するものは 、それによって、自分たちが議会の革命的利用に反対する無政 府主義の立場に転落していることを、証明しているだけなので ある。 (極左日和見主義の中傷と挑発)
つまり、権力獲得の方法、革命を議会での多数獲得の問 題に解消してしまうかどうか、既存の国家機構を粉砕するかど うか、この3点に対する違いが共産主義と社会民主主義の分水 嶺となる。しかし、最近の共産党指導部はこの立場を大きく逸 脱しており、この時批判した第二インターナショナルと同じ立 場に陥っている。筆坂氏の見解もこの延長線上にあるのではな いか。
法律に依る改良の仕事は長期間に亘って行なわ れる革命であり、革命は短縮された改良であると想像すること は、全く誤りであり完全に非歴史的である。社会革命と法律に 依る改良とは継続の期間によって区別される要因ではなく、そ の本質によって区別される要因である。
政治的な暴力を行使して行なわれた歴史上の諸変革の秘密の 全ては、まさしく、単なる量的な変化が新たな質へと急速に変 化していくということ、具体的に言うと、一つの歴史時代が他 の歴史時代へと、または一つの社会構成体が他の社会構成体へ と移行するということにある。
そこで、政治権力の奪取や社会の変革の代わりに、またそれ に反対して、法律に依る改良の方法に賛成する人は、実際には 同じ目的に向かっての、より温和で確実なより緩やかな道をと っているのではなく、他の目的を、つまり、新たな社会構成体 を打ち立てる代わりに、単に旧い社会構成体の内部での取るに 足りない改革の方を選択しているのだ。こうして修正主義の政 治的見解については、その経済的理論についてと同様の結論に 到達する。
結局それは、社会主義制度の実現を目指すものではなく、単 に資本主義制度の改良を目指しており、賃金制度の廃止ではな く、搾取の程度の大小を、要するに資本主義の弊害の除去を目 指し資本主義そのものの廃止を目的としていない、という結論 に行き着く。略
プロレタリアは、資本のくびきにつながれるのに、如何なる 法律に依って強要されている訳でもないのであり、貧困によっ て、生産手段を所有していないことによってつながれているの だ。プロレタリアは生産手段を法律に依って奪われたのではな く、経済的な発展によって奪われたのであるから、ブルジョア 社会の限界内では、どのような法律に依ってもプロレタリアに 生産手段を与えることはできない。
更に、賃金関係に内在する搾取も法律に基づいたものではな い。というのも、賃金の額は法律の規定に基づいて決定される ものではなく、経済的な要因によって決定されるものなのだか ら。そして搾取という事実そのものが法律の規定に基づいてい るのではなく、労働力が商品として、中でも価値というしかも 労働者が自己の生活資料のために費やす以上の価値を生み出す という、好都合な特性を持った商品として現れるという経済的 な事実に基づいている。
要するに資本主義的な階級支配の根本的関係は、ブルジョア 的な法律に起因するものではなく、このような法律の形態をと っているものではないから、ブルジョア的な基礎の上での法律 に依る改良などで変革することはできないのだ。(社会改良か 革命か ローザ・ルクセンブルグ)