アリョーハさん、丁寧なお返事ありがとうございます。
私の主張が共産党の政治路線とはおおよそ同一のものであることを理解していただけたこと、それ故にか帝国社民・カウッキー主義者といった、単純・低次元の決めつけをさけていること、各種データや具体的事実に基づく議論を展開されていることなどから、あなたとの議論は有意義なものになることを期待できそうです。
あなたの問題提起はとても重要なものですが、その全てにお答えできるかは、わかりません。しかし、できる範囲でお答えしていきます。
1、社会保障の財源問題と消費税
これこそがもっとも階級的立場を鋭く問われる問題だろうと思っています。
そして、消費税はブルジョアジーとの妥協の側面がかなりあると思っています。
いうまでもなく消費税は低所得者ほど、その実効税負担が高くなる税制です。つまり、階級的な視点で言うと、労働者人民がもっとも多く負担するという反労働者的・反民主的な制度です。
(それゆえに、医療・教育・食料といった生活に直結した部分での非課税や、低減税率が採用されているのですが。)
こうした・・消費税を福祉目的税にせよ!・・という主張は、社会保障を歴史的かつ根本的に後退させるもので、これでは単なる、同一階級内での互助・共済制度になるわけです。
しかし、歴史的に見ても、社会保障あるいは、それ以前の各種救貧制度(19世紀の英国の救貧法・工場法・公衆衛生法等)でも、基本的には、その制度実施のための原資・資金はブルジョアジーの利得からの(企業利得からと税からの)拠出・持ち出しだったのです。
独でも、有名なビスマルクの社会改良の諸制度も一部労働者からの拠出はあったが、基本はブルジョアジー側(企業側からの拠出と政府側からのつまり、税からの拠出)の利得からの拠出金がその原資だったのです。それだからこそ、”アメとムチ”と呼ばれたのです。
つまり、労働者にとっては、そうした制度はだからこそ”アメ”だったのです。
言い換えると、異なる階級間(この場合、ブルジョアと労働者間)の所得の再分配構造を必ず含有していたのです。
もちろん、ブルジョアから、労働者階級への所得の再分配です。
これが歴史的事実です。
ところが、北欧をはじめ、西欧の多くの諸国で高率の消費税が採用されています。
ですから、ここには最初に述べたようにブルジョア側との妥協があると思います。(こういうところが社民的なのですが)
私はそうした消費税に頼る必要はないと思います。
そして、それは現在の共産党の立場でもあります。
実際に西欧・北欧の高率消費税と社会保障の関係を具体的データで見てみると、巷で言われている程に、消費税で社会保障の財源をまかなっているのではないことがわかります。
以下は共産党が主導する”消費税をなくす全国の会”の<消費税>
・・15ページ 各国の社会保障財源のうちわけ・・から、
英国 消費税率 17.5%
所得税や法人税等 36,7%
事業主負担 (ブルジョアの利得から) 30,2%
労働者本人負担 21,4%
消費税から、 10,3%
そのほか 1,3%
独 消費税率 16%
事業主負担 36,9%
労働者本人負担 28,2%
所得税・法人税(法人税は資本家の利得)22,7%
消費税から 9,8%
そのほか 2,4%
仏 消費税率 19,6%
事業主負担 45,9%
所得税・法人税 26,8%
労働者本人 20,6%
消費税から 3,8%
そのほか 2,9%
スエーデン 消費税率 25%
事業主負担 39,7%
所得税・法人税 38,0%
労働者本人負担 9,4%
消費税から 8,6%
そのほか 4,3%
となっており、消費税からの拠出額はだいたい10%以下、スエーデンの場合は4,3%なのです。
ですから、これは主たる財源ではありません。
単なるブルジョア側との戦術的な妥協の産物であり、同時に消費税がなくても社会保障の財源は確保できるということをしめしており、巷の喧伝の逆の証明となっていると思います。
また、これは英国の例ですが、以下に、軽減税の適用項目を紹介します。
ゼロ税率
食料品(家畜向けの飼料を含む)
子供用品 旅客輸送
住宅建設 書籍 新聞
非課税
個人住宅家賃 医療 教育
福祉 郵便など
軽減税率 5%
家庭用燃料 電力など
となっており、相当広範囲の適用項目が消費税の重圧から除外されていることがわかります。
また、このことはさらに、所詮消費税などでは社会福祉の資金は到底まかなえるものではなく、もし、主として、消費税でまかなうとすれば、その社会福祉のレベルはいまより、はるかに縮小せざるを得ない(おそらく19世紀の救貧制のレベルまでの後退)というおそるべき結論を導きだしているとも言えるでしょう。
このように、社会保障とその財源問題を考えると、社会保障とは基本的には、異なる階級間の、つまり、資本家から労働者人民への所得(利得)の再分配なのであり、それ以外では支えきれない、つまり、それ以外ではありえないのです。
すなわち、極めて階級的な問題なのです。
この階級的な視点が非常に重要なのです。
いかにレーニンやマルクスの言葉を理解し、そらんじていても、こうした生きた現代の問題で、労働者階級の立場に立ちうるかどうかが各議論参加者の階級性・革命性を現す試金石ともなっているのです。
したがって、共産党や私自身は労働者階級の立場・即ち革命派の立場に立っていると思っています。
連合氏(あなたは反戦氏と呼びますが)は、
・・福祉国家体制が経済政策的にも財政政策的にも限界を生じて持たなくなってきている・・高度成長の終焉によってその社会政策の基盤そのものが瓦解している・・改良主義的なものは現実掘り崩され、後退しているという事実に基づかないとナンセンスです。・・
と主張しています。そして、さらに、踏み込んで、その理由として、
・・改良主義的なあり方はやっていけないと帝国主義国側は悲鳴をあげている・・だの、・・帝国主義ブルジョアじーはそういうものを認知しないでしょう。・・
などともっぱら、階級としてはブルジョア階級の思惑のみを根拠として主張しているのですから、そこにはこの社会保障をめぐる鋭い階級対立の中での反戦氏の立場が帝国主義ブルジョアジーの側であって、決して労働者人民の側ではないことがハッキリとわかるのです。
こうした立場から、反戦氏は
・・改良主義的なありかたなどはありえないのだ・・と絶叫するまでになっています。
そこで、私、はそれなら、反戦氏の立場は
・・俺たちが受けている社会保障や福祉のせいで社会が持たなくなっているのだって?改良などはありえないのだって?それなら、俺たちが闘っている、賃上げや雇用の確保・拡充やあらゆる労働条件の改善だってありえないということになるではないか・・
という立場になると指摘したわけです。
そして私の立場は
・・だぶついているブルジョアの資金・資本を俺たちに(労働条件の改善)そして、社会に(社会保障の拡充)還元せよ!!・・・
ということなのであると指摘・主張したのです。
なお、巨額の財政赤字とそれを補う巨額の累積債務の存在はそれ自体はブルジョア側の莫大な資本・資金がだぶついているという証左であって、(国債とはそのだぶついた資本・資金の国営投資市場です)新自由主義政策の現れなのですが、だからこそ、ブルジョアへの課税・徴税のみが唯一の解決策であるし逆に言えばそうすれば、十分に解決できる問題であることの証明になっていると思っています。(つまり、それでも国家破産しないでいる。後進国ならとっくに破産しているハズ)
この問題も階級的視点がきわめて重要なのは言うまでもありません。
そして、反戦氏はここでも、財政赤字の主因がそうした高度福祉国家体制にあるというのですから、つまりは資本家から、労働者人民への所得の再分配が重たすぎる(誰にとって?資本家にとってです!)からであって、そうしたありかたは瓦解しており、社会が持たないと言っているのですよ。
しかし、事実は新自由主義を強く進める米日両国が財政破産し、高度な社会保障を維持している、北欧諸国は財政が極めて安定しているのです。こうして考えてみるとこれはむしろ、あたりまえのことなのですが、、。
ここで、ついでに、こうした生きた現代の問題に対して、労働者階級の立場・革命派の立場を貫いているのは共産党だけではないということを一つ示しておきましょう。
以前紹介しましたが、革命的共産主義者同盟中央委員会派の回答者氏の立場です。(第4インター・かけはし派に所属しています)
必ずしも第4インター・かけはし派の共通認識ではないかもしれませんが、、。
・・・私たちは戦後、社民主義政党が主要な政治推進力となって、欧州などで実現した<福祉国家>は、労働者階級の闘いが獲得した大きな成果!だったと考えています。たとえ、それが、旧ソ連圏の拡大に脅威を感じた資本家階級の妥協の産物であったとしてもです。
しかし、今問題となっているのは、新自由主義のもとで、欧州社民自身が多くの場合、自らその成果を解体しようとしていることなのです。社民政党のこうした政策に対して、社民政権が実現した成果を防衛し、その権利を発展させようとしているところに、今日の反グローバリゼイション運動のひとつの特徴があります。したがって、労働者・市民の民主主義的権利を発展させ、真の公正な社会を目指そうとする闘いには、社民主義の支持者も参加しています。ドイツで今回の左翼等のをもたらした要因には、ドイツ社民党の新自由主義政策を批判して離党したラフォンテーヌら左派社民の合流があります。私たちの新しい社会主義を目指す闘いには当然こうした人々も含まれるでしょう。問題は<グローバリゼイション>を避けることのできない<必然>として、あらかじめその枠内に自己限定するのか(右派社民の立場><平和・人権・公正・民主主義>をベースに自らの理念と要求を貫くのかということです。 私はこのような闘いは、資本主義の枠組みを超えた<新しい社会>を提起することになると考えています。・・・
(こうした立場は反戦氏に言わせると、帝国社民・カウッキー主義者に他ならない、、のかもしれませんね。)
彼らの立場は私にも近いものですが、同時に共産党にももちろん近いものであると思います。共産党の旧綱領の立場に近いかもしれません。さらに、スターリニズムのあらゆる現われにも厳しく反対するという立場から、中国に対しても厳しい批判的な立場をもっていますが、これは私も今の共産党の見解は間違っていると思います。
ですから、私の立場はどうもこのかけはし派の回答者氏の立場に近いのかなと感じている次第です。