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アメリカはイラク・ハイチから撤退せよ!

2006/06/22 パルタ 30代

イラクとあまりにも酷似するハイチの状況↓
人権・労組活動家グループがハイチ駐留国連軍による大量虐殺容疑について国連に調査を要求
http://www.janjan.jp/world/0507/0507249938/1.php
【国連IPS=ハイダー・リズヴィ、7月14日】より抜粋

 今月初旬、労働会議に参加するためサンフランシスコ労働協議会によってハイチに派遣された活動家グループは、ポルトープランスの最貧困地区のひとつであるシテソレイユにおいて7月6日、国連平和維持部隊が「大量虐殺」を行ったことを立証する証拠を持っていると語った。
 「国連平和維持部隊による大領虐殺の証拠は実質的で、説得力のあるもの」と、7月10日にハイチから帰国した活動家S.ドネリーはIPSの取材に応えて語った。「まったく公式見解と相反する」
 7月6日の事件直後、ハイチ駐留の国連部隊高官らは、オペレーションはポルトープランスで活動する「ギャングを捜し出すことを目的とする」ものだったと説明、部隊の行動の正当化に努めた。国連ハイチ安定化ミッション(UNSMH)のスポークスマンは、オペレーションで「ギャング数名を殺害あるいは負傷させた」と述べた。
 しかし、多数の地元住民をはじめ、医師、人権活動家にインタビューしたドネリーと彼の同僚は、死者の多くは無実の市民で、国連部隊が襲撃をした時には一切武装していなかったと述べている。
 民主的に選出されたジャン=ベルトラン・アリスティド前大統領が追放されて以来、ハイチでは暴力が拡大化している。現在南アフリカに亡命中のハイチ前大統領は、アリスティド政権を転覆したとして米政府を繰り返し非難しており、2004年2月18日に米軍によって誘拐されたと申し立てている。
 ハイチ情勢の専門家によれば、アリスティド前大統領が政権の座を追われてから、シテソレイユをはじめとする貧困地区の住民は、ハイチ警察から厳しい弾圧を受けている。中には裁判を受けることもなく殺害されている人たちもいる。住民をこうした警察の抑圧から護るため、多くの若者が独自の武装集団を結成、当局からは「ギャング」と呼ばれている。
 国連ハイチ安定化ミッションは、こうした武装集団に対して武装放棄を要求している一方で、ポルトープランスの貧困地区の住民を恐怖に陥れている警察部隊を抑制できないままだ、と一部評論家は指摘する。
 「ギャングたちが国連部隊兵士に挑んできた。彼らは大きな痛手を負い、私たちは家に5体の遺体が残されているのを発見した」と、オペレーションの翌日、国連平和維持部隊のスポークスマンE. Boulbars大佐は記者に説明した。
 住民によれば、国連部隊は、オペレーションでヘリコプター、戦車、マシンガン、催涙ガスを使用、昨年、平和維持部隊がハイチに派遣されて以来もっとも多くの死者を出した襲撃と評している。現在ハイチには、7,000人以上の国連平和維持部隊が駐留している。
 「国連のオペレーションが行われたときその場に居合わせたハイチ人住民が撮影した映像を見たが、殺害されたたくさんの遺体が映し出されていた。少なくとも10人の武器を持たない人たちが殺害されている様子を確認することができる」とドネリーは語る。
 ドネリーらは、住民や医療救援活動に従事している関係者の他、国連平和維持部隊の高官、Heleno中将とMorneau大佐にも話を聞いている。高官2人は、オペレーションはシテソレイユの武装集団のひとつを指揮するDread Wilmeを捕えるためであったと、その目的を説明した。
 国連も暫定政府もDread Wilmeをギャングと称している。しかし多くの住民から見れば、コミュニティのことを思いやる人望厚いリーダーであった。7月9日に執り行われた葬儀には、ポルトープランスの住民何千人もが参列した。
 活動家は、シテソレイユで集めた証言やビデオは、家族が遺体を埋葬した5人に加え、少なくとも20人が国連のオペレーション中またはその後に殺害されたことを示唆するもの、と述べている。
(以下略)
http://ipsnews.net/news.asp?idnews=29506
サンフランシスコ労働協議会(San Francisco Labour Council):http://www.sflaborcouncil.org/
国連ハイチ安定化ミッション(United Nations Stabilisation Mission in Haiti):http://www.un.org/Depts/dpko/missions/minustah/

ハイチ:誘拐・襲撃等の脅威(外務省 海外安全ホームページ)
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info.asp?num=2005C217より抜粋

1.最近ハイチにおいては、報道等によると、下記のとおり誘拐・襲撃事件が多発しています。
(1)4月14日、アリスティド前大統領支持者の拠点シテ・ソレイユ市で、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)のフィリピン人兵士1人が銃撃され死亡しました。
(2)4月28日、首都ポルトープランスで、武装集団が左翼政党「民族復興運動」の党首を誘拐しました(翌日解放)。
(3)5月4日、MINUSTAHの報道官は、首都ポルトープランス及びその周辺地域において、ロシア人の国連委託職員及びインド人実業家の計2人が誘拐されました旨発表しました。
(4)5月24日、カナダ人1人が誘拐されました(25日に解放)。
(5)5月25日、首都ポルトープランスで、(イ)ハイチ人医師1人が白昼、誘拐されました。(ロ)米国大使館の公用車が何者かに銃撃されました。
2.現在ハイチにおいては、武装集団及びギャング集団が外国人を含む民間人等を対象とした犯罪を行っており、上記1.のとおり、特に本年4月以降、多数の誘拐・襲撃事件が発生しています。また、2005年10月から12月には、大統領選挙を始め各選挙が行われる予定であり、同選挙に向けて、更に治安が悪くなることが懸念されます。

ハイチ:2004年クーデター
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/haiti0403b.htmlより抜粋

MADRE背景説明の要約  今回のクーデター前、2000年以来、ハイチでは政治的危機が醸成されていた。2004年2月、ジャン・ベルトラン・アリスティド大統領追放を狙う武装グループがハイチの町々を襲撃し数十名以上の人々を殺し、2月29日、アリスティド大統領は国外に脱出した。町々は現在、元準軍組織のメンバーからなる犯罪ギャングの手にあり、そのもとで人々の安全が心配されている。というのも、ギャングたちは道路封鎖をしたり電話連絡を切断したり、刑務所を開放したり、食料援助のコンボイを阻止しているからである。
 2000年---ジョージ・ブッシュが米国大統領の座を盗み取ったと同じ年---、ハイチは全国の7500のポストをめぐる選挙を行なった。選挙監視者は、上院議員議席7議席の当選者について、その正当性に疑問を呈した。アリスティド大統領は当初それを否定したが、その後それを認め、7名の上院議員は辞職した。アリスティドの進歩的経済アジェンダに常々反対していたハイチのエリートたちは、この論争を、アリスティド政府を倒す機会として捕らえた。
 2001年以来、ハイチにいる人権活動家や人道ワーカたちは、反アリスティド自警団が、国営発電所、診療所や警察、政府の車両を襲撃し、政府職員やそばにいた人を殺す事件を多数報告してきた。米国政府は、こうした殺害をまったく非難しなかった。
 2004年1月、反対派は抗議行動をエスカレートさせた。いくつかのデモでは、ハイチの貧困層を代表する政府支持者たちが、反対派を襲撃した。このときになって始めて、米国国務長官コリン・パウエルは、一方的に「戦闘的アリスティド支持者」を非難する発表をした。
 反アリスティド勢力というのは、ベネスエラの反チャペス「勢力」と同様、まったくの少数派である(2000年の世論調査では、8%に過ぎない)。民主的選挙で勝つチャンスがまったくないため、反対派は政治的危機を醸し出す暴力的手段に訴えて政府を転覆しようとしてきた。国際的なビジネスとのリンク、とりわけ企業メディアを使って、反対派は、自らがハイチにおける民主主義の真のチャンピオンであるというイメージを作り出してきた。
 ハイチを制圧しているギャングたちは、伝えられるところによると、米国製M-16で武装しているという。これは、米国政府が最近ドミニカ共和国に送ったものである。ギャングたちは、ブッシュ政権が資金援助している民主コンバージェンスやG-184といったグループと直接関係をもっている。西半球問題委員会(Council on Hemispheric Affairs)によると、反アリスティド派の「唯一の政策目標は、軍の再建と厳しい構造調整プログラムの適用である」。
 民主コンバージェンスは元FRAPHの準軍組織指導者(CIAの訓練を受け資金を受けたFRAPHは1991年クーデターでアリスティドを追放し、その後の4年間に5000人の民間人を殺した)に率いられ、ハイチのエリート層および米国民主主義資金(NED)と国際共和研究所(IRI)を通して米国共和党が支持している[2001年2月2日のワシントン・ポスト紙記事には、民主コンバージェンスがIRIから支援を得ているとある。IRIについては米国民主党に近い民主主義促進の組織(ママ)とあるが]。
 G-184はデュバリエ支持者の米国市民アンディ・アペド(ハイチのパスポートをハイチで生まれたと偽ってごまかして入手した人物)を代表年ている。アペドはハイチに15の工場を有し、アリスティドが2003年に行なった最低賃金引き上げキャンペーンに反対した中心人物である(一日1ドル60セントの最低賃金は10年前よりも低い)。
 米国は、ハイチの政治的難局の解決に際し、いちいち全てについて、こうした反アリスティド勢力を含めることを要求することで、反アリスティド勢力を勢いづけてきた。反対派がハイチの政治的窮状を維持し続ける一方、米国の経済封鎖はハイチの経済的困窮を確実なものとした。反アリスティド派は、これらによって、民主的な選挙では達成できないアリスティド追放という目的を達成しようとしたのである。

ハイチで何が起きているかがわかりにくい理由はいくつかある。
1.メディアの操作
 反対派はメディアでアリスティドが専制的であり反対派は民主的な自由の戦士であるというイメージを作り出した。例えば、国際メディアは、反アリスティド派を、デュバリエ独裁を転覆した運動になぞらえるような報道を行なった。ハイチ政府は政府支持者による反対派への暴力を批判したが、国際メディアはそれを取り上げなかった。
 ハイチに関するニュースの多くは、ロイターやAPといった大通信社のものである。これら通信社は、ハイチのエリートが所有する、ラジオ・メトロポルやテレハイチ、ラジオ・カリベ、ラジオ・ビジョン2000、ラジオ・キスキヤといったメディアを情報源としている。これらメディアは、反アリスティド派が所有している。例えば、アンディ・アペドはテレハイチを所有している。
2.米国の二枚舌
 ブッシュは米国永年の伝統である、一方で民主主義を尊重するとかたりながら他方で非民主的な親ビジネス勢力を支援するという二枚舌を使っている。米国は反アリスティド派に選挙に参加しないよう奨励し、同時に、ハイチの選挙は反対派が参加したときに始めて正当なものと見なすと宣言している。
 パウエルは米国はハイチの体制変更に関心がないといいながら、米国政府はメディアの情報操作キャンペーンを支持し、ハイチの貧しい人々に餓えと病気を悪化させる経済封鎖を維持しながら、何十人もの人々を既に殺してきた武装ギャングのスポンサーを支援している。米国はデュバリエ独裁を長い間支持してきた。アリスティドが民主的選挙で1990年大統領に選ばれたとき、米国はクーデター実行者たちを支持した。1994年人々の圧力とハイチ難民の処置に困ったクリントンは嫌々ながらアリスティドを復帰させる介入「ショー」を上演した。 共和党はこの介入に反対していた。1995年共和党が議会で多数派となったとき、ハイチに対する米国の援助をキャンセルさせ、アリスティドに反対するハイチのNGOに資金を割り当てた。2000年、米国共和党ハ、ハイチの選挙をめぐる論争を、アリスティドの信憑性を失わせるキャンペーンに利用した。ブッシュ政権は汎米開発銀行に圧力を欠けて、ハイチに対する開発援助と承認された貸付6500万ドル以上をキャンセルさせた---この金は、安全な飲み水と識字プログラム、保健サービスに用いられる予定だった。不正の批判を浴びた7人の上院議員が辞任してからも、ずっと経済封鎖は続けられた。
 アリスティドはどうだったか? 米国は、アリスティドがネオリベラル経済政策に従うという条件で彼を復帰させた。アリスティドは米国の要求の一部に従い、米国産米の完全を引き下げて何千人ものハイチ農民を破産に追い込み、食べていくことができるよりも低い最低賃金を維持した。けれども、国営資源の私営化に対してアリスティドは抵抗した。彼の支持層から抗議があり、また富の源に対する統制を諦めたくなかったからである。
 さらにアリスティドは最低賃金を二倍にし、経済封鎖にもかかわらず教育と保険を優先項目とした。学校を建設し公立病院を改善し、新たなHIV試験センターと医師訓練プログラムを導入し、教科書と制服への補助金プログラムを導入し、学校給食と通学バスを拡大した。 アリスティドはネオリベラル政策を求める米国と、自らの進歩的経済アジェンダとの間でバランスを取って進もうとしたのである。そのため、彼は、自らの支持基盤の一部からの米・ハイチのエリートたちからも支持されなくなった。
 アリスティドはまた、支持層が犯した人権侵害には目をつぶり、忠誠を誓うものに資格にかかわらず政府のポストを提供したことで批判されている(このパトロン体制は、ブッシュ政権が元CEOと企業ロビイストで政府ポストを埋めたよりも包括的であった)。
 進歩的な人々はアリスティドを支持すべきだろうか? 現在の危機は、アリスティドを支持するかしないかをめぐるものではなく、立憲民主制を守るかどうかに関するものである。民主主義のもとでは、最低限、自警暴力集団ではなく選挙が、「人々の意志」を計る基準であるべきである。アリスティドは繰り返し、反対派に選挙に参加するよう呼びかけてきたが、それを拒否したのは、選挙では勝てないと知っていた反対派である。

 強制的に元首が退任させられ、国民が弾圧されたのはハイチもイラクと全く同じであり、イラクと共にハイチからも多国籍軍は撤退せねばならない。