本筋に関係ないことですがまたまた一言言わせてもらいます。
>あれは、論争のテクニックでして、アリョーハ氏主宰の掲示板で特定の価値観をもった者以外は締め出す決まりだからかまわないとの、氏の意見に対する反論として、もしそうした前提(「ある団体内で決められたことは守るべきだ」)に立つなら、一般論として「日本人なら日の丸・君が代は尊重しないといけない」「現憲法には改定のルールもあるのだから国民投票法案を支持しないとならない」と論理に対抗できないだろう、と主張したまでのことです。
あなたの意見は矛盾しています。「アリョーハ氏主宰の掲示板で特定の価値観をもった者以外は締め出す決まりだからかまわない」とのことですが、あなたは以前これとは違う発言をしています。
「私はアリョーハ氏の掲示板が存在するのか知らない、したがって投稿もしてないし、排除された経験もない。」(いつもながらのすり替えは困る>アリョーハ氏に2006/05/26 )
「アリョーハ氏の掲示板が存在するのか知らない」人が「アリョーハ氏主宰の掲示板で特定の価値観をもった者以外は締め出す決まりだからかまわない」とアリョーハ氏が言っていることが理解できるのか。私にはサッパリ分かりません。
あなたがアリョーハ氏の掲示板の存在を知っているならはっきりその事実を提示した方がよろしいと思います。
またアリョーハ氏は「アリョーハ氏主宰の掲示板で特定の価値観をもった者以外は締め出す決まりだからかまわない」なんてことは言っていません。
アリョーハ氏の言っていることは以下の通りです。
【「通行人」氏が主張している自由というのは、自分の見解を他人のサイトで主張する自由のことだ、というのですから、当然そのサイトに対する強制を含んでいるでしょう。(強制はしないといっても、認めないことは許しがたいと恫喝するのですから同じことです)そしてこの種の「自由」は他人に対する強制を含んでいるという点で、本来の自由の概念とはだいぶ違います。
これは自民党の機関紙で共産党の見解を発表させろ、と要求することと同じであり、創価学会の『聖教新聞』に池田大作の悪行の数々を暴露させろ、と要求すること、と同じであり、右翼の機関紙に天皇制廃止要求の広告をのせろ、と要求しているのと同じであり、中核派の機関紙『前進』に「反革命ポンタ(故本多委員長)は殺されて当然だった」という意見を載せろと要求するのと同じです。】(「通行人」氏の自由の概念はおかしい2006/05/21)
下の具体例に似た事例としてはサンケイ新聞対日本共産党反論権訴訟が思い出されます。この裁判では意見広告問題と表現の自由が主に問われました。そして原告の日本共産党敗訴という判決が出ています。