腐れ縁朝日と、みのもんたにいらだつことである。
6月9日、ザルカウィ容疑者殺害と、メディアは誇らしげに報道する。イラクで「スンニ派とシーア派は連携をしよう」とよびかけ、「米軍の罠にはまらないように」と、イラク人民の士気を鼓舞してきたとされるザルカウィ氏である。
もっとも、ブッシュのテロ戦争に「都合のいいときだけ利用される映像」だが、今回もまた、とってつけたように、氏とビンラディンの写真が流れる。
巷の犯罪写真のように、その顔写真は限られているためか、「鬼畜」に見せるのも限界がある故、どうみても、人間以外にはみえない。むしろ、その表情には人間らしい慈愛さえ感じられる。
それにしても、精密誘導装置で、必ず、民間人を道連れにして空爆処刑する米軍の意図はなんだろうか。
ビンラディンも然り。フセインも然り。数キロ先の無視一匹さえ逃がさぬと豪語するハイテク兵器を操り、アフガニスタンを廃墟にし、イラクの民衆を20万人以上殺し(米軍の報告でさえ4万人)、拷問し、殺戮する。
首謀者をただ殺すだけでは、その目的が達せられないということであろう。否、首謀者を生きて捕らえ、戦争の、米軍の真実を喋られては困るということが先だろうか。
米国のこれまでの戦争は、必ず、仮想敵国を作りだし、その国の反乱分子を利用し、同胞を殺す戦争に加担させる常套手段である。「民主主義」の名の下に、異議申し立て者と心ある民衆をを徹底的に空爆で威嚇し、そのリーダーを見せしめに殺す。利用するだけ利用してから殺す。この際、全滅はご法度。軍需産業が程よく回る程度の抵抗勢力は最後まで残す作戦である。
米国では、イラク戦争で戦死した息子の母親が、また、イラク帰還兵士自らが、反戦の声をあげている。そのデモも、何万人、何十万人とあつまるという。
韓国でも、芸能人が軍隊に任務する映像が流れるが、殺戮部隊である軍隊に従事するという認識が、どうして薄いのだろうか。構造的な軍隊経験をするということは、米軍の殺戮に加担する人殺し訓練をするということなのである。米軍のこれまでの戦争の経緯を学習すれば、いい加減分かりそうなものであろう。朝鮮戦争は同胞どうし殺しあい、そして今の拉致問題があるのではないか。ことに米国は、ベトナム戦争という生々しい記憶の後遺症があるはずである。
主権者は言わずもがな、一般民衆は、当事者もまたその母親も、米国の戦争に加わった帰還兵たちがどういう状態なのか、いやでも分かっているはずである。兵士の中には精神病患者や病気で苦しむ人々がいる一方、今回も何千人という脱走兵がいた。
米国では、軍隊経験をすれば教育の無償供与やその他特権が与えられるというが、病気になれば放置され、ホームレスに転落も珍しくないこの国の制度は、今に始まったことではない。
日本のように、ここしばらくは一応、金以外では、戦場でドンパチやったことがない民族が、今、教育勅語を掲げ、戦争のできる体制に憲法を変えようと必死である。
所詮、日本も米国も、また、他の国も、あらゆる物事の根源を直視せず、過去を教訓とせず、成り行き任せのゆで蛙化を所望するようである。
我々の何百、何千人という勇気ある人々が、小林多喜二をはじめとして己を犠牲にして、このザルカウィのように、信念に殉じてきたか。その国個々の事情はあれ、空爆や国家暴力と戦う時の捨て身の精神は、同じであろう。
メディア、ことに朝日は、派手派でしく「言葉の力」だの、ジャーナリズム宣言などと銘打つからには、真にエリを正してからにしてほしい。夕刊では、韓国拉致被害者の家族が「息子にあいたい、韓国政府にも北朝鮮政府にも感謝する」という事実を載せているが、朝刊では、北朝鮮の取引のように扱っている。取引は外交の要であろうし、なにも、北朝鮮だけではないだろう。
あまりにも、本末転倒な、ジャーナリズム精神にかける報道に接すると、本当に憂鬱になる。
テレビでは、民族差別第一級のみのもんた氏が、ちょこっと、「憲法はいいもんだなあ」と、つぶやけば、どこかのこれまたジャーナリスト出身者が、最大級の賞賛をする。世論に媚びたみのもんたが「憲法を呟くほどになったか」という事実は歓迎するが、こんな男は、世論の風向きが変わればころっとかわるのである。憲法の何たるかも分からずに、大衆の代表言辞を弄するみのもんた氏の顔が、私にはある動物に酷似してきたと痛感する。
ロンドンテロのとき、「罪のない犠牲者」を侮蔑したのはみのもんたである。