『日本共産党』の「共産党の存在意義とは」以下のように書いている。
2005年9月19日に逝去された後藤田正春氏が「共産党は名前を変えて、社民党と一緒になって社会主義的政策を要求する政党になれば良い」という趣旨の発言を以前テレビでなさっていた。日本共産党がこの提言を受け入れるとは思わない。党名を変えることは固く拒絶している。たしかに良くも悪くも"歴史と伝統ある名前"であることは事実だ。
だがあまりにも臆病になりすぎてはいないか。私自身、少なくない支持者から「党名さへ変えればなあ」という訴えを何度も聞かされた。プラスイメージがないのだから当然である。「共産党」とか「共産主義」とかいう言葉は、明治の先人たちがつくった訳語ですが、もともとの言葉は、英語で「コミュニズム」だと不破氏も語っている。
私は、党自身「共産党」という名前に自縄自縛に陥っているように思えてならない。「共産党だからこうでなければならない」ということが多すぎる。もうこの呪縛から解き放たれて良いような気がする。
この中央委員、幹部会員、他の衆参両院の多くの質問づくりを手伝った政策委員長なる人物は、共産主義運動の原点を、そして何時、何故社会民主主義と決別しなければならなかったのか知らないのだろうか。
1914年8月4日戦時国債の発行にドイツ社会民主党国会議員団が賛成投票を行なった。これを認めるかどうか、つまり帝国主義的な侵略戦争に加担するどうかが共産主義と社会民主主義を分ける分水嶺である。
8月4日の国会で、ドイツ社会民主党は、「沈黙」をはるかに飛び越えて、極めて重大な歴史的役割を演じた。それは今度の戦争に於ける帝国主義のタイコモチという役割である。略
8月4日以来、社会民主党が戦争遂行のために尽くしてきた、そして今も日々果たしている働きは、測り知れないほど大きい。労働組合は、開戦と同時に一切の賃金闘争を棚上げし、社会不安防止のために軍当局が始めた保安上の処置を、「社会主義」だと褒めそやしている。
社会民主党の婦人党員たちは、これまでのアジテーション活動にすっかり見切りをつけ、ブルジョア的な愛国婦人と手をつないで、もっぱら、生活に困っている出征軍人の家族の援助に走りまわっている。
次に社会民主党の出版物を見ると、2、3の例外は別として、他のあらゆる新聞、週刊紙、月刊誌が、戦争は国民全体の問題だとか、プロレタリアートにとっても利益になるとか宣伝し、更に戦局がおかしくなれば、ロシア禍やら、ツアーリズムの恐怖やらを吹聴し、「信用できない老英国」をエサにして民族的偏見をかきたてたり、・・・・プロレタリアの青年に軍人精神や戦争意欲を吹き込んだり―要するに、人民大衆と世論を、尽く戦争イデオロギー一色に塗りつぶそうと精出している。
最後に、社会民主党の国会議員や幹部連は、戦争遂行のための戦費予算に賛成投票しただけでなく、人民の中から沸き起こった疑惑や批判のあらゆる不穏な動きを、「撹乱工作」の名の下に徹底的に抑圧し、そのくせ彼ら自身は、パンフレット、演説、論説などの個人的なルートを通じて、正真正銘のドイツ愛国精神を広め、影から政府を応援している―一体世界史の上で、これに似た現れ方をした戦争が、これまでただの一度でもあっただろうか?
これほどスムーズに、憲法に保証された諸権利を根こそぎ召し上げられた例があっただろうか?これほど厳しい出版物の検閲を、ドイツ社会民主党の機関紙に見られるような反体制の側からの讃歌で飾り立てた例が、これまでただの一度でもあっただろうか?これほど多くのピンダールたちを生んだ戦争はかつてなく、これほどの従順さに迎えられた軍部独裁も例がない。
また、戦争に反対して最後の血の一滴までも闘うのだと、全世界に向かって千遍も誓ったその政党が、突然熱にうかれて、これまでの成果を尽く、かつての敵である戦争の祭壇に捧げてしまうといったことも、これが初めてだ。(インターナショナルの再建 ローザ・ルクセンブルグ)
戦争政策に反対するかどうか、これこそが、社会民主主義と共産主義の分水嶺である。一部の社会民主主義化すれば、党内民主主義が確立するというような議論があるが、右傾化と党内民主主義は別個の問題です。特に日本共産党の場合、右傾化すればするほどますます硬直化して行くように思える。
もう一つの論点の改良主義の問題は改めて投稿します。