筆坂秀世氏が「左翼陣営」から「敵方」「右翼陣営」に移った、あるいは「転落した」(こういう言い方は既に世間では通用しないはず)というのは正しいとは思えない。
フジサンケイグループの右翼雑誌に登場したことが判断の一つの指標となったとは思う。が、2005年に除籍された萩原遼氏は文藝春秋にずっと前から登場していたが党員のままだった。萩原氏が「反動の側」になったとは思えない。また、その他の、離党、ないし除籍後に共産党批判の本等を出した人々、たとえば『査問』の川上徹氏、『汚名』『虚構』の油井喜夫氏、下里正樹氏、元民主主義文学同盟員の霜多正次氏、中里喜昭氏、あるいは宮地健一氏なども、「反動の側」になったなどとはとうてい思われない(藤岡信勝氏は90年代前半の「自由主義史観研究会」立ち上げの頃は明確ではなかったが、「つくる会」の結成で反動の側に移ったと思う。はじめは石橋湛山や司馬遼太郎を評価していたが、今はそれすらも投げ捨てている)。
批判者と敵対者を混同してはいけない(保守と反動も混同してはいけない。三浦銕太郎や石橋湛山、宇都宮篤馬は保守ではあるがきわめて良識ある民主主義者だった)。私も自分を批判者であると思っているが敵対者とは思っていない。
異論や批判に不寛容なままでは、多数派になるのは絶対無理だと思う。このような旧体質から即刻抜け出さないと、本当に消滅の一途をたどらざるを得なくなる。党中央は徐々に柔軟路線に進んだが、党自身の改革はなんら抜本的ではない。党自身の民主化は急務だ。もはや遅すぎたかもしれないが。