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一般投稿欄

本当の科学的社会主義とは何か?(アリョーハさんへのお返事に換えて)

2006/07/04 スカンジナビアン

 さて前回の続きだが、アリョーハさん自身は残念ながら前回 で最後とのことなので、今後は諸兄の皆さんに提供するつもり で議論を述べることとする。
 さて、アリョーハ氏曰く、
・・・統計の謎  その3
これは謎ではなく、見解の相違ということでしょうが、スカン ジナビアン氏は、ある国の社会保障の総額をその国の人口で割 った数を<一人当たりの社会保障の給付費>と呼んでいます。 しかし、<一人当たりのこれは社会保障負担額>と呼ぶべきで はないでしょうか。
 なぜなら、社会保障の給付は全ての人が負担しているが、す べての人が給付を受けているわけではないからです。
 病気になった人、労働できない人(失業者)、労働しない人 (年金生活者)、年をとった人、障害を持っている人、生活を 維持できない人、貧しい子供たち等、自己の労働によって生活を支えることができない人が<社会>から援助を受けるわけ です。・・・・
 これは、実に鋭い指摘で、まさに”立場”と歴史的・国際的 視点を問うているのです。
 私は何度も言いますが、医療界に身をおく立場で、この20年 間くらい、共産党やその周囲の諸団体と共に、医療・社会保障 をめぐる、まさに連続した厳しい攻撃と闘い続けてきた者なの ですが、上記のアリョーハさんの指摘はずっと、一貫して、問 われ続けた問題を含んでいるのである。
 つまり、これは日本の福祉行政が如何に貧困であるかという ことなのであり、アリョーハさんのような主張はその貧困な福 祉行政の”投影”されたものに他ならないのです。
 従って、非常に広範囲の国民がアリョーハさんの主張のよう な”実感”を持っている、いや持たされたいる、いやいや、” とりつかれて”いるといっても過言ではないでしょう。
 その”実感”からすると、選挙で、街頭で<福祉の充実を! >と訴えても、なんともしらけた顔をする人が非常に多いので す。若い人達などは敵意にみちた不快な顔を向ける人たちすら います。
 若い人達から見ると、自分らは負担させられるだけで、将来 は受けとれるかも分らない、それどころか、
・・・フリーターにアルバイト、良くて派遣で使い捨て、福祉 なんぞ、他人(そう他人だ!彼らにとっては)のために負担な んかできるわけがないだろう!このボケが、ああっ!?なんだ お前ら共産党かフン、北朝鮮とつながってるんだろう!どうせ ・・・
というわけです。(非常に危険なファシズムの予兆です)
 そう、実感からすると、まさに、<一人当たりの負担>=福 祉なのですよ。
 そして、ここに、追い詰められた国民の姿、若者たちの姿、 未来への展望を失った”絶望・諦め”を見ているということな のです。
 それに対して、いかなる魅力的な対案を示し、若者に希望を 与えることができるのかが問われているのです。
 それはもちろん、医療・福祉だけではありません。
 総合的な対案です。だから、民主党の分厚いマニフェストに 人々が群がったのであり、小泉劇場に真剣に踊り狂ったのです 。
 さて、ですから、アリョーハ氏の見解の立場では若者は希望 を持てるでしょうか?氏の立場はまさに、<一人当たりの福祉 費>=<一人当たりの負担>なのですから、ただでさえ貧困な 日本の福祉のさらなる切捨ては、それこそが、”負担の軽減で ある”ということに帰結するのです。(これが本当に若者を救 う立場でしょうか?)
 そして、そのことは、実は、社会的弱者をして、他の弱者に 攻撃の矛先を向けさせる、労働者人民の内部の矛盾を煽り立て て分断し、(年寄りが甘えすぎなんだよ!えっこら、聞いてん のかよ!と)対立させるということに帰結する、あるいは、そ うした立場・実感に理論的な根拠を提供する、そういう見解な のです。
 これはそう右翼・反動勢力の立場そのものなのです。
 結局、連合氏が・・・高福祉国家体制は高度経済成長が終焉 したと同時にその社会的基盤が瓦解しているのであり、そうし た体制は財政的にも経済政策的にも瓦解しており、・・社会の 改良などはありえないのだ!!なぜなら、ブルジョアジー!! がそうしたあり方を決して認知しないからであり、それでは社 会が持たないと、ブルジョア!!は悲鳴をあげているのですか ら・・・
 という極右・反動・反革命の主張を繰り返していたのと何ら 変わらないではないか?
 ということなのです。(多少のニュアンスの違い程度かな)
(私の誤解であるならよいのですが、、)

 前回見てきたように、アリョーハ氏の見解は<一人当たりの 社会保障給付費>=否、イコールではなくむしろ、
・・・<一人当たりの社会保障負担費>と呼ぶべきであろう・ ・・・とさらにもう一歩踏み込んだ見解を示していることを取 り上げた。
 そして、この見解が、日本の貧困な福祉行政の”投影”に他 ならないが、そうした、”実感”は確かに広範な人々の中に存 在するものではある、と指摘した。
 しかし、問題は、
 そうした”投影””実感”と如何に対峙し、それに対する” 豊かな対案”を提示しながら、それらが、日本の自民党政府に よってもたらされた”貧困な福祉政策”の”投影”に過ぎない ことを如何に徹底的に暴露していくか否かが問われるのである !と指摘しておこう。
 ではアリョーハ氏の見解はどうか?
 氏の見解は”どこへ”もう一歩踏む込んだのか?
 それが問題なのである。
 それは、どこへなのか?
 もちろん、それは、右翼・反動勢力側へと踏み込んだのであ る。
 つまり、反動勢力の常套手段である、社会的弱者をして、他 の弱者を攻撃・対抗させながら、分割統治するという反動的統 治法に、横合いから、それも弱者の内部から、”相槌を打ち” 、もっともらしい”根拠”を提供していくというものなのであ る。
 では、こうした見解では、財政赤字にはどう対処するのか?
 例えば、今回の医療改悪では高齢者向けの改悪がなされ、(3 年間で3千億円の予算規模の削減)現役世代の保険料徴収票に はわざわざ高齢者医療への支援分が別途明記されて、加算され る仕組みとした。
 つまり、現役世代と高齢者世代を対立させる仕組みを導入し たわけだが、アリョーハ氏の見解では、<一人当たりの福祉給 付費>は、むしろ、<一人当たりの福祉・負担費>と呼ぶべき なのだから、この両者の対立を煽り、促進させる”見解”を示 していることになるのだ。
 これが、現実社会での氏の”見解”が果たす役割なのだ。
 如何に反動的な見解・立場であるかがわかる。
 およそマルクス主義者や科学的社会主義者を自称する者なら ば、このような反動的な”見解”には決して与してはならない と思うがどうだろうか?
(私は長年にわたり、このような”見解”と対峙し、闘ってき たものである。)
 さて、次に、アリョーハ氏はわざわざ、自己の経験を述べて 氏の見解を補強している。
 アリョーハ氏曰く
・・・・私も貧乏な生活が長かったですが、貧乏であることを 理由に、国や地方公共団体から何かをしてもらったことはあり ませんし、税金の支払いを免れたこともありません。
 スカンジナビアン氏によれば、社会保障はアメだそうですが 、このアメは労働者から取り上げた砂糖でこねてつくられたも のであり、必要な人にほんのわずかに配られるだけです。・・ ・・・
 これは、現在の日本の貧困な福祉政策を自己の経験を通して 、なぞってみたものに過ぎないが、同時に、自民党政権の福祉 政策が如何に貧困かを”投影”しているものといえよう。

 しかし、アリョーハ氏は例えば、病気になったことはないの だろうか?
 幼い頃はどうだろうか?また、自身の子供さんはいないのだ ろうか?
 病院代を100%自己負担してみると、よくわかるが、莫大 な出費となったハズだ。
 現に米国では、民間保険主体の運営であるために、働いてい るものの、保険料が高すぎて(雇用者は企業と折半だったりす る)
 払えないがゆえに無保険となっているものが4120万人もいる 。
 (2001年米国勢調査より)それよりさらに所得の低い層はメ デイケイドと言われる生活保護世帯となり、これには負担がな いが、そう認定されるには厳しいハードルがあるという。
 こういう無保険者(4000万人だ!!)にとっては一端病気に なったら、その後の人生そのものが左右されてしまう(棒にふ る。家庭崩壊・一家離散・自殺・・)非常に不安定な生活を強 いられてしまい、その状態から這い上がることは非常に難しい であろうことが容易に想像できるではないか。そうした家庭に 生まれ育つ子供たちはどうだろうか?
 私にも子供はいるが、子供たちはいとも簡単に発熱するもの だし、喘息もちだったので病院にはお世話になりっぱなしだっ た。
 現に米国ではバカ高い医療費をめぐる苦悩が多く、医療費問 題を理由に自己破産に至るケースが多いという。
 (三浦清春医師著 市場原理のアメリカ医療レポートより)
 アリョーハ氏は・・貧乏した時代が長かったが・・自己破産 には至らなかったし、自殺もせずにこうしてサイトを運営され ている。
 こうしたところに、実は社会保障が国民の生活を下支えして いる現実があるのだ。
 しかし、確かにそう”実感”しにくい事態が日本にはある。
 上述は米国との比較だが、ではスエーデンならどうだろうか ?
 こういう日米北欧の国際比較の視点は重要で、アリョーハ氏 の”見解”の反動性が良く分るし、氏の見解が日本の貧困な福 祉政策の”投影”に過ぎないことがわかるのである。 (同じ投影でも反動的な”投影”だが)

 アリョーハ氏がスエーデンに生まれたなら、氏は以下のように 主張することとなっただろう。

・・・私も貧乏な生活が長かったですが、教育は無料なので、 おかげさまで大学まで進学できました。親も苦労人でしたが、 国からの育児資金の支給がありましたし、(1人月2万円ほど、 高校生は4万円)教育費はタダでしたので、まあそれで、何と か私ら兄弟を養育できたようです。
 それに18歳までは病院代もタダでしたしね。
 ええ、両親も裕福じゃなかったけど、夏休みは4週間、家族 で国内各地や独くらいまでは足を伸ばしましたよ。南欧まで旅 行する裕福な友人もいましたけどね。大学時代は学生アパート で、8万円の奨学金でなんとかしてました。そのうち、ある女 性と知り合って(創作ですみません)、同居するようになり、 申請して夫婦用の学生アパートに引っ越したんです。(住宅支 援は日本の38倍の予算規模。若い世代への住宅保障という社会 保障給付)
 そこで、上の子供が生まれたんですがね。もちろん早速、育 児休暇をとって、育児資金をもらいましたよ。
 (社会保障は先ず、若い世代のものなのだ。そして、全国民 が享受するものなのだ)
 それが今の家内ですが。
 家内は心配症なので、子供たちは随分病院の世話にもなりま したが病院代はかかりませんからね、助かりましたよ。もっと も私は政府の無料ワクチンプログラム(日本にはない)を信頼 してましたから、子供の病気のことは心配しなかったですがね 。政府から支給される養育費で殆どを賄ったというのが実感か な?(教育費は全て無料、医療費は18才まで無料)おかげで、 子供たちも今は大学生で、奨学金でなんとかやってますよ。
 そうそう、子供たちが小学生の頃、失業しましてね。
 家内の稼ぎと失業手当で食べていたころがあったんですよ。 実は、政府の失業者向けのカウンセリングを受けて、再教育プ ログラムを受け入れて、大学にもう一度入りなおしたんですよ 。
 (無料。積極的な労働市場政策)
 それで、2度目の大学を卒業して、今の職を得ることができ ました。
 それを見て、今度は家内も社会人再教育プログラムを受けて 、彼女も大学に入りなおしたんですよ。(無料)おかげで、彼 女も新しい職をみつけて、いまでは満足しています。老後です か?今の職は満足いくものですし、二人合わせれば年金生活は 十分に賄えるでしょうから、特に心配してませんよ。えっその 地図は何かって?ああこれは今年の夏休みの4週間の旅行プラ ンを考えているところなんです。今年は今まで行った事がない 南欧を子供たちと一緒にまわろうと思っているんです。
 おっと、こうしちゃいられない出かけなきゃ。どちらへって ?いやあ、近くに住んでいる、弟が警察官なんですが、今、警 官労組(警官労組は常識!)の書記をやっててね、今日は労組 の地区センターの集会があるんですよ。
 年金拡充とか奨学金上積みとかいろいろ課題があってね。そ りゃあ、もっと年金も充実するに越したことはないし、奨学金 の上積みは子供たちの学生生活を支えるものですからね。親と してもほっとけないですよ。
 それに、警官労組は特に活動的で先頭に立って闘っているし ね。
 ビラ配りなんかもよくやっていましたよ。
 だって、地域の安全に直接責任を負っているのが警官ですか ら、最も活動的な労組ですよ。それではまた、、。・・・・
 こんな風になると思うが、どうだろうか?
 その後に続けて、
・・・・スカンジナビアン氏によれば、社会保障はアメだそう ですが、このアメは労働者から取り上げた砂糖をこねてつくら れたものであり、必要な人にほんのわずかに配られるだけです 。・・<一人当たりの社会保障給付費>ではなく、<一人当た りの社会保障負担額>と呼ぶべきでしょう。なぜなら、社会保 障の給付は全ての人が負担しているが、全ての人がその給付を 受けているわけではないからです。病気になった人、労働でき ない人(失業者)労働しない人(年金生活者。ん?これは全国 民が受けるが、、?)、年をとった人、障害を持っている人、 生活を維持できない人、貧しい子供たち等、自己の労働によっ て、生活を支えることができない人が<社会>から援助を受け るのです。・・・・
 などと言う主張をアリョーハ氏は言えるだろうか?
 スエーデン人がそんな話を聞いたら、
・・ああ20世紀初めの頃のことかね?そんな時代もあったらし いがね。えっ現代の話だって?そうか、後進国の話だろう?え えっ!先進国だって!!日本だって!!日本と言えば、世界に 冠たる先進国だろう?そんなバカな!!ありえない話だよそん なことは!?・・・
となるだろう。
 だから、第4インターではないが、欧州のトロッキスト・新 左翼諸派では、・・社民主義の主導の下で築かれてきた<福祉 国家>は労働者人民が獲得した貴重な成果である。今日の課題 は、動揺し、自分たちが築いてきた社会保障の後退すら企図す る社民勢力を批判し、その歴史的成果を防衛し、さらに、人民 の民主的諸権利と、合わせて発展拡充しようと・・・運動する ことが常識なのである。
 これが、レーニンとボルシェビキの最良の伝統を引き継ぐ、 としている欧州トロッキスト諸派及び、日本のかけはし派など の主張なのである。
 私には彼らの主張の方が正真正銘の左翼の主張に思えるが、 、。

 次にアリョーハ氏は、累進課税の問題を取り上げつつ、
・・・累進課税と言う制度自体が・・放棄されて、既に世界的 に過去のものとなっています。・・・
と主張している。
 しかし、小なりとは言え、私も自営業者で経営者の端くれな ので、従業員の給与はいつも私が計算している。
 では、手元にある所得税計算表をお見せしよう。
   月収40万円なら、扶養家族3人として、所得税11830円
    であり、実効税率は  2,96%である。
   月収100万  同3人  所得税 87900円  同税 率 8,79%
   月収200万  同23人 所得税 381770円   同税率 19,08%
となっている。もちろんこんな単純な計算ではなく、これは、 社会保険料控除後のことであるが、いずれにしても、次第に実 効税率が上がり、現在、最高税率は住民税も合わせて50%と なっている。(累進課税だ)
 これは年収にしてたしか、3500万を超える場合のことだが。
 私はこの最高税率50%は世界的かもしれないが、そんなも のにとらわれる必要などないから、75%くらいにすべきと主 張すべきだろうと指摘しておいた。
 ところが、今朝の新聞になんと自民党が、消費税をあげるな ら、この最高税率を上げるべきと主張しているのである。
 何のことはない、アリョーハ氏の主張は保守反動側からもあ っさり乗り越えられているのだ。(累進課税の強化の主張)
 次に、氏は、
・・・・また、累進課税と社会保障は同じものではありません 。社会保障に 階級間の所得の再分配機能はありません。その ような議論は社会保障の財源の主たる担い手が働く人々である ことを忘れています。・・・・
と主張している。
 ここには所得に対する混同した考えがあるようである。
 先ず第一に、確かに、国家の富は如何なるものであっても、 (税であっても)その”源泉”はアリョーハ氏が言うように働 く人々が生み出したものであることは間違いない。これはマル クス主義の立場とブルジョア経済学の立場の根本的なちがいだ ろう。そこはそのとおりだ。
 しかし、ここで、問題にしているのはその富の所有が如何な る様式で、どんな割合で(大小の差)実際に行われているかを 問題にしているのだ。
 つまり、富の(所得の)分配だが、税や、社会保険料を差し 引く前の名目賃金に相当する収入が当初配分(分配)と言われ るものなのである。
 これは具体的な数値では、
 日本の場合、(フリー百科事典ウイキペデイア、ジニ係数よ り検索)
   ジニ係数       1990年       20 02年
   当初分配      43,34        49 ,83
  税・保険料控除後   36,43        38 ,12
となっている。
 データソースによって多少数値が異なるが、ほぼ、当初所得 分配に対して、税・社会保険料控除後の所得が再分配されてい ることを具体的数値で示しているではないか。
 その際、高額所得者とは基本的にはブルジョア階級だろうし 、低所得者層とは労働者人民の側だろうことは疑いなかろう。
 つまり、上記ジニ係数はブジョアから労働者人民への所得の 再分配が実際に行われていることの証明である。
 アリョーハ氏は否定するなら、反証データを提出すべきだろ う。
(といっても前回で最後らしいが)
 そして、スエーデンにおいてはこのジニ係数は世界国勢図会 では25ポイントで、世界1位なのだ。
 つまり、世界で最も公平な国というわけだ。
 第一、GDPのうち、分配可能な部分である、国民所得の実 に76%が国庫や基金等に徴収されてしまい、国民の手元には 24%しか残らないのである。(98年)しかし、同時に国民所 得の48%、約半分が国民に社会保障給付として、還元されて くるのである。(のこる28%は他の予算)
 その際、アリョーハ氏も認めるように、社会的弱者にはより 多く給付されるのであるから、その階級間の再分配機能は明ら かではないか。(ジニ係数などの実際のデータで裏付けられて いる)
 国民所得の48%は、弱者により手厚く分配され、残る24 %の分配で、階級間の差がつくと言うことなのである。
 アリョーハ氏は続けて、
・・もちろん私がこのように言ったからといって、労働者が高 負担の減免を求めたり、より多くの社会保障の減免を求めたり 、或いはその両方を求めて闘ってはならないと言う理由にはな らないでしょう。・・・
と主張している。これは連合氏の・・・改良的なありかたなど ありえないのだ!!・・・と絶叫する立場とは一応一線を画し ているものだが、これは私に言わせると、
・・・闘ってはならないというわけでもない・・・と言った程 度の主張で、如何にも弱弱しい立場である。そんなことでは闘 いに勝利し、大きな展望を切り開くなどできるわけがないでは ないか。
(もともと、 一人当たりの<負担>と考えるべき、といった 後ろ向きな(反動的な)立場である。大きな展望は<大きな負 担>では?と言っているわけだ)
 マルクス主義を普及するためのサイトを運営しようとするア リョーハ氏が実際にはこんな反動・右翼的立場に立っているの である。
 いやはやなんとも、、、。少しは新左翼系でいうなら、かけ はし派でも見習ってもらいたいものだ。
 最後に、アリョーハ氏は19世紀英国の救貧制について、資本 論から引用しているが、私は救貧制を美化したつもりはないし 、むしろ、極めて初歩的かつ、幼稚な制度として紹介し、そん な制度であってすら、所得の再分配機能が萌芽的に存在したと 指摘したのみである。
 もちろん、19世紀の悲惨かつ過酷な搾取を否定するものでは ないので、アリョーハ氏の引用は特に私への反論となっている ものではない。
 従って、その引用文自体には賛意を表する。