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救済機能の有無と求心力

2006/07/12 Forza Giappone 青年

 古代ローマでは「よそ者」を温かく迎え入れる場所を xenodocheiaと言ったそうだ。転じて「救護所」を指すようになった。フランス語ではhospice(オスピス)というらしい(ただし、英語のホスピスはもっと意味が狭い)。
 自分たちの町をよそから訪れる「よそ者」に宿泊所や食べ物を提供したという。よそ者だけならず、患者の看護(看病)もなされ、身寄りなき高齢者も寄宿できる。
 古代にあって「よそ者」つまりこの町の住人でない者がこの町にやってきて(権力者や富豪なら話はべつだが)一般人にとって一宿一飯を恵まれる場所があることは非常に重要だった。単に旅行者にかぎらない。仕事の都合で短期間働かねばならなかった人、政治抑圧から逃げ出してきた亡命者、町の居住資格・市民権をもたないでも何かの事情でその町に留まらなければならなかった人。町にはよそから来てとりあえず困っている人は多い・・・
・・・以上、ここまではかつてとった精神史概論での受講ノートから若干引用した。

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【救済機能の有無と求心力】

 かつて不充分とはいえ、日本の長いサラリーマン社会においては会社共同体内部に「一種の」救済機能が働いていた。ソリの合わない上司・相性の悪い上司の下で不平不満が蓄積することを余儀なくされた実直なヒラ社員達。上司自身ですら絶対にクリアーしえない無茶苦茶なノルマを部下に押し付けて平然とするそんな運の悪さに巡り合ってしまった部下。(ただそれでも、ぼくらの世代からみるかぎりでは、上の世代が正職(正社員)で定年を迎えることが可能だったことだけは羨望の対象だが。)
 かつてのサラリーマンは、自らの価値観に著しく反することや、不条理な役割を押し付けられそれが職域内で解決困難なとき、健全なストレス解消策や適当なガス抜きをもって《精神のバランス》を保っていたと思われる。一定規模以上の会社であれば社内での野球・サッカー・スキー・テニス同好会をもっていたし、メセナだのフィランスロピーと称して社外楽団オーケストラ結成に積極的に乗り出す一部企業すらあったとか。これらにかぎらず右肩上がりの時期には盛んに社員福利厚生策が具体化されもした。
 同じ系列企業内のみならず、取引関係さえあれば関連親会社の厚生施設を使うことも可能だった。

 そういうさわやか系のストレス解消組ではなく、酒好きなグループではどうだったのだろうか。(度が過ぎると健康を害するとはいえ)ウマの合う同僚や悪友たちとジョッキ(或いは赤提灯だろうか??)を傾け、自己の不遇さ、ヒラ社員の痛みのわからない冷血課長を罵ったり、グチを聞き合ったり(元気の良過ぎる向きは新年会とかで無礼講と称して係長をつるし上げたり)。
 そうする過程で「苦しいのはなにもオレだけじゃないんだ、話してみるもんだなぁ」と痛みを共有し合ったり、同僚間団結意識が育まれるといった効用的副産物も産み出していたはずだ (党外の某有識者は憐憫の情を籠めて“社畜”と称したが、ここではそれには触れない)。

 だが、1980年代から徐々に、そして概ね1990年代初頭あたりから着実に会社共同体内部の「一種の」救済機能は失われる一途を辿ってきた(これは、概ね1970年代以降弱体化に向かう一方だった労組組織率の推移よりは1サイクル遅れているように感じる)。
 某中小商社勤務員の友人は「グチり合うだとか一杯呑んで帰ろうぜとかそういった余力すらオレたちには残ってない。毎夜毎夜タダ働きでへとへとだしさぁ」。
 中学校教員になったN美ちゃんは「教職員同士でも休憩時間に会話がないのよ、すごくギスギスしたムード。校長が席はずしてる時間にも互いが互いを牽制し合ってる、そんなふうに感じられなくもないわ」。
 大企業のクビ切りに遭い、地方金融会社の集金員に転職したF君は「暴力的な訪問先を押し付けられ、罵声を浴びほとほとイヤになった。帰宅も毎日深夜午前さま。過労死させる気か!ってんだ」と本気で怒っている。
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 さて、政党政派、ことに共産党はどうだろうか? なんらかの救済機能やその空間は整っているといえるのだろうか? ここんち○○エリアでは党歴が中堅以上の党員は事実上、高齢者福祉とゴミ問題のみに振り回されている。
 ここんちでは、民青、大学班、地域、党支部、地区党、県党どこをみても、そのような救済機能は例外を除き存しない。青年専従でカウンセリングの素養や訓練を受けた人も居ないようだ。党務や選挙関係ばかりで年月が費やされていく。
 都市型の都府県たとえば埼玉・神奈川・京都・兵庫辺りはどうなのか知らないが。したがって、誰かが駆け込んできても皆困惑オタオタするだけだろう。“温かい心寄せ合う人間的な支部”だとか“支部が主役”などといった○○のひとつ覚えは、党中央官僚のみが妄想するスローガンだろうが、末端党員は困難な実情を改革しようと奮闘しておられる。中央官僚はバブル御殿にひきこもっていないで地方の実情をみて歩き、現場で汗を流してはどうか。