私は最近の人々には想像力が非常に乏しくなっているのを恐怖を持って感じています。私は絵の売買の問題で裁判で争ったのはごく最近ですが私の陳述書に対する被告の回答書を読んでいて唖然とするほど自己中の人間を見ました。私はある人がたまたまそうではなく現代の日本人全体が夢や希望もなく想像力に乏しくなっていること考えます。
私はきっとそれはテレビなどに子供の時代からどっぷり浸かっている映像文化のせいだと思うのです。わたここでは最年長だと思いますが、私の子供の時代は敗戦後のモノのない時代でした。そのような時代には何が楽しみかといえば童話や少年小説やラジオ番組などでした。もちろんジャズは戦時中の抑圧された時代から開放感を与えるもので「S盤アワー」なども大好きだったのです。童話や小説、ラジオ番組はそれを読んだり聞いたりしながら自分なりの主人公の像や何かを想像して楽しむのですが、テレビはすべてを映像で与えてくれるのだ何一つ想像しなくてすむのです。そのおかげで人々の話題はテレビで見たことしかなく、拉致問題があれば「わー」と朝鮮排外主義に日本中がなってしまう、テポドンが飛べば日本中が愛国主義に覆われてしまう。つまり世論というものはテレビのスポンサーに操られるのです。それだけではない、人間というものに対する洞察が1センチの深さもなくなり他人の痛みも喜びもわからなくなってしまうのです。異常な犯罪がやはり想像力の欠如から来ています。
私は芸術というものは言い換えれば人間学だと思います。ここで少しばかり文学・芸術について語られるようになったのは喜ばしいことだと思います。しかしまだまだ浅いと思います。
私は最近は人間そのものにがっかりしています。なぜなら一皮剥けばあまりにも愚劣な存在を見せ付けられてばかりいるからです。なぜ人間嫌いになるのかといえば、現代人の薄っぺらさは想像力が奪われているために内実が乏しくなったからです。だから私は想像の世界を描きたいと思うようになりました。そう思うこと自体が現代の屈折した投影かもしれません。そういう意味で芸術は政治家や思想家の枠にはまらない得手勝手な人間の文化だと思うのです。もちろん共産党の芸術論など歯牙にもかける気になれないのです。長壁さんとの論争もうんざりしました。やはり内実に乏しい人だからこれ以上は無意味だと思うのです。