ユーゴスラヴィア問題について、20日付赤旗の「知りた
い聞きたい」欄で書いている。ちょっとした説明で分かるもの
でもないだろうが、現在の党の立場からでは十分な説明は出来
ないだろうと思う。なぜなら共産主義者の粛清などに触れざる
を得ないからだ。
非同盟運動の指導者の一人、チトー(ヨシップ・ブローズ)
が亡くなってからまもなく、何故ユーゴスラヴィア連邦は崩壊
し、中世ではなくこの現代に、民族浄化という忌まわしい事態
を引き起こしたのか。そのことを理解するには、400年に及ぶ
オスマントルコの支配、1878年から1918年までのオーストリア
・ハンガリー帝国の支配など、バルカン全体の歴史を学ばなけ
れば分かりにくい。大変複雑でロシアやギリシャなど周辺国の
歴史も理解する必要があるでしょう。
オスマンの支配下では民族紛争は無かったものの、19世紀に セルビアとクロアチアで民族主義が台頭。それぞれ大セルビア 主義、大クロアチア主義を掲げてボスニアの支配を巡って対立 、セルビアのファシスト組織「チェトニク」とクロアチアのフ ァシスト組織「ウスタシァ」が暗殺や虐殺を繰り返した。第一 次大戦の発端となったオーストリア皇太子暗殺もウスタシァの 仕業であり、セルビア支配のユーゴスラヴイア王国の国王アレ クサンダルを暗殺したのもウスタシァである。(ちなみに、サ ッカーのクロアチアチームのユニフオームでおなじみの赤と白 の市松模様はウスタシァのシンボルであり、セルビア人弾圧の 象徴でもある。中世起源で「シャホヴニツア」という。)
第二次世界大戦の中でナチスと組んだクロアチアはユダヤ人
やムスリム、セルビア人を虐殺。その数18万5千人から70万人
とも言われるが、セルビア人もコソヴォのアルバニア人を虐殺
するなど残虐行為を働いている。
チトーは「友愛と団結」を呼びかけ民族の平等を訴えたが、
ソ連の民族政策・スターリンの民族理論を取り入れた。だがチ
トーのパルチザンも捕虜の虐殺という誤りを犯した。
1944年9月20日、ソ連がユーゴに進軍し1万人のチェトニクを
捕虜にし武装解除、パルチザンに引き渡したが、パルチザンは
殆どを虐殺。
1945年5月ドイツ敗退でクロアチアの女・子供連れ敗残兵10
万人ほどは、フライブルクでイギリス軍に阻止され、連合軍の
協定によりパルチザンに引き渡されたが、その大半が殺された
。これらのことがその先大きく影響していることは間違いない
。
チトーは民族の平等を掲げ、各共和国と自治州の代表で連邦
幹部会を構成し一年ごとに議長を交代したことなどは多くの人
が知っていることでもある。権力の独占を嫌ったことは良いが
、多くの間違いを犯した。
1 民族自決の原則を貫いたのは良いが、民族間の対立を解消
しようと する努力をしなかった。
2 各民族の政治的意思は、強力に中央集権化された共産党組
織(スタ ーリン的)を通してのみ表明されるとしたこと。唯
一の合法政党内 に幹部政策がゆだねられ、故に党が駄目にな
れば国も駄目になる。
3 有能な指導者を育てず、その出現を妨害し、後継者と目さ
れる人々 を排除していった。その結果は?
1987年、スロボダン・ミロシェヴィチ(極右民族主義者)が
セルビア共和国大統領に当選。1990年、クロアチアで民族主義
者、フラニョ・トゥジマン(ツジマン)が大統領に当選。1990
年連邦崩壊。1992年にはボスニアで内戦勃発。経過はご存知の
通りですが、セルビア人、クロアチア人とも戦後のボスニアに
自民族だけの領域を作ることを目指して、他民族の共存を根絶
やしにし、民族間の不寛容と憎悪を煽りたてた。民族浄化を最
初に行い、最も大規模にしたのはセルビア人であり、現在もミ
ロシェヴィチが見つからないのは当然とも言える。(国民全体
が匿うからである)
民族浄化とは殺すだけでなく、レイプで人間性を破壊し、そ
れぞれの宗教の改宗を強要することが含まれ、レイプは司令官
の命令で集団的に行われていたのである。
バルカンの歴史を理解するには、セルビア正教、ムスリム、
クロアチアのカトリックなどの宗教対立があることを理解しな
ければならず、大変難しい。チトーの非同盟運動だけを学んで
も理解できるものではないでしょう。
それにしても、アルバニアやブルガリア、ルーマニアなどで
も共産主義者の粛清は行われており、ソ連や中国、ベトナムや
カンボジアなどでも虐殺は行われたし、単に革命だから仕方が
無いで済まされるのだろうか。「民主集中制」の一党独裁が、
反対派を許さない意識の結果として戦争時(革命時)にとる行
動が、一神教の宗教戦争の時と同じになることもあるのではな
いか、と考えてしまいます。
平時では、裏切り者と組織的に排除するだけだが、もし非常
時になったとき、我々はどう行動するか。考えねばならないで
しょう。
それと大事なことは、ナショナリズムの台頭は決して許して
はいけないことを、私たちは歴史から学ばなければならないと
思うのです。
前回の投稿の中で、ミロシェビッチに関する内容で間違 いがあり、訂正します。彼はすでに2001年に逮捕され、今年3 月に獄中で死んでいます。以前、戦争犯罪者としての追及を逃 れ、なかなか見つからない状況に怒りを覚えていたことから、 その後の経過を忘れてしまったものです。歴史について間違っ た記述は許されません。お詫びして訂正いたします。