やすしさん
大同団結と包容力と寛容の心で、左翼団結の阻害をご心配くださることに感謝いたします。すでに歴史の屑篭に葬り去ったはずの、テロリズム再評価や持込志向など、一部の狂信的反米主義を源流とする。その非抑圧者側の民主的要求や団結と連帯による闘争と、正当な復讐心を急進的冒険主義ヒロイズムやテロリズムの暴力肯定に置き換え、テロリストの銃弾・爆弾に委ねようとする全面的な誤り。その左翼陣営に立つ者を蝕む、代行主義的な暴力礼賛・肯定志向と思想的混乱持込の影響を無視できないと考えています。私は共産党員ではなく、やすしさんと同様に左翼陣営大同団結による共同と連帯の発展を願っている一個人です。またかねてより、やすしさんの非民主主義の革命・暴力的政治権力奪取を伴わない、戦争に反対する立場で、永続的・連続的な民主主義革命による社会改良・社会変革の可能性とその実現性を示唆される発言に、強い関心と共感を持って何時も読ませて戴いています。これからも、やすしさんの社会主義論の原点である。ロシア革命・ドイツ革命・他の多くの失敗と教訓から何を学ぶか。教条でない、その柔軟な筆致で多くの発言を期待しています。
自分に向けられた批判に答えるということ 2006/07/17 澄空
一方、彼女に対する批判は、たいていの場合、この彼女の「団結を破壊する」やり方を問題にしているのです。
“他者には厳しく身内に甘く”――これこそ共産党が支持されない理由の一つだと私は考えています。多くの共産党員は、指導部がおかしなことをしても大目にみますが(あるいは盲信しますが)、他党派に対してはわずかなことに対しても拒絶反応をみせます。(前書抜粋)
「しばらくの不在のご挨拶」 2006/07/10(要旨抜粋)で、さつきさんは次のように述べています。
「「いさみ足の向こう側にある原動力」は、はたして私たちの運動にとってどう機能するでしょうか。」そして、次のように述べています。「放置して良いことと良くないことのけじめは必要ではないかと思っています。」
これまでの、一連の澄空さんの批判はまったく正当なものだと思います。正当な批判は、言葉の事実と論拠に基づくものですから、これをあいまいにしたり無視することで、まともな団結は期待できないと思います。そして、さつきさんは上の言葉の前後で洞察を込めて、誠実に問題点を指摘されています。主張や論理に誤りがあれば、そこから逃走や無視・問答無用の切捨てではなく。誤りを認めその誤解や不明を改め、お詫びの一言を述べるのは必要なことで、それほど難しいことではありません。
きくちゆみ氏が、平和共同や共謀罪反対実行委の呼びかけ人であることに反対意図はありません。しかし、そこに名を連ねているから信頼に値するジャーナリスト、とするのはいかがなものでしょか。なんらかの「権威」を論拠の背景とする多くのジャーナリズムのなかには、左・右問わず特異な売名行為を『飯の種』にしている者がいくらでもいる筈です。その言い分と、反対批判者の言い分を斟酌してみて、はじめて同意と信頼に値できるかどうか評価されることだと思います。
多くの党員の方々が忍耐強く誠実であることを知っています。共産党が「“他者には厳しく身内に甘く”」、このことは、共産党のまわりにいる者は誰でも、多少なりとも体験してきたことです。言い方を代えれば、うんざりするほど「解りきったこと」です。澄空さんが、同じ党員として同志として真摯な批判を与えることは、この党の常態化した歪みを正し、真の同志愛と思想的結合を期待するからだと思います。もちろん、行き過ぎになる個人攻撃は本意ではないし避けたいと思います。いつも、さつきさんの具体的で的を射た明瞭な指摘と、澄空さんのことの事実を根拠とした、まともな批判に敬意を持って読ませて戴いています。