すり替えですよ、長壁さん。上の文章と下の文章が違いますね。しかも上の文章では確信をもってこういったこともご承知の上でと居丈高になっていっているが下の文章ではいつのまにか飛行機の乗っていなかったということになっています。ところで飛行機に乗っていたのはテロリストではないというのでしょうか。うそにうそを重ねると矛盾が広がるのです。チェチェンの武装勢力の問題でも言い換えています。問題にするなら今でもしてもいいのです。事実を事実として認め、いったいムスリムが9.11テロを決行したこと、なぜすしなければならなかったか、帝国主義と被植民地の問題を掘り下げ、テロリズムが半植民地闘争、民族解放戦争にとって正しくないのかそれも一つの手段なのかを極めてゆくことに意味があるのでしょう。どうぞ下の二つの投稿をさざ波通信を読む方は比べてください。
「藤岡真知子さんへ2006/06/15 長壁 満子 50代 金融
藤岡さんは、いまでも、フセインが戦争回避しなかったためにイラク戦争の悲劇があるとお考えなのでしょうか。
先に、ビルに突入したテロリスト7人は、今現在、一般市民として全員生きているそうですよ。こういったことも、ご承知の上で、今、起こっている戦争の悲劇を把握していますか。」
「無難でない、戦争抑止の具体的な議論を求めます2006/07/01 長壁 満子 50代 金融 「飛行機に突入したテロリスト全員が生きていたということ」と、カッコつきで一事例として、「曖昧に」いうべきでした。私は藤岡さんはじめ多くの方が、あるところまである空気とは一線画しておられる方が、最期に陳腐な結論にいたられると、全くがっかりしてしまいます。テロリストが生きてるということは、当然、飛行機に乗っていなかったということになります。偽名ということにもなります。いろんな場合がありえるということにほかなりません」