>チェチェンの武装勢力の問題でも言い換えています。問題にするなら今でもしてもいいのです。事実を事実として認め、いったいムスリムが9.11テロを決行したこと、なぜすしなければならなかったか、帝国主義と被植民地の問題を掘り下げ、テロリズムが半植民地闘争、民族解放戦争にとって正しくないのかそれも一つの手段なのかを極めてゆくことに意味があるのでしょう。どうぞ下の二つの投稿をさざ波通信を読む方は比べてください。
私は、「ムスリムがテロを決行した」ことについて、単純なものではなかったということをいってるに過ぎません。
9・11テロについて、子どもが問うたように、「なぜ、こんなことをするのか」という、根源の問いから私はスタートしたのです。
チェチェンのテロについても、劇場占拠の際、プーチンが毒ガスをまいて130人の民衆がテロリストと共に殺されたことを受けて、学校占拠事件がありました。
毒ガスでは効果がない学校という建物内で生徒等を人質にした交渉です。毎日のように、国家テロリストの悲劇に遭っている妻や母親父親が、テロリストとなって、国家権力に直談判している構図です。
その交渉を没にしたのが、発砲だったのです。この発砲をだれがしたのかが、重要なポイントになるのではありませんか。銀河さんは、「国家権力側ではないか」と異を唱える私に、「民族解放闘争のためなら何でもするのは当たり前」なのだと、右翼の口車にのったのです。
当初は、悪いのは何でもテロリストでした。子どもめがけてぶち殺したという右翼の言説が蔓延りましたね。
私も確かなものはありませんでしたが、テロリストの真意は命懸けの取引だと思っていましたから、早々に発砲騒ぎをリードするとは思えなかったのです。もちろん、酷暑の中いらだった一部が発砲騒ぎを起こすかもわかりませんが、あの状態ではかなり確信がありました。
それで、必死で、孤軍奮闘したのです。右翼どころか左翼を標榜する銀河さんにまで、裏切られて私は落ち込みました。
ともかく、あのときの発砲は国家側であったという検証を幾つかのブログで、その後、確信しましたが、それとも、やはり、無差別テロリストの発砲だったのですか。だとしたら、死んだテロリストの誰が先に発砲したのか教えてください。
そのときのテロリストの状況・心境も推測して教えてくださいませんか。このときの状況は、死んだ女教師の殉職をテーマにした映画が作られています。生徒に尿を飲ませながら脱水状態を防ぎ、酷暑の拉致状況を耐えた女教師です。自らは死に、美化されています。当然、「どうしてこんなことに」という根源は、誰も語りません。
「テロリストはわるいやつ」でおわります。
ところで、銀河さんはいつか、暴力革命云々といわれていたことがありますが、その真意は何なのでしょうか。ハマスの勝利にも、こうしたテロリストの根源にも中途半端な視点しか感じられませんが、ほんとうのところ、スローガンだけなのでしょうか。