私の問題意識は、マルクス主義美術・芸術という概念が成立しないという概念です。
ですから『マルクス主義と美術・芸術とはどのような関係にあるのか』という表題は、意図を客観的に反映したものだと思っています。
私は、このように考えているのだと思います。
まず、マルクスやキリストや釈迦がどのように結論を導き出したかということは、私に二次的な問題であって、私自身の結論を問題視したいだと思います。
たとえば、永井さんと中野さんの論争は、永井さんの「客観的現実の反映」説VS中野さんの「存在が意識を規定する」説でした。
永井さんの『芸術論ノート』『反映と創造』や中野さんの『マルクス主義の現代的探求』は今でも書棚にあります。
しかし、今では読もうとは思いません。
どちちらかに軍配を上げる結論を導き出したとしての、私の作品に何も影響を与えないからです。
それらは、それぞれの創作者の自由意志で結論を出せばいいだけの問題だと思います。
「不可知論」ではありません。
それより作品をたくさん描き、作品を描く肥やしになる書籍や思案に時間を費やした方が懸命だからです。
さて、このような結論を導き出す理由には、以下の考えを持っているからです。
芸術とは何かという議論の中に、ロマンチズムかリアリズムかという議論があります。
現実の社会が不合理から構成されているので、それとは関係の無い理想や空想の世界を創作するのがロマンチズムと言われています。
しかし、ロマンチズムにもさまざまな流派があるようです。
神秘主義的キリスト教の世界を描く作品や頭の中で空想を夢見て描く作品もロマンチズムですが、現実の社会を卑下して、絵画や文学で人々に理想を訴えるのもロマンチズムです。
また、宗教的な理想や頭の中で論理立てて創作するロマンチズムを否定して、現実をありもままに捉えて創作するのがリアリズムと言われています。
しかし、リアリズムにもさまざまな流派があります。
伝統俳句を唱える考え方では、花鳥諷詠という自然に限定した写生句を詠うリアリズムです。
現実をただありのままに描くだけの戦争画やデモの絵もリアリズムです。
現代俳句でも政治スローガンで終わってしまっている俳句もございます。
また、現実ととりくみ現実から論理を作り上げて、現実的理想を表現する考えもリアリズムと呼んでいる人もいます。
このようにロマンチズムかリアリズムとどちらが正しいという議論は馬鹿げた議論といえるのです。
そもそも作者に描く方法や手法にケチをつけるのが間違いです。
リアリズムであっても、神秘主義や宗教を描いても、頭の中で空想を夢見て描く作品でも、描かれた作品が客観的に価値があるものであれば文句を言う筋合いのものではないはずです。
その最たるものが、悪名高い「社会主義リアリズム」でした。
前回の結論を繰り返しますが、このようにキリスト教美術や仏教美術という概念が成立しても、マルクス主義美術・芸術という概念が成立しないという結論を繰り返したいと思います。