共産党では「史的唯物論に確信を持」たねばならないと「教育」が施されます。
筆坂氏は「史的唯物論に確信を持」てなかったから、「転落者」となったのだという批判も見受けられます。
しかし、「史的唯物論」と「レーニン主義的党運営」(民主集中制)によって、「科学」に名を借りた「カルト宗教的な党運営」がなされているのが現実ではないでしょうか。
すなわち、「真実はひとつ」であり、真実か否かの解釈権を党中央が絶対的に握る。
そして、それを党員は無条件にその解釈に従い、見解を留保(心の中で思う)ことはできても、発表することはできないわけです。
異なる見解を留保(心の中で思う)するだけの自由なら、北朝鮮にも保障されています。
憲法21条で保障された「表現の自由」は、党内には存在しないわけです。
これが「職場に憲法を」などと主張している党の内部状況であります。
さらには、北朝鮮(民主主義人民共和国!)の首領も形式的には民主的な投票制で選ばれております。
これは、日本共産党(民主集中制!)の、①「複数が立候補せず、政策論争も行われず、②自らを選ぶ選挙人を自らが信任し、自らが選ばれたことを持って「民主的に選ばれた」と自負するような選挙制度、と、異なるのでしょうか。
「史的唯物論に確信を持」つことがすばらしいかのように論じる赤旗や党内部の文章には、カルトの宣伝のような気さえしてしまいます。
「資本主義が崩壊し共産主義にかわる」という史的唯物史観は、むしろ歴史的にはすでに破綻していると考えるのが自然ではないかと考えるからです。
民主集中制を採用したレーニン型の政党(ソ連・東欧)は、政権をとると、すべて独裁化してしまったことは、歴史的な事実です。
共産党は、「レーニン時代はよかったが、スターリン時代に独裁化した」という旨の見解を、党員や支持者に大量に流布してきました。
しかし、上記見解は誤りであったことが、1991年のソ連崩壊後、明らかになった内部資料から判明いたしました。
レーニン時代にすでに、異論を持つ対立者を大量に粛清(=殺人)していたことが、明らかになったからです。
民主集中制を採用する政党は、独裁化することが歴史的事実であるにもかかわらず、「日本共産党だけは別だ」とういう見解が、世界中に「神」があふれているにもかかわらず、「自分たちの信仰する神だけが唯一正しいのだ」という宗教団体の主張と、どこか異なるのでしょうか。
「史的唯物論に確信を持」たねばならないといい、党員を洗脳するかのような手法の是非を論じる前に、上記「科学的確信」が「宗教的確信」とどう異なるのか、「科学」の党の皆様には、考えていただきたいところです。