あなたがよく勉強されていることを喜びます。私はあなたの投稿を読んでから改めてエンゲルス「家族私有財産と国家の起源」を学習を始めました。 なかなか早く読めないのは内容が面白いからです。
「共産党宣言」のなかでマルクスが(正確に引用できないが、)女性の共有についてブルジョアジーも女性を共有しているではないかと書いているくだりがおかしかったのです。マルクスは奥さん以外の家事をする女中さんに子供を生ませていて、エンゲルスに資本論の利益をその子に渡してくれと遺言をしています。下司のかんぐりというのか、それであいまいに夫人の共有問題に触れているのかと思うと、そうではなくて原始共産制の時代は女性がすべて複数の男に共有され、また男もすべて複数の女に共有されていたという古代史の研究からきているものだと知りました。その時代には女がいない男などはいなかったのです。いまは現場労働者には結婚の経験のない男がたくさんいます。
万葉集では男は夫も兄弟も叔父もみんな背子と呼ばれ、女はすべて妹と呼ばれていたのですがその時代の名残だろうと思いました。女だけが生まれる子の父親を知っているので女が権威を持っていました。ところが生産力が発展すると家父長が資産を自分の子供に継がせるために女を私有し他の男との性交を禁じたのです。この時代から女の人権はなくなりました。それは生産力の発展に照応した婚姻の形です。史的唯物論とはこういうことを指します。しかし群コン時代の女を共有するという古きよき時代の憧れは男に引き継がれ男は何人もの女と関係を持ちます。妻は女たちを管理する役目を担う、そんなことが共産党宣言女性の共有問題の背景にあるのです。結婚制度自体が歴史的に変わってきていまは対偶婚時代ですが、その制約がド演歌のはやる理由になるのでしょう。結婚は墓場であるとも言われます。
現在の結婚制度が崩壊するかもしれない、そんな楽しさが「家族私有財産と国家の起源」から読めるのです。
ぼちぼち読みながら史的唯物論について投稿したいと思います。
話は変わって私は日本共産党の熱烈な支持者ではないですよ。今は政党不信なのです。だが革命ということについてはかつて暴力抜きの革命は世界史になかったから今後もないのだと考えます。私は暴力革命論者なのです。日本共産党が平和革命に固執し、議会主義に陥っていることから私は支持できないのです。
あなたは
「しかし、少なくとも、現在は、議会に議席を持つ政党として、議会での多数派形成により、権力奪取を目指すというのが共産党のスタンスであるはずです。」といっておられるが、議会で多数をとられる前に小選挙区制をしき共産党の多数の議員が議会を占めることは不可能になりました。ありえないことだがもしそれでも多数になってゆくならば別の選挙法を制定して進出を阻みます。したがって議会主義を採用する限り100年、200年待っても労働者は資本家の奴隷から脱することはできないと思います。もとより日本共産党は革命を目指していないから民主集中制というのは戦うための方針ではなく党内支配のための鎖にしかならないのです。それはスターリン主義というものの持つ重要な内容です。私は一揆主義ではなく真に暴力革命をやりぬく意思を持つ党があるならば民主集中制は当然のことだと思います。
「腐敗した資本主義を変えていく方法はいく通りもあるはずです。」
問題は腐敗した資本主義を変えるのではなくぶっ潰すということです。資本主義はどんなにてこ入れをしても腐敗するし、腐った果物が絶対に新鮮にならないように現代の帝国主義に発展した資本主義は棺おけに入りたがらないばかりに世界戦争でもなんでもやって生き抜こうとする巨悪の根源です。投げ捨て、足で踏んづけるしかないのです。 選挙に夢を持つのは幻想です。真の民主主義は労働者階級という多数が少数のブルジョアジーを抑圧することです。民主主義という概念は多数による少数に対する支配のイデオロギーです。ブルジョアジーが存在しなくなれば抑圧がなくなり民主主義もなくなるのです。日本共産党の「自由と民主主義宣言」はフランス革命のテーゼだったのです。それは封建支配に対するブルジョアジーの革命でした。つまり宣言はブルジョアジーを守るための宣言以外の何者でもありません。
だがたった一つの避けてはならない問題はあなた方労働者階級が国家権力を掌握し、ブルジョアジーの反革命を制圧することです。その方針を持つ党があるにはあるが私の目からは少なくとも文化芸術に対しては貧弱な思想しか持っていないように見えます。商売柄支持できないのです。暴力によって国家権力を労働者階級が奪取し、反革命を制圧し、ブルジョアジーを消滅させてゆく過程が社会主義革命から始まります。共産主義社会は社会主義革命と同時に始まるダイナミックな変革によってもたらされます。その社会はもう搾取も、抑圧も、差別もない社会で、階級そのものもなくなる社会です。最も困難なのは労働者階級が武器を持つのだと決意することです。この決意ができたとき革命は成功します。かんがえてみれば改憲後自衛軍ができればその軍隊に入れられた労働者が武器を持つのです。武器などはどうにでもなります。私たちが共産主義という理想的観念を持ちえるのは資本主義という最後の階級社会に生きているからです。観念は物質的存在の反映です。60代、50,40、30、20とそれぞれに違う考え方がありますが窒息した今日の時代のさまざまに供w)・u・ワした考え方が各世代を支配しているように思います。しかし革命期を迎えれば一丸となるでしょう。
「多様な価値観や人権を尊重することを保障した日本国憲法を守る立場から、これらを批判していかねばならないと考えているわけですが、間違いでしょうか。」
憲法は何を考えようが発表しようが自由である内容です。ただし資本が労働者を搾取することも自由であり解雇することも自由です。憲法で保障する最も大きな自由と民主主義は資本家階級が享受します。莫大な財産も保障され工場や土地の私的所有が自由なのです。私は日本国憲法が勤労者や労働者階級をある程度守るが決して労働者を解放はしない意味において絶対視する気はありません。今憲法を守りぬかねばならないのはこの憲法がもっている小さな平和主義と民主的内容が大切だからです。いつか将来私たちはもっと優れた憲法を持たねばならないと考えます。もしもこの改憲阻止の戦いが勝利する日にははるかに労働者階級の団結が大きく成長し、社会主義革命が見えるとことまでその隊列は来ているでしょう。だから改憲こそは日本の資本主義の根幹を揺るがすかもしれない問題でブルジョアジーもふんどしを締めてかかるために総裁選挙をしているのです。これが史的唯物論です。
女性の共有問題から血なまぐさい話になってごめんなさい。