「あなたの言われるように、共産党は、階級闘争を戦うための軍隊的組織であることに賛成します。軍隊的組織である以上強制が必要である、と言う論理に同意します。また、民主と集中は矛盾した概念であることも同意します。」
共産党は階級闘争を戦うための軍隊的組織ではないことが問題なのです。労働者階級の前衛という綱領上の規定をずいぶん前に放棄し、国民党になったのです。
「従って、共産党には民主集中制が必要であると言う論理は成り立ちます。そこで、現実的には、ホーチミン、カストロ等を除きスターリン、毛沢東、金日成、ポルポト、等、”対立者に対する粛清”権力争いは絶えませんでした。何がそのようにさせたのか考えてみたことがおありでしょうか。何かそこには論理的誤りが有るとは考えませんか。」
「スターリン、毛沢東、金日成、ポルポト、等、”対立者に対する粛清”権力争いは絶えませんでした」
まったくそのとおりです。金日成はすべての幹部を粛清してしまいました。恐るべき殺人者です。毛沢東の粛清はあまり知りませんが89年天安門事件における中国共産党の弾圧は目を覆うほどのものであったし、今日も人が数人集まれば豚箱に放り込む国家です。ポルポトの大量虐殺はマルクス主義とは無縁のものです。
「マルクス理論には軍隊的組織を必要とする論理があります。階級闘争を目指しているからです。あなたの言われるように、唯物史観的によれば、労働者と資本家は階級的対立する関係と言うことに成ります。」
インドのカースト制は良く知られています。・・・日本的武士支配体制を除き、あとは文化的後進性でしょうか。」
これは階級ナイ論です。日本では生産手段をもつものが持たないものを支配します。生産手段を持つものが資本家階級であり、そして小ブルジョアジーであり、持たないものが7000万労働者階級です。基本的にこの二つの階級があることを否定できますでしょうか。そのほかに中間階層として勤労市民や農民がいます。生産手段をもつ階級の中でも独占資本の支配は中小ブルジョアジーをも収奪しているのが現実でしょう。あなたの階級ナイ論は非科学的で観念論哲学です。
「唯物史観は哲学です。科学では有りません。歴史は科学的に記述されるべきです。」
これはどういうわけでしょう。唯物弁証法は事実をその法則性と連関性を見出す科学です。事物をみないで観念だけに頼る学問ではなく唯物論は事実の分析に基礎をおく哲学です。それを科学といいます。
哲学は実証性のない論理というのはあたりません。そのような哲学もあればそうでない哲学もあり、唯物論は実証を抜きにありえない哲学です。
「マルクス哲学的社会科学は、科学ではありません。哲学です。」
このような乱暴な論理はありません。やはりマルクスを引用されて実証され展開すべきです。
「・・・人間の社会は現代的には、文化人類学的に解明されるべきですし、一部の心理学的解明にたよらざるを得ない状態です。」
人類の発展史を最初猿から見てゆくのも正当ではありますが、それはダーウィンによってなされていましょう。そうではなくて原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義へと生産力の発展に照応して階級闘争がおき、社会制度が変革されてゆくと見てゆくためには莫大な事実を分析した結果なのであり、観念論哲学で割り切っていたものではないでしょう。たとえばマルクスの「資本論」がいいかげんな臆測で書いた物ではなく実に豊富な資料から資本主義を分析しているのです。そのため史的唯物論にまでマルクスは手が回らなかったくらいです。まあ少しでも読めばわかりますが。
「あなたの言われる唯物史観は科学ではないのです。企業の中では経営者(資本家)と労働者は営業利益を分け合う関係で、対立でしょうか。企業は利益を出すために、互いに切磋琢磨して競い合います。しかし、」
これはなんですか。企業の中では利益を労働者と資本家が分け合うのですか。そうではなくて労働者の再生産の費用以下でで労働者を雇い入れ、それ以上の価値8剰余価値)を資本家が搾取するのです。労働者は賃金以上の価値を生み出し、それが資本家の懐に入る仕組みが資本主義です。そして不況になれば労働者を解雇するのをこの十年余りのリストラであなたは見ていないとしたら誰が非科学的でしょうか。
「国内市場経済から国際市場経済に成りました。労働者は貧しい国の労働者も労働者であり、豊かな国の労働者も労働者です。あなたの言われる、独占資本は、巨大な富を持つ目に見えない資本家ですし、老後のために残してある僅かな私の投資信託でも在ります。機関投資家と呼ばれる年金機関も含まれます。」
貧しい国の労働者からみれば日本の労働者はブルジョアジーに見えるでしょう。だが労働者階級は万国で団結しなければならないのです。私たちは被抑圧諸国労働者階級のことを片時も忘れてはならないのです。
あなたの投資信託も機関投資家と呼ばれる年金機関も労働者を搾取するための資本として使われるのです。つまりあなたが労働者であれば、仲間の労働者の搾取を期待しているわけです。
「労働者として括られる側も、資本家と呼ばれる側も矛盾があります。マルクス理論の言う階級とは一体何なのでしょうか。民主性国家では支配されるものと支配するものの関係は、マルクス理論的には曖昧です。」
そうでしょうか。実に明白です。階級とは搾取するか、されるかの二つあるいはそれ以上の人間の集団をを指すのです。簡単な話です。
「民主制国家では、その主人公は国民と言うことになっています。」国民は、その意思表示によって、法律を作り、財産権の範囲を規制できる能力を保証されています。」
そうなのでしょうか。それなら問題ないことです。しかしあなたが科学を信奉されるならば民主制国家日本では資本家の代理人の政治家が資本家のために国家を支配しているのを見抜けませんか。法律を作るのは与党であり、与党は自民党であり、自民党は資本家の代表であることぐらいは見えないでしょうか。一体財産権を規制する法律はあるのでしょうか。
「正しい論理によって社会運動を組織できれば、国民の力は社会全体を変革する力を思っている筈です。」
国家が暴力で資本家を守り、民衆や労働者が生きるために要求するのを弾圧しているのが現実です。その現実と闘わない限り「正しい論理」などは坊主の説教にしかなりません。
「現代社会の中で中小企業の親父さんを資本家として叩く事は、余り意味はありません。むしろ、目には見えない巨大な資産を持ち、世界を蔭から動かす人々や、哲学(宗教、倫理等を含め)的倫理を正義(本当の科学には正邪は無い)として、自身や組織の利益を優先させる人々を論理的に明らかにして、社会的規制を行なうことです。」
中小企業の経営者には二つの側面を持ちます。一方では独占資本に収奪されながらまた一方ではその収奪から免れるために強度の搾取を労働者に対してするのです。残酷な地獄のような職場が中小企業にはいくらもあり労働者は戦わざるを得ません。中小企業を味方に引き入れるのは闘わないことではなくて労働者の戦いを強く大きくして彼らがどちらの側に立てば得をするかを選ばせることが基本です。これが唯物論の思想だよ。
「共産党は正義ですか。」それを私に言っても始まりません。私は共産党ではないのですから。
「国家の壁を超えて、世界的運動体を作るべきです。イデオロギー(哲学)と言う論理ではなく、実証的科学(自然科学的、確率を含めて)を土台にした社会運動によってのみ、未来社会を夢見ることが出来るのではないでしょうか。」
イデオロギーのない戦いは触角のないゴキブリと同じです。確固としたイデオロギーを持って闘う以外に勝利はありません。イデオロギーがなくて強固な世界的運動はありえないでしょう。