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史的唯物論に確信を 3 (銀河殿へ)

2006/08/19 土方副長 20代 学生

 前回(8月1日)、共産党で「史的唯物論に確信を持」たねばならないとの「教育」が施されていることに、疑問を呈する投稿をさせていただきました。
 この点につき、銀河殿より、投稿をいただきました。
 戦後という時代をまさに目の当たりにしてこられた方のご見解であり、ありがたく読了させていただきました。
 大変勉強になる投稿をいただきありがとうございました。

 さて、「在るものも、思うものも、時代とともに変わっていく」というのが弁証法の考え方であります。
 私は、「資本主義は永遠であ」るとは考えておりません。しかし、同様に、「史的唯物論」なる考え方も、弁証法の振り子に掛けられなければならないはずです。
 共産党の支持者には各世代の方がおられるでしょうが、50代以上の方と、20~30代の方とで、やはり生きてきた時代背景が異なるためか、若干の相違がみられるように思います。
 前述の銀河殿は、ある意味、50代以上の方にみられる熱烈な共産党支持者の一つの意見を代弁されておられるのではないでしょうか。
 これらの方々からの批判を踏まえて、若干、補足させていただきます。

 民主集中制を擁護される立場から、①「革命党というのはひとつの軍隊」であり「隊長が突撃命令を下したのに隊員の一部が退却してはその軍隊は壊滅」するではないか、②「戦うためには集中制が必要」であり「その意味では革命党が集中制を採用するのは義務」なのだ、という主張がみられます。

 確かに、革命党というのはひとつの軍隊でしょう。レーニンは「国家と革命」などの一連の著作において「革命は暴力によってなしとげなければならない」と断言しています。
 実際、過去には、日本共産党は、中核自衛隊などの「軍隊」を組織しました。
 また、枚方事件や吹田事件などの「爆弾闘争」を引き起こしました。
 それらが、1954年に「破壊活動防止法」(破防法)が制定される一つのきっかけになったわけです。
 その後、破防法の適用を防ぐ意味合いもあってか、日本共産党はこれらを「分派」が行ったことだと規定し、日共六全協(1955年)で、武装闘争方針を放棄し、「敵の出方論」に転じます。
 以後、新日本出版社は「暴力革命」を「強力革命」と翻訳するなど、意図的な誤訳に苦心していていることは、ご存知の方も多いでしょう。

 さて、本題に戻ります。
 暴力革命を目指すのであれば、戦闘という一点の目的のため「戦うためには集中制が必要」であり、「その意味では革命党が集中制を採用するのは義務」でもあるでしょう。
 しかし、少なくとも、現在は、議会に議席を持つ政党として、議会での多数派形成により、権力奪取を目指すというのが共産党のスタンスであるはずです。
 そうであれば、戦闘という一点の目的のためではなく、社会を取り巻く様々な状況に対応して、政策を提言していくことが求められます。
 その政党が、あらゆる政治問題について、「真実はひとつ」であり、真実か否かの解釈権を党中央が絶対的に握るという党内原理をとり続けることが、果たして妥当なのでしょうか。
 民主集中制という党内独裁原理は、党内の権力者にとっては極めて都合のよいシステムでしょう。
 しかし、異なる見解を留保(心の中で思う)するだけの自由なら北朝鮮にも保障されているわけです。
 このような政党が政権を取ることを国民が警戒するのは当然だといえるのではないでしょうか。

 腐敗した資本主義を変えていく方法はいく通りもあるはずです。
 そして、「唯物史観」が、党中央を物神化させ、党員を信者とする道具として用いられている現状では、党内独裁を容認する「民主集中制」とともに、多様な価値観や人権を尊重することを保障した日本国憲法を守る立場から、これらを批判していかねばならないと考えているわけですが、間違いでしょうか。

 民主的なルールに基づいた、異論、反論を心より歓迎します。