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一般投稿欄

護憲勢力の敗北

2006/08/21 sapata 60代以上 年金生活者

 このタイトルは、ここ「さざ波通信」に集う人々に眉を顰められるかもしれない。だが敢えて書いてみました。
 「このくにの異常」2006/08/15 ちょっと過激 40代 秘密さんの投稿を読んだからです。ヤフーの「みんなの政治」の調査では、小泉首相靖国参拝の支持が80%とあった。驚いたが意外ではなかった。その前のNHKスペシャルでは参拝支持が過半数であったし、更に20、30代では70%を越えていた。ヤフーのウェブ上の調査に反応するのは、恐らく若い世代が多いと思われる。つまり若い世代は小泉参拝支持が圧倒的なのが事実ではないのか。現時点では、護憲勢力、平和勢力は若者の支持という点では、タカ派勢力に敗北している。「秘密」さんが「行くところまで行かないと、目覚めないのか?暗澹たる気分です。」と嘆くのも尤もです。
 私自身は嘆いたり、絶望する気はないが、我々は憲法改定を巡る闘いの前哨戦で敗北しているという、冷厳な現状を真っ向から見つめる必要があるのではないでしょうか。

「我々は何に敗北したのか」
 勿論、私などに正解が出せる訳はない。だが考えざるをえない。そして0点でもいいから、答案を提出する切羽詰った受験生のように答えを出さなければ。
 ちょとグーグルで検索してみれば判ることだが、反北朝鮮は言うに及ばず、反中国、反韓国のブログや書き込みはわんさと出てくる。テレビ、新聞、週刊誌等、既存メディアによって日常的に日常的に発信される、嫌中、嫌韓感情を刺激する情報に対するウェブ上での若者の反応はジリジリとナショナリズムの方向に流されている。わが国にはナショナリズムが復活し成長を始めている。既存メディアは事実の報道としては、かなり客観的である。これについての評論、解説等も一応は左右公平に気を使っている。メディアへの水面下での政治的コントロールは当然あるであろう。小泉劇場の影響もまだ大きい。中立性を建前とするメディアがナショナリズムに押されてゆく姿は、中日戦争へ向かう日本の新聞、ラジオ、映画、つまり戦前のマスコミの流れと相似形である。我々はナショナリズムを克服出来なかったのだ。この流れは「行き着くところまで行く」のであろうか。つまり戦争にまで。

「戦争にはならない」
 私は「戦争にはならない」し、と言うより「戦争には出来ない」と思っています。
 最初の「行き着く先」は比較的短期的将来に現れると思います。小泉靖国参拝は国民の特に若者の多数の支持を得ました。これは事実です。そして、これを政治的勝利、成功とする見方も少なくありません。しかし私は、これを小泉の「いたちの最後っ屁」だと見ています。なぜならば、彼の後継者達、次期自民党総裁候補達は皆、靖国参拝は中止すると言っています。次期総裁を確定視されているタカ派のリーダーであり、小泉名指しの安倍晋三は参拝を公開しないと言っています。これは事実上の参拝中止です。小泉の国民の過半数の支持を得た靖国参拝、政治的勝利は彼の後継者達に拒絶された訳です。その理由は靖国参拝を中止しない限りアジア外交は展開出来ないという現実を認めざるを得ないということです。もう一つ決定的な理由があります。それはアメリカが靖国参拝中止を求めたからです。対米従属を身上とする日本の保守政治家達はこれには従わざるを得ません。この推論の理由については06/08/01の一般投稿安倍晋三は靖国神社参拝を行わない?(sapata)で書いておきました。小泉靖国参拝後に出たアメリカ政府の反応、「参拝について内政干渉はしない」「近隣との外交政策は慎重に」という意味の声明はこれを裏付けるものと見ています。もっとも、このような見方はメディアには全く現れません。辛うじて、韓国の中央日報に「CSIS副所長によると、そのため米国は、水面下で日本の次期首相候補らに参拝の自制を求める「静かな外交」を展開中だ。一方、米紙ニューヨークタイムズは「小泉首相の相次ぐ神社参拝が、国内では政治的勝利を与えたが、東アジアでは日本をますます孤立させている」と指摘した。」という記事を見ただけです。私の推論は単なる独りよがりなのかと、いささか自信喪失に陥っています。

「反撃のチャンス」
 しかし次の内閣は靖国参拝を中止し、対中政策を政冷経熱から、少なくとも政温経済熱に転換せざるを得ません。総理は反中強硬を売りにしてきた安倍晋三です。彼がかなり困った立場なることについては察しが付きますが、もう一つ、これまで事実上、国やメディアによって、刺激され続け、成長してきたナショナリズムはどうなるのでしょうか。世論という形で、何百万或いは千万単位の人口の意識のな中に、蓄積されたエネルギーの転換や解消は簡単ではないと思います。日露戦争のポーツマス条約への国民の反応が、よく引き合いに出される例ですが、戦前のナショナリズムのベクトルは対中侵略戦争、その結果の対米戦争。戦争に突っ込む以外、止めようのなかったベクトルのエネルギー。現在のナショナリズムのベクトルは対中覇権。政策転換によって急ブレーキをかけられる、このベクトルのエネルギーはどんなフラストレーションを惹き起こすのでしょうか。その兆候は、早くも加藤議員宅焼き討ちに現れています。政府も混乱するでしょうが、メディアも混乱すると思います。しかし、そこには我々護憲勢力が国民に、若者の心に訴える、大きな可能性が生まれると思います。
 だがこの可能性を生かす為には、どうしてもしなければならないことがあると思います。それは、次の歴史の段階に対応して、我々が進化しなければならないということです。我々は敗北したのです。そのままの形、行動を続けていいては、敗北を克服することなど出来る訳がありません。我々自身がどのように転換すべきか、それを考えたいと思います。