あなたの言う、若い自由で民主的知性が時代を開くと言う言葉には、心を打つものがあります。”それが左翼を統一する”つまり、マルクスに収斂しろと言う事でしょうか。右翼にしても左翼にしても博物館に入れてしまうべきです。マルクスは図書館が似合いますか。
哲学は知識の拡大に依拠して発展してきました。科学は哲学的知識体系の中から生まれ出てきました。”実証”と言う括りで括れば、科学と哲学、宗教、倫理は異なります。科学以外はひとつの実証を伴なわない論理です。
マルクスは人間理解の方法として、人間を”マス”(社会)として扱いました。これは間違いです。人間社会を研究する方法は、科学的方法としての文化人類学的研究以外有りません。そうです、”高崎山のサルの研究”とおなじような研究です。科学的研究に善悪は有りません。あるとすればそれは”インチキ”です。善悪は人間が作ればいいのです。抵抗権を否定しませんが、暴力は否定しなくてはいけないでしょう。そうです。階級闘争ではなく、(解りやすく言えば)人権闘争です。
財物の偏った所有は、貧困を作り出します。階級闘争では有りませ。我々は民主国家の主人公なのです。法律を作ればいいのです。
国家主権は歴史的なものであり、固有文化は守ればいいのです。法人はどうでしょう。これも歴史的ものです。何故、法人と個人は競争しなければいけないのか。法人はどのような権利をあたえ、与えないのか。そうです。ロボットに与える権利を考えるのと同じようにです。
天才マルクスと言えど、時代の子でした。百年先のことまで予言できる預言者ではありません。マルクスは本棚え飾っておけばいいでしょう。あなたにとって”箔”は付きます。灯台守