ちょっと過激さんの、20代について「行くところまで行かないと目覚めないのか?」の問いかけに、半分は同感、半分はそうは思わない。
考えてみれば、今の20代は、何を感じてきたのだろう?対米従属の外交、対中土下座外交、媚中外交、感謝されないODAのばらまき、何でも金で解決する拙攻外交。こんなものを連日見てきている。
今の20代に「祖国」という概念はいだきようがないのだろう。学生運動が隆盛の時、全学連機関紙「祖国と学問のために」が結構読まれた。今もあるようだが。もともとこれは、北大民研の曲で「 美しい山川 豊かな大地、日本の国よ、僕らの国よ・・・築こう僕らの平和な祖国」「打砕け祖国乱すもの、進もう僕らの新しい時代」このような台詞。
このころはベ-スに「祖国」が存在した。そのベ-スの裏付けは、独立した国家、自主独立外交等になる。当時の学生は、多分に「祖国」と「自主独立」はイコ-ルの認識だったと思う。
丁度、日本共産党も「自主独立」を前面に標榜していた時代だ。誰にでも国を愛する潜在意識はもっている。顕在化する時が問題で、今日、「小泉的ナショナリズム」がそれを吸い上げているのではないか?
「自主独立」路線こそ、本来革新の看板であるはず。対米従属の足かせは何もないのだ。日本共産党が支持を拡大してきた政策の一つが「自主独立」路線がある。対米従属の卑屈な外交を尻目に、主張は明快で支持者は溜飲を下げた。
今はどうか?逆転状態。対米従属には蓋をして隠し、対アジアでは強硬路線をとる小泉内閣が、国を愛する潜在意識を集めている。一方日本共産党は中国や総連に擦り寄る。拉致問題はカヤの外。かっての「自主独立」路線の面影は全くと言っていいほどない。路線の誤りは明白。今こそ、本来の愛国の党、真の愛国の党に戻らないと未来はない。