土方副長殿
あなたの意見に賛成します。史的唯物論は科学ではありませ
ん。哲学です。科学は実証と言う手続きを、踏まえますが、哲
学は思索による論理です。史的唯物論は、一つの認識論的哲学
です。
ギリシャで花開いた、哲学はヨーロッパでキリスト教と出会
います。ヨーロッパでキリスト教が普及するには、相当の論戦
があったはづです。
ギリシャの、現代人にも通じるような哲学的論理が、キリス
ト教神学(一種の哲学)に敗れたか、又は妥協せざるをゑ無か
った理由があります。
それは、キリスト教のもつ一貫した論理性です。キリスト教
的論理では始まりがあり(創造)、終わりがあります(終末)
。現実世界は、神(クリエーター)の意志によって作られた世
界です。言い換えると、クリエーターの意志として、神の世界
としての神の法則です。科学を生み出した、ガリレオも、ニュ
ートンも、当時の敬虔なキリスト教徒でした。
当時もまた、現代も、ヨーロッパの知識体系は哲学的知識体
系によって成り立っております。
現代のヨーロッパでは、形而上的に把握しうる部面では自然
科学的知識体系が成り立っていますが、心理学や社会学的分野
では、自然科学の一部としての捉え方は無いようです。アメリ
カ的プラグマチズムは生きているようです。
さて、ここで問題にした史的唯物論ですが、科学的実証は不
可能です。エンゲルスの”家族、私有財産、国家の起源”はそ
の前分の多くは、モルガン”古代社会”そのままです。
人間にとって経済は生きて行く為におおきな問題でしょう。
しかし、人間はそれだけでは有りません。生命を伸長し得る為
には、人権的側面はより重要です。
マルクス理論の基礎に、人権は根ざしていません。唯物論(
認識論)は視点を変えるといろいろの見解が浮かび上がります
。
階級闘争という、哲学を理念としている為、常に敵を作りま
す。敵のいる前で、現状を正しく把握し、行動を律し、敵を打
ち倒さねば生きてゆけない組織です。日和見は利敵行為とみな
されます。多くの人々が犠牲になりました。
民主集中制は民主主義とは無縁であり、決定に従うことを求
め、論争を打ち切ってしまう、強制システムです。
マルクス=レーニン主義は科学ではありえません。権力を握
った共産主義国家で起きる、多くの誤りは理由が有るのです。
中国や韓国で公式に教育されている、反日、帝国主義的歴史観
で科学的歴史を記述できるでしょうか。
ここの国家の置かれていた状況を、帝国主義という画一理論
で規定してしまっテ好いものでしょうか。中国や韓国、朝鮮で
現に行なわれている、非科学的誤りがいい見本でしょう。自分
達を文化の中心と考える中華思想、家族関係を基礎とした儒学
的倫理観、共産主義という、科学とは無縁な理念にを理想と考
え、そうした思考を日本に押し付けようとする態度、表に出さ
ない社会状況の中には、沢山の人権を無視し、生命を落として
いる人達がいるはづです。文化大革命と言う権力闘争の中で劉
少奇、トウチュウ、のような、かっての同志さえ、大衆の前で
辱めを受けさせるのです。
平和は人類が力を尽くして築き上げるものです。他からあた
えられるものでは有りません。個としての人間は自立し、尊厳
を持つものです。平和を他者に依存するものの論理は、自分達
を原爆の被害者として、特別な存在と考え、非武装を宣言して
、他者に依存して自分の平和を維持してもらい、さらに、経済
的繁栄も維持してゆこうと言う卑怯者の思考である。誰が進ん
で他者のために血を流し、平和を維持してやり、世界第二位に
なんなんとする経済力を作って差し上げる、奇特な国民がいる
であろうか。日本人が人類の一員であるなら、誇りを持って、
人類の平和の一翼を担わなければ、人類より除外されても、文
句は言えないでしょう。平和は命をかけた努力によって保たれ
ているはずです。06/08/04灯台守