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大連立の可能性はあるのか? とんびさんへ

2006/08/06 原仙作

 とんびさん、こんにちは。コメント、ありがとうござい ます。
 おっしゃるように、自・公・民の大連立、あるいは自・公・ 民の一部との大連立の可能性は一般論としてはないわけではな いでしょう。
 私のアイデアについて言えば、もともと、諸政党や政界の事 情にうといシロウトである私のような者に構想する材料や資格 があるわけではありません。それにもかかわらず、しゃしゃり 出るのは、それほどに共産党の対応が貧困だからです。

 さて、大連立の可能性ですが、これは「ない」と断言できま す。むろん、シロウト判断だとお断りをしておかなければなり ませんが。仮に、可能性があるとすれば、現在が最もその可能 性が高いと言うべきです。自・民の議席差が大きく開いたから です。与党は政権への展望を失った政党ほど抱き込みやすい。 抱き込む値段も売り叩ける。
 それに、すでに改憲派が議席を覆い尽くしており、これ以上 を改憲派が増えることができないほど飽和状態になっています 。それだから、国会内を見回すかぎりでは、与党にとっては大 連立の理想的な条件が整っているというべきです。しかも、民 主党の代表である小沢は元自民党の幹事長で、自由党を引き連 れて自民との連合政権まで経験しており、それこそ無数のルー トで与党とコンタクトを取れる間柄です。「豪腕」小沢をもっ てすれば、小沢の決断一つで大連立が可能な状態になっている とさえ言えるでしょう。

 しかし、現実には、小沢民主党は全野党共闘を提唱してまで 政権奪取戦略の布石を打っているわけです。仮に、小沢が民主 党の議席を増やしてから高く売りつけようという魂胆なら、私 のアイデアは大連立の条件を作り出すことになります。
 しかし、そういうことであれば、民主党のこれまでの軌跡は 矛盾したものであったということになるでしょう。自民党との 議席差が一番縮まっていた岡田民主党は政権交代を掲げたわけ だし、郵政民営化法案をめぐる自民党内の抗争につけ込んで、 党を高く売りつけることができたのに、それもやらなかった。 総選挙での惨敗後は、思い切った若手の起用をおこなって党勢 の挽回をはかるという試みも行っています。若手が党代表では 、党内をまとめて売りつけることなど、できない相談でしょう 。

 要するに、民主党は政権奪取という展望だけは手放していな いのです。そのことは、繰り返しになりますが、小泉政権の最 重要法案である郵政民営化法案を自民党の造反派と手を結んで 否決したことにも示されています。
 郵政民営化法案に触れたついでに、自民党に目を向ければ、 あの解散・総選挙は、それまで昇り竜の勢いにあった民主党を ぶち壊すために、政権を奪われる前に小泉が仕掛けた乾坤一擲 の大バクチだったのです。そこには、権力闘争を越えて、近親 憎悪の匂いさえ感じられるほどです。
 今のところ、巨大与党は権力を分有しようなどという気はさ らさらないでしょう。彼らは満ち足りており、わが世の春を謳 歌しています。たりないところは、ちょっとした手助けがほし いだけです。

 それに小沢という人物も見ておかなければなりません。彼は 政権欲だけで動く政治家ではないことです。自民党にいた頃、 総理総裁への就任を断った稀有の経歴の持ち主であり、その国 家構想、政策の実現のために自民党を割ることまでしています 。この政治経歴からみれば、民主党を自民党に高く売りつける ために党代表に就任したとは考えにくい。
 むしろ、民主党は政権奪取の最後の手段として小沢を起用し たのであり、その稀有な政治経歴を買い、小沢の構想する国家 政策と政治戦術に一丸となって取り組むことで政権奪取をめざ していると見てまちがいないでしょう。

 さて、最後は、新自由主義という金ぴかの制服を着た民主党 の若手のことです。彼らがまとまって脱党して自民党に駆け込 む可能性ですが、それはないと見る方が現実的です。彼らは自 ・民の老練幹部のもつ怨念からは自由の身ですが、もともと、 彼らには身を賭すほどの政治理念もないのです。その分だけ、 さらに自由の身で、短期間にいくつもの政党を渡り歩いた経歴 のものも多い。
 しかし、その分だけ、また目先の計算も得意です。彼らがマ スコミに顔を出しチャラチャラしていられるのは民主党にいる からです。移るべき自民党にはすでに80余人の小泉チルドレ ンがおり、脱党した民主党の若手が脚光を浴びる場はありませ ん。それを計算高い彼らは良く知っているはずです。

 ドイツなどの外国の事例ですが、それらの国の政治事情に詳 しくない私には確定的なことは何も言えません。しかし、これ らの外国の事例はあまり参考にならないでしょう。
 というのは、一つには政治をめぐる情勢は千差万別で、それ ぞれの国には簡単な類型化を許さない特殊事情があるからです 。たとえば、自・民の老練幹部間にある、ある種の怨念という ようなもの、これは歴史を紐解くまでもなく、時として、階級 的な利害を乗り越えて暴走したり、政治情勢をあられもない方 向へ導くことがあります。
 もう一つは、歴史的事情の違いです。これらの国では、一本 の国家政策が国家の進路の帰趨に直結し、そのことが国民生活 に多大な影響を与えた国で、国民はそうした政策に多大な関心 をもっています。政治家もそうした一本の政策の重み、その決 断の苦渋という経験を積んでいます。
 ところが、日本では、戦後の一時期を除いて、55年体制が 成立して以降、国家の進路はアメリカ任せで、政治家も国民も どう転んでも生活が激変するような政策の選択と決断を経験し たことがないのです。変化を嫌う国民性とも言えましょうか。
 この国民性の違いが、日本の保守政治家に大胆な政治決断を することを躊躇させています。自民党が憲法調査会法案を強行 採決してから、すでに8年がすぎています。その意味では、こ の国民性は、平和国家を肯定し、その変化を否定する戦後民主 主義運動とも融合しあいながら、現在の改憲派総体の動きを規 制しているとも言えるわけです。大連立を牽制する究極の力も ここにあると言えるでしょう。 取り急ぎのレスということで。