灯台守 さんレス有難うございました。
私も貴方にレスしたいと考えていたところです。
それは、あなたの文章の中で、史的唯物論は、科学ではない
と 言われていることに同感したからです。史的唯物論は哲学
であると、確かに哲学だと思いますが、唯物史観という、科学
的な思考方法であると私は思います。科学という名詞ではなく
、形容詞としては使ってもよいのではと思いますが、いかがで
しょうか。
名詞と、形容詞では大きな違いがあると思います。私は
かって 日本共産党に、「科学的社会主義」は、やめて、「科
学的な社会主義」にしてくれと頼んだことがあります。聞き入
れられるわけも無いので、離党したのですが。
これが科学だと決め付けることは、人間として、尊大すぎる
し、大自然を無視した教条主義だと思います。
>科学的社会主義欄のロム3さんと寄らば大樹の陰さんとの論 争を見ていて思わず”よし”と力が入りました。そうです、私 も生き抜くために頑張っています。ロムさんに大喝采を送りま す。
大喝采有難うございます。20世紀は、人間が理念に左右さ れすぎたと思います。21世紀は、今一度本来の動物性にもど って生きることが余儀なくされているように思います。資本主 義が労働者を搾取していると言いますが、人間は、他の動物を どれほど搾取しているでしょうか、搾取どころか、大虐殺の繰 り返しです。必要な殺戮は、生物には、自然の倫理として許さ れていると思いますが、不必要な殺戮は動物に対しても慎むべ きだと思います。地球上の最も醜悪な動物は、 われわれ人間 であると認めなければなりませんが、単に自虐的に考えても問 題の解決にはならず、自分も動物であるから何が何でも生きね ばならぬという命題から出発したいと思います。
>しかしながら、マルクス、レーニン主義に、未来は無いと確 信しています。哲学、宗教、倫理観に未来予測は出来ません。 もし、したとすればインチキです。科学は実証の範囲でほんの 少しだけ予測が可能です。
マルクス主義と、レーニン主義とは、別物です。別物である
からこそ、マルクス・レーニン主義となったのだと思います。
私もそんなにくわしくはないのですけど、マルクス主義は、
唯物史観であり、レーニン主義はプロレタリア独裁主義だと理
解しています。
日本共産党は、この二つの理論を同時に受け入れて、その相
克に悩み抜いてきたのではないでしょうか。矛盾が噴出してく
るのは当然ですからね。
>マルクスレーニン主義(科学的社会主義)は否定します。2 年程前、不破哲三氏に”科学は良いが哲学は誤り”との手紙を 書き、離党しました。30年以上の党歴がありました。最も、最 後の十年程は、疑惑の中でした。
科学的社会主義とは、ごまかし言葉でしかありません。”科 学は良いが哲学は誤り”とは、私とは、全く反対の立場ですね 。私は、哲学をなぜ捨てたと、党に迫って来ました。正しい哲 学に基づいて、科学的知識は個人個人が努力して獲得すべきだ と考えています。これが科学だと、党に押し付けられたくはあ りません。党にそんな力があるはずがないではないですか。党 にそんなことを期待しているとしたら、多くの党員は無いもの ねだりのあまったれだと私は思います。
>ソルジェニーツインの一連の書物、ベルリンの壁崩壊後とソ ビエトの内部権力闘争、粛清の暴露、毛沢東の侍医の私生活の 暴露本、天安門事件、等々。権力闘争による人命の軽視は民主 集中制に関係するのではと考えた時。私は改めて、”科学的社 会主義”なる論理を考えざるをえなかったのです。
天安門事件は、毛沢東ではなく、トウ小平氏の時代です。私 は、あれはやむをえない処置だと思っています。
>マルクスレーニン主義(科学的社会主義)から離れ、人類史 を眺めると、人類の歴史は支配からの自立の歴史ではなかった かと考えています。その意味からすると、未来社会は、紆余曲 折はあっても、生き抜く為の技術を身に付けた、自尊心を持っ た、自立した人間達の社会ではないかと考えています。未来社 会には労働者は似つかわしくない。
自分の能力で、自分の意志で、社会へ参画する人々の姿こそ 、未来社会、宇宙時代には似つかわしいと考えます。
私も同様に考えます。人間は本来の動物に帰るべきだと思い
ます。
安心して本来の動物に帰ることが出来るような社会が理想的
社会だと思います。不必要に人命維持装置にしばられて長生き
しなくとも生きてることが楽しくなくなった時点でころりと死
にたいです。
やみくもにお金を貯めていなくとも社会に身をゆだねていれ
ば安心して生きて行けれる社会であってほしいです。
そういう社会にするためには、もっと科学を発展させて豊に
なる必要があると思います。日本は天然資源が乏しいですが、
海洋に取り囲まれています。この海の水をエネルギーに変える
技術をきづきあげれば随分豊かな国に変身できると思います。
そういう未来もあるのではないかと思います。
>追、多くの共産党員はマルクスレーニン主義(科学的社会主 義)は科学であると思い込んでいると思います。私が投稿しよ うと思いたったのは、そのことからです。寄らば大樹の陰さん は、ご自分の思いを書物から得たいと考えているようです。し かし、一度はご自分の頭で考えてみるべきです。
そうですね。自分の頭で考えるということが最も大切だと思
います。そこは、人間が動物から、学びなおさなければならな
いところかも知れません。動物には、階級はありますが、宗教
などというおろかなものはないですからね。宗教国家ほど文明
からおくれていますし、戦のもとは、ほとんど宗教です。ナチ
ズム、レーニン主義も宗教のようなものですね。
日本の大和魂も宗教のようなものです。靖国神社も大和魂と
無関係ではありません。大和魂を鼓舞するような小泉氏の行動
は日本人にとっても戦中の暗いイメージが蒸し返されていやな
ものです。
>唯物弁証法と科学は無関係です。ニュウ―トンは神学者でし た。言うところの観念論的見地からでも科学は生まれでます。 灯台守
まあ、半分同感ではありますが、後日また。