やすしさん、「反共産党と反共産主義」については、別 けて考えたほうが良いと思います。かつて、共産党と共産主義 が同義語であったのは、マルクス・レーニン主義=一国社会主 義論が全盛であった時代のことで、そのマルクス・レーニン主 義とは、およそ党内中枢書記局を握ったスターリンがトロツキ ーらの左翼反対派との党内闘争のなかで編み出し、反対派を大 量粛清とトロツキーに「反革命」の汚名を着せて追放暗殺した 。レーニンの正当な後継者を詐称するために、コミンテルンを 通じて世界中の共産党に押し付け、ボリシェヴィキ党とロシア 革命の簒奪のために利用し、そのためにスペイン革命や世界の 多くの革命運動を破産に追い込んだ歴史的悪しき産物だと思い ます。レーニンがボリシェイズムを確立していったことは間違 いありませんが、当時のロシア国民がボリシェヴィキ党を支持 した訳ではなく、ボリシェヴィキ党だけが戦争中止を掲げたか らです。レーニンが第三インター創設を通じて、ボリシェイズ ムを各国労働者党・共産党の綱領的指針としたことは歴史的事 実ですが、レーニン自らボリシェヴィキ主導による10月革命、 すなわちボリシェヴィキロシア革命理論を「レーニン主義」と 標榜した事実はありません。日本共産党がかつて吹聴した、ト ロツキーは「極左冒険主義」の反革命ではありません。1900年 代初頭以来、真の共産主義者はすべからず国際主義です。日本 共産党は「個人の名を冠するのは良くない」と云う理由だそう ですから、その、マルクス・レーニン主義を「科学的社会主義 」と言い換え、非民主主義の党内体制である戦時共産党体制を 改めることなく、市民運動や大衆運動を軽視・阻害して平和革 命の名に値しない、ひたすら只のブルジョア議会主義の道をひ たすら歩むだけの、官僚主義の不破共産党は全くお粗末です。
ご存知のように、東欧・ソ連邦の体制崩壊によって、その内 実が明かされ、ヨーロッパ各国の共産党はポルトガル共産党を 除き瓦解してしまいました。それに替われるものが、第四イン ターになりうるかも知れないと期待しています。フランスでは 国民議会に議員を送り旧共産党に代わって国民の権利闘争の場 で奮闘しているようです。ヨーロッパの社民は政権争いに明け 暮れ、おおむね反共社民と考えていいのではないですか。振り 返って、アジアでは中国とベトナム、北朝鮮と云われています が、北朝鮮はマルクス・レーニン主義にも値しない鎖国型独裁 王朝ではないですか。旧ポルポト派はマオ・イズム禁欲主義の 極致だと思います。中国とベトナムを同一視する見方が多いよ うですが、ベトナムはホー・チミンの全国民的支持を受けた、 民族主義を踏まえた共産主義思想の建国精神が色濃く受継がれ 、今年2月以降は多党制移行議会選挙の議論が公然とされてい るようです。また、党官僚の腐敗摘発も市民の側からのボトム アップが多いようです。確かに、市場経済化の波の影響が大き いと思いますが、ダナンやホーチミンは「これが社会主義か! 」と思えるほど統制色がなく自由度が高いです。
やすしさんも指摘されているように、社会主義青年フォーラ ムの綱領(抄)のなかで述べられている、以下の第4項、第5項か らの抜粋が、如実にこの組織の性格と本質を表していると思い ます。マルクス・レーニン主義(スターリン主義)の立場をとる 、世界中でも極少数派に転落した共産党が、全体主義(ファシ ズム)と同列に扱われるのは当然としても、とりわけ、第4項は 反共産党ではなく、反共主義の立場に立つことを明言している ことに注目したいと思います。反共主義と自衛隊・日米安保条 約の積極的肯定と容認は、当然のごとくアメリカ主導の戦争肯 定・戦争推進支持に繋がるものと解釈できます。以下抜粋。
>4.民主主義の否定者である左右の全体主義、すなわち共産主 義およびファシズムと対決する。
>5.自衛隊と日米安保条約を車の両輪とした適正な防衛体制の 堅持が必要不可欠であることに留意しつつ、
従って、共産主義者とは云いがたい私でも、やすしさんの「
共産主義とは民主主義の最高形態」の論には、まったく異論な
く同意できます。
ただし、その民主主義革命の道筋における「暴力革命」の是
非ですが、私の基本的な考え方は「民主主義革命を求める側に
、暴力行使の必然性は皆無だ!」と云うことです。私が共産党
員だった、1960年以降には「敵の出方論」が云われてきました
が、それも何時のまにか、なし崩し的に議会主義による偽りの
平和革命論にスリ替ってしまいました。それぞれ、ご自分が家
族や親兄弟、親戚、親しい友人知人が理由のいかんを問わず、
暴力によって傷つく、あるいはその死を容認できるでしょうか
。けだし、自らがその犠牲をいとわないとする「犠牲的革命精
神」とは、また別次元のことです。野蛮なテロリズム容認・肯
定は云うに及ばず、暴力革命論や暴力革命肯定論を容認、ある
いは吹聴するのは、己の存在を枠外において詭弁を弄する全く
信頼に値しない者、ないしはガリガリの教条主義者です。いず
れも、多くの良心的な人々を体制の側に追いやり、他人にその
犠牲を強いることを求める点で、反革命論に他なりません。社
会主義・共産主義者であると無しに関らず、民主主義による社
会変革を求める側に立つ者は、内外すべての暴力行為を摘発し
、紛争や戦争に反対する立場であることが、その重大な責務で
す。私たちの前途には、左右のイデオロギーや宗旨にかかわら
ず、小異を捨てて大同に組し、当面する諸要求や憲法擁護の圧
倒的な国民的民衆運動を構築して、社会的不条理とすべての暴
力と暴力的支配を封殺することが求められていることだと思い
ます。
灯台守さんへ 2006/08/28 百家繚乱 50代 事務職
>人間の思想は、何主義を自称したかではなく、世界や社会の 中で、いかなる行動・役割を働いたかによって決まる。
>それはこの人類世界が、国家によって分断されているからで ある。マルクスもトロツキーも、博物館に入れていいほど、人 類世界の知性は豊かになっていない。
このように語る。百家繚乱さんの言葉の数々に深い感銘を受 けます。また、私と同年齢で30年予の党員生活から導きだされ る、灯台守さんの大胆な論からも多くのことが学べます。唯々 、感謝あるのみ。