現代社会は、自由はお金で贖える社会であるようです。
しかし、少しずつ変化があるようです。定年後は、年金を元に
、田舎暮らしをしてみたいとか、少し財産が出来たので、自然
の中で生活したいとか、生活は苦しいけれど、ボランチアー活
動をして見たいとか、NPO.NGOの活動に参加してみたい
とか、つまり、拝金主義ではなく、自分自身の生き方を、自分
自身で創造して行こうとする人々が現れている事です。
私は、社会主義の理念のように、経済の極端な公平化は目指
すべきではないと考えます。極端な経済的格差によって、経済
的弱者が貧困化する状況は、是正されるべきです。それには、
考え方を同じくする人たちの、社会的運動が必要です。
日本人は、特に、頼朝、家康の子孫達です。考え方の柔軟性
な事は、世界一です。多分、未来を楽観していいでしょう。
子供達には、人間の尊厳と、自立し、個性を持ち、他人をお
もんばかる優しさと、強い目的意識を持てる人間に育て上げる
べきです。しかし、其れと同時に、人間は他人の厚意に甘え、
無知である為に他人を傷つけてリ、生きる自身をなくし、自暴
自棄に成ることもあったり、人間の社会には危険がいっぱい有
る事も教えて行くべきです。従って、時には、毅然とした態度
で、対しなければ成らない事も教えてゆくべきでしょう。それ
には、強い意志と、強靭な体力も必要なことも付け加えておく
べきです。
そして両親は、自身の価値観を押し付けないようにすべきで
す。子供が生きて行ける知識と技術を身に付けるよう励ますべ
きです。
さざ波の読者にもお願いしたい。個人の哲学(哲学、宗教、
倫理観)は尊重すべきでしょう。反面、他人に強制は、しては
成らないでしょう。他人の全部を否定するのではなく、評価出
来る点は評価し、共同すべきです。安倍晋三「美しい国へ」を
読みました。最後の項目に”再チャレンジの可能な社会へ”と
言う項目がありました。もし安倍氏が総理大臣に成ったら、少
なくともこの政策は支持します。他を支持できるかどうかは不
明ですが。
私の言いたい事は、社会を良くするのには、同意出来る事に
、出来る限り多くの人が結集して政策を進める事だと思います
。all or nothingではいけないでしょう。現代のグローバル
経済下で、産業のハイテク化、生産性の向上は避けて通れませ
ん。これを否定したら、多分、競争社会では言うところの、”
労働者、資本家”は共倒れでしょう。再チャレンジは必要です
。格差の拡大も、起こって来る筈です。対策は是非必要です。
其れにもかかわらず、価値観の多様性は進んで行くでしょう
。人は希望を求めるものです。経済生活の中でのみ自分自身の
価値を伸ばそうとしても、其れは始めから不可能であることは
自明です。経済力を誇る人間を否定するのと同じく、経済主義
哲学も同じく否定します。
経済的競争のルールは一国では、変える事は、出来ないはづ
です。世界的事業です。異なる哲学(哲学、宗教、倫理観)を
持つ人々が、一つの政策で共同出来るように成る社会を期待し
ます。これは、若い人達の力に期待するしかないでしょう。灯
台守