8月28日のあなたの投稿に理解しにくい部分があります。
「一国での社会主義革命を夢見ても何も産まれない。マルクス とトロツキーは、社会主義体制は世界的なシステムであると考 えた。更に、社会主義社会の中では国家は死滅に向かうと考え た。これこそが、彼らの思想の核心である。」?
「今日の人類世界にとって、最も重大なテーマでもあり続けて いる。今日の人類は、飢餓人口・環境破壊を抱えながら、何十 回も自殺できる軍事力を持っている。なぜなのか?それはこの 人類世界が、国家によって分断されているからである。マルク スもトロツキーも、博物館に入れていいほど、人類世界の知性 は豊かになっていない。」?
この二つの文章は連続していますが一つの文章です。?の文 章ではマルクスとトロツキーの考え(?)を肯定し、下の文章 では否定しています。
?について言えばマルクスが共産党宣言で「万国の労働者団
結せよ」と書いたのは社会主義社会は一国ではありえないこと
を指しているのではないでしょうか。
そしてマルクスとエンゲルスは国家というものが文明社会が
現れて以来「いつも例外なく支配階級の国家であり、どんな場
合にも本質的には抑圧され搾取される階級を抑圧するための機
関であることに変わりはない」(岩波文庫「家族・私有財産・
国家の起源」p.202)と考え、社会主義革命によって労働者階
級が支配階級から国家を奪い取った後、支配階級すなわちブル
ジョアジーから生産手段を奪い取り、階級そのものを無くして
しまう過程に直ちに入ってゆくのであるからプロレタリアート
が支配する国家そのものはプロレタリアート、ブルジョアジー
の消滅と共に「眠り込んでゆき」ついには死滅するのであると
彼らは考えるのではないでしょうか。それが彼らの思想の核心
かどうかは別にしてブルジョアジーの支配する各国の国家的制
約を乗り越えて連帯し各国労働者階級は世界革命の一環として
自分の国を打倒しなければならない。トロツキーやレーニンな
どはそう考えていたと思います。
この思想を放棄したのがスターリン主義であり、レーニンの
死後世界革命を「ソ連邦擁護」に従属させ、1945年以降次々と
生まれた社会主義諸国家をソ連邦の支配下におこうとして、そ
れら諸国と対立したのでした。だがここに社会主義諸国家と書
いたが便宜上で世界が帝国主義経済に支配されている中で仮に
かつてのソ連圏であれ社会主義として存立することは長い年月
では不可能であり、一国社会主義の強行は人民の奴隷的労働を
強制し、弱小民族を抑圧し、各国共産党が人民支配の権力者と
なったのでしょう。だが奴隷的支配のもとではどんなに人民を
鞭でたたこうが生産力は低下する以外にはなく、しかも帝国主
義との対峙の中で変質し、疲弊し、崩壊していったのでしょう
。
自由諸国、つまり帝国主義諸国共産党がほとんど社会主義革
命を放棄し、改良主義に陥ったのは日本においても例外ではな
いのです。
スターリン主義支配下以来の共産党の運動は社会主義、共産
主義の実現に主観的には命をかけながら、それととは無縁であ
り、私たちはこれらの轍を踏まえながら、自称社会主義国では
第2革命を、帝国主義諸国では社会主義革命を再び実現するた
めの努力をしなければならないと思います。
かつての共産党員が一度は決意して入党したはずの共産主義
に対する信念が90年のソ連邦崩壊によってぐらつき共産主義そ
のものを否定するのは、在党時代のマルクス.エンゲルス.レー
ニンの勉強不足からくるのではないでしょうか。かという私も
同様ですが、真実を知るのに遅すぎることはないと思います。
「マルクスもトロツキーも、博物館に入れていいほど、人類 世界の知性は豊かになっていない」
これは人類世界の知性が低いために、「飢餓人口・環境破壊
を抱えながら、何十回も自殺できる軍事力を持っている」とい
いたいのでしょうか。それは一体知性の問題でしょうか。その
ような精神主義をとりながら、なぜなのかこう書きます?「そ
れはこの人類世界が、国家によって分断されているからである
」のであるから、「マルクスもトロツキーもまだ取り出して読
むべき」であるというわけです。つまりマルクスを否定しきれ
ないのです。だが精神主義という観念論によっては世界は微動
もしないでしょう。
マルクスはインドにおける飢餓問題を「資本論」のなかで書
いています。それはイギリスの紡織機がインドの紡織で生きる
人たちの生活を破壊し、東インドは白骨の山となったと。マル
クスの死後もどんどん帝国主義による被抑圧諸国に対する過酷
な収奪が広がり、アフリカは飢え、アジアの貧困、南米の経済
危機が慢性化しているのです。それらの問題はマルクス主義に
よって解明できるし、マルクス主義によってしか解明できない
のではないでしょうか。
「私にはマルクスの本を飾る趣味はありません。私の書斎に はヘーゲル関係と自然科学関係の書物を中心に飾ってあります 。マルクスの考えは、今日ではだいぶ古くなって通用しないも のがかなり多い。しかし、彼の思想は19・20世紀において 、世界を改造する上で、極めて大きな物理力を持っていたのは 明らかである。その点では、今日においても研究に値する。」
マルクスは知性の低い人のために必要な書物であり、知性の 高い「私のような」人間はヘーゲルを読むのです。いやはや。