ヴェネズエラのチャベス大統領が9月21日~22日、国連総会議場において“爆弾的発言”をしたとかで物議を醸しているらしい。 驚いた。 アメリカ・ブッシュ大統領を「彼は悪魔でアルコール中毒だ」とか、「(アメリカの)皆さん、あなたがたはこういう指導者をトップに戴冠しているのですよ」などと“チャベス節”丸出しだったとか。
ボルトン国連大使(?)も負けじと応戦。うんざりしながらも「チャベス氏は政治をマンガの世界と勘違いしているようだ。(アメリカを批判するのなら)《言論の自由》を自国の国民にも認めたらどうか」などとグサッと指摘(万一趣旨に誤謬があればご指摘ください)。
チャベスの言う「アル中」は半分は真実ではないかと感じる。3~4年前にもアル中の疑いを指摘する情報が流れた時期があった。ハーヴァードの学生時代に既にその傾向があった、と指摘する大学教授もあったからだ。好戦的な現政権を好ましく思わない人びとは、保守系中道や中道左派系のみならず共和党支持者の中にも少なくないと言われるが、彼らがブッシュのアル中疑惑を否定(ブッシュ擁護)したというような報道に、寡聞にして接したことはない。
だが、“神聖”な(?)国連総会会議場で“爆弾的発言”を為して全世界の耳目を浴びたのは、なにもチャベス氏が初めてというわけではないそうだ。1961年頃には同じ国連総会においてフィデル・カストロ首相(キューバ)がJ・F・ケネディ大統領(当時・アメリカ)を舌鋒鋭くコキおろしたらしい(まぁ、ぼくの生れる遥か以前の事だが歴史的事実だとのこと)。1961年と言えば、キューバ危機やグァンタナモ絡みなどで米ソ二大陣営の緊張が極度に高かった、と教わった記憶しかないが、アメリカ経済がまだ空前の繁栄を謳歌していた時代でもあろう(アメリカ版ケインジアンの黄金期)。
チャベス氏を「反新自由主義の新しい旗手だ」と評する同世代は、(ぼくの知る範囲では)民青内にもけっこう多いと感じるが、いささかナイーヴに過ぎないだろうか。
「反新自由主義者」もしくは「反グローバリズムの急先鋒」であれば、必ず《善》と断定しうるのか? 必ず《善人》なのか?
左・右・中道の別を問わず時の政治トップに対する当該国民民衆の評価には、毀誉褒貶がつきまとうのは言うまでもなく避けがたい。そしてそれは宿命だろう(かなり比喩的だが一種の“贅沢税”と言いうるかもしれない?)。
一部からの賞賛・好意的評価の陰で、チャベス氏の姿勢を好ましく思わない当該国(ヴェネズエラ)の一定の社会層に対し、何らかの威圧政策を執っている、いや執っていない、とかいう根拠不明なうわさが一部で出回っているらしい。その真偽は、どうなのだろう??
また、チャベス氏は理想に燃える社会主義者であることを以前から自認し誇りにしているそうだが、自らとは異なる思想・信教の持ち主に対しての政治姿勢はどうなのだろうか? 日本では非同盟諸国に関するメディア報道が限られているが、見聞した範囲内では同氏が信仰者層(信教の自由には、信仰をもたない自由も当然含む。)を尊重しているといった情報は伝えられていない。
なんとなればヴェネズエラ共和国はかつてはスペイン領だった影響でキリスト教信仰者率がとても高い。南米帰りの知人によると、ブラジル並みかどうか定かではないが、かなりの山間部にまで教会が点在しているそうだ。ほとんどの家庭にはささやかながらも小マリア像が鎮座し大切にされている。
ヴァティカン総本山からは事実上の「異端」視されているとはいえ、解放の神学も一定の階層を中心に根強い支持を受けてもいる。 かつてのスペイン統治時代以前からの原始宗派(一種のアニミズムの類い)の影響も、民衆意識の基層部分に見え隠れするんだとか。 新米政権から“赤い神父”と忌み嫌われ1970年代に処刑された社会改革志向の行動的聖職者複数人も近隣国出身者だったとか。
いまは21世紀だし、まさか、70~90年前の旧ソ連ではあるまいし、反宗教法を制定してまで礼拝儀式禁止令、 宗教を“ユートピア建設の敵”とばかりに対応が徐々にエスカレート、不治の末期癌患者の枕元での福音書の読み聞かせまで罰し違反者を収容所送致、 教会・修道院を閉鎖・破壊、 党の反宗教政策に抵抗した聖職者・信徒を拘束・殺害、 強制閉鎖した宗教施設から聖物・イコンを撤去しそのスペースを共産党(労働者党)の事務所に衣替えしてしまう、、、(畏敬心を逆撫でし廃教感情と憎悪の暴走したあきれるほどの犯罪的暴挙の数々!)・・・などといった愚挙暴挙は考えてもいないだろうけれども・・・
ヴェネズエラの歴史がどうだったのか不勉強にして不明だが、南米の多くの国・地域は、度重なる政情不安・政変・暴動に苛まれてきた。氏族間の突発的な武装抗争の巻き添えで生命を奪われた非戦闘員・村民も少なくない。その発生頻度も前世紀の一時期は高かったらしい。南米の近現代史を称して「軍事独裁に血塗られた歴史だ」と指摘する有識者の講演を拝聴したこともある。
人物評価はさておき、一部左翼知識人の間でかつて“革命の闘士”と賞賛されたゲバラ氏、本職は医師だったらしいが変革運動のなかで不自然な死に方(?)で世を去ったのだとか。暗殺説もある。
ヴェネズエラの西隣・コロンビアをはじめ、南米は誘拐事件も多いと言われる。JICA(国際協力事業団)の日本人スタッフが1990年頃行方不明だったのはまだ記憶に新しい。 主だった犯罪組織がどの程度の武装をし、どのような政治的主張を掲げて活動(暗躍か??)しているのか。日本では信頼に足る情報が乏しいと感じるのはぼくだけではないはずだ。まだまだパック旅行中心とはいえ、近年、気軽に海外旅行先に南米をチョイスする人も増えてきたが、「危険に晒されるかもしれない」との意識を強く持って出かける観光客がそれほど多いようには見えない。積極的に最新の治安情報を発信提供することは外務省だけでなく旅行各社・メディア各局の義務ではないのか。そもそも、中南米地域全域にわたって日本ではまだ情報過疎に近い現状にあると思うが、新聞・メディア各社は認識を改めてほしい。
アルゼンチン、チリ、パラグァイ等では1980年代初頭頃までの軍政下で、夥しい学生・反体制的市民が行方不明になっていた。当該国内外のリベラルな民間諸組織、あるいはアムネスティ・インターナショナルなどによると概ね「軍政当局に都合の悪い不従順分子を片っ端から拉致し収容所に送り込んだと推定。暗殺された者も多い公算が強い」旨の分析のようだ。学生救援組織等の発表によるとその数じつに2万5000人~3万人以上とも伝えられていたそうだ。 (ややデータが古く恐縮だが)行方不明頻発時から10年前後経った1986年時点に「我が子を返せ! 身柄解放せよ!」「せめて(息子が)生存しているかしていないかだけでも情報提供せよ!」などと軍事独裁政権を糾弾する学生・若者の親族が激しい抗議行進を繰り返したそうである。
民族性や国民性の問題として安易に片付けるのは危険だし趣味ではないが、この地域をみると(あくまでメディア等を介してのものにすぎないが。)「社会主義志向国らしさ」があまり感じられない。重苦しさというか陰鬱さとはまるで無縁のようだ。「人間臭さ」が濃厚に漂ってくる。ラテン民族特有の「ケ・セラ・セラ精神」と社会計画志向、全員一致主義の間にはそもそも親和性というより相性が無いのかもしれない(同じラテン民族のキューバ人の底抜けの楽天性とレゲエ、サルサ音楽にハマッてしまったという女優が居るが、帰国後「キューバが共産圏だなんて全然感じられない」とテレビで語っていたのが印象的)。
義務教育就学率はまだまだ低いものの、貧しさにもかかわらず子ども達の目は輝いている。スパイク・シューズもゴールネットも芝のピッチもないけれど熱帯の強烈な太陽のもと、無心にサッカーボールを奪い合うテレビの画面。米欧日のような無機質なスーパーはないけれど値段の交渉で客と激しく応酬する(暴力ではない。念のため。)バーゲニング文化。自己主著や交渉力が知らず知らずのうちに鍛錬されるのではないだろうか。ファーストフードが進出しないおかげで廃れていないトルティージャ。大家族が主流で子沢山、時間と組織に縛られるあくせく人生よりも貧困ではあっても家族団欒を優先する伝統。
ラテン民族に共通してひろく指摘される相手の裏をとる狡猾さ・イヤラシサ。或る南米研究者によると「彼らは法律の抜け道探しに先天的な才がある」のだとか。マルケスやボルヘスの小説からは、他大陸のそれにはない際立った陰影が発見できると評する南米文学者の話を聞いたことがあるのを想い出した。
さまざまなアングルから怜悧に吟味すれば真に当該国の民衆(とくに貧困層)を救済した民益指導者(「国益」ではない。念のため。)と言い得るのは一握りなのではないだろうか。スタンスや時代、背景諸事情が異なるので単純比較はできないが、程度の差こそあれ民衆の期待を裏切った国家元首はこれまで数限りなくあった筈である。ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領、ブラジルのカルドーゾ元大統領、ルーマニアのチャウシェスク元大統領(銃殺刑により故人)、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領、ロシアのエリツィン元大統領、スペインのゴンザレス元首相、、、等々・・・。
それゆえ、チャベス氏に対する肯定的評価もまだしばらくは留保し、正負両面から診たい。とくにチャベス路線に反対の立場にたつ階層の声や、中立的立場のそれに耳を傾けてからでも遅くはないと思うからである。「現状維持」を唱える反チャベス派の声にもそれなりの意味はあるはず。それをきくことが無意味だとは必ずしも思えない。
なかでも、国際社会から「核疑惑」を持たれているいくつかの冒険国家との不自然(?)な経済関係に関しては、チャベス氏側は誠意をもって説明を尽くすべきではないのか。
ここまで書いてきて、直近と拙稿前半を核とした箇所でチャベス氏に対する不信感を前面に出した論調に受け取られたかもしれない。チャベス・ファンの方々が聞いたら気分を害されるかもしれない。
しかしこう見えて実はぼくもヴェネズエラというより中南米に民主主義が根付くのを願う端しくれだ。言語の壁こそあれ一定の親近感を以て日々、中南米情報探索を愉しんでいる1人でもある(当初はサッカー(現地では「フチボウ」)中継を通じて、その後徐々に民衆文化に関心が拡大)。とくに同地域において社会改革的スタンスをとる元首がここ3~5年ぐらいで急速に増え始めたという事実自体は、注目すべきだし希望がある。もとより隠れた深刻な問題は多々あろうが(若干例示すれば「アマゾン流域の砂漠化」廃坑となった金鉱採掘地の下流域での「水銀中毒者問題」「反政府組織の乱暴狼藉」)、概ね陰よりは光のほうが大きいのではないか?、と大雑把ながらオプティミスティックに理解したい。
ブラジルのルーラ、アルゼンチンのキルティネル、両大統領は自国民衆との誠意ある対話を、今でも心がけているらしい。前述の元軍政期の「学生・反体制的市民大量行方不明・拉致事件」の真相究明にも目を閉ざさず正面から解決に挑んでくれるのではないか?とひそかに期待している。
日本から直線距離約1万4000キロの乖離はあってもなぜか親近感の湧かずにはおかない《南の円錐》南米大陸。さまざまな意味あいでこれからもこの地域から目が離せない。
■そして赤旗記者に期待する.
一般メディアは概して時々局々のムードに振り回されがちで、海外の指導者トップを多角的に診ることを充分にしなかったと思う。あちこちに右顧左眄する必要のない赤旗特派員は、このような時代だからこそ、自らの使命を再認識し、良い意味で誇りをもち果敢に、ホットな世界情報を伝えて欲しい。期待している。