どうもです。
まずは、管理人さん、さざ波通信をずっと継続されていることに感謝しつつ、論争の場を提供されているご好意にあらためてお礼をのべたいと思います。
それでは本題に入ります。銀河さんと、風遊人との論争を見て私なりに、総括したいと思います。
結論的にいうと、日本資本主義論争に関する総括だということです。
私は、銀河さんの立場を支持する立場から、この論争を総括したいと考えます。長くなりますが、端的にのべていきたいと思います。
この問題は、いわゆる日本資本主義論争といわれるもので、労農派と講座派、社会主義革命と二段階革命の対立、日本社会党と日本共産党の対立として戦前から争われてきました。それらを総括したのが宇野弘蔵さんです。銀河さんの提起は、実は宇野さんや私の主張に近く、銀河さんは宇野弘蔵さんの著作を読まれれば、なるほどと思われるだろうと思います。他方、風遊人さんは講座派の二段階革命理論はナンセンスだといわれているが、風遊人さんの維新論そのものが、講座派そのものですで、講座派の理論として批判したいと存じます。
いわゆる問題の核心は、明治維新はブルジョア革命(ブルジョア民主革命とは表記しません)であったか、どうかという問題です。
結論的にいうと、「後発資本主義国」として明治維新はおきたものであり、上からの資本主義化・産業育成化であったものの、資本主義的蓄積様式を日本は明治維新で導入しているわけです。したがって資本家も登場しているわけで、労働者も出現しているのです。「賃労働と資本」の確立は明治維新によってなされたわけです。
ただし、「資本論」のみを重視する理論=定式化されたマルクス主義=正統派マルクス主義・講座派の理論でいくと、明治維新はブルジョア市民革命かで躓き、完全なブルジョア革命ではないとしてしまうわけです。そこから、ブルジョア民主主義革命が必要だという理論になり資本主義・帝国主義に対置すべき社会主義革命が遠のいてしまうわけです。私は、これが天皇制ボナバルティズムの脅威に結びついて、自ら日本共産党は解散し、第二次大戦前後の革命情勢に行き着くことができなかった敗因だと考えています。
他方、労農派は、資本主義的蓄積様式・「賃労働と資本」の確立を明治維新によるものだと指摘して、ブルジョアジーとプロレタリアの階級闘争をとらえ、社会主義革命を対置します。しかし、天皇制に関するとらえかたが曖昧で、政党そのものが合法的であったため、大政翼賛会に飲み込まれてしまいます。これも、欠陥があったわけです。
第二次大戦後、労農派と講座派は社共共闘・人民戦線などで交流していくのですが、やはり明治維新のとらえかたや革命綱領などで対立してしまうわけです。そこで、これらの対立を総括したのが宇野弘蔵さんです。
では、宇野弘蔵の主張とはどのようなものだったのか?
それは、日本の明治維新を「後発資本主義国」の資本主義としてとらえることで、天皇制をすえた国家によって産業資本を上から整え、帝国主義化したという理論で、宇野弘蔵さんは、総括したということなのです。こうした理論のヒントは、レーニンの「帝国主義論」と「ロシアにおける資本主義の発達」にあると宇野自身が述べています。その理論から資本論にさかのぼることで段階論を提示して、日本資本主義論争を総括したのが宇野弘蔵さんなのです。
つまり、ドイツやロシアや日本などの「後発資本主義国」の-(イギリス自由主義段階やスペインの重商主義段階のような資本主義をへて資本主義化した体制ではない)-資本主義発達は、完全なイギリス・フランス型のブルジョア市民革命をへて資本主義化していくような、二重革命の姿をとらずに、産業資本の上からの導入で資本主義発達していくということなのです。
実際、ドイツやロシアや日本の資本主義化は、徹底したブルジョア革命によってではなく、上から資本主義化していったわけです。とくに、資本が脆弱で国家がバラバラで未発達だったドイツでは、イギリス自由主義段階-産業資本(綿工業)に対抗して、帝国主義段階-社会的資金を株式や金融で一挙に集中させる金融資本(重工業)を形成し、イギリスと対峙していくわけです。そのなかで、イギリスはじりじりと世界支配を喪失していくわけです。こうした段階は、レーニンの金融資本論や不均等発展論や独占化論で詳細に述べられています。
ドイツもロシアも日本も、帝国主義はとくに凶暴化したのは後発資本主義国によるより激しい市場争奪を急激に行ったからです。
日本の場合は、産業資本をイギリスにならって導入するが、世界の帝国主義段階化に即して、ドイツ帝国主義を模範にしていったわけです。なお、日本などは農民層を多く抱え込んでいても、日本が資本主義化・帝国主義化できたのは、上から産業資本や金融資本を導入していったため、資本論でいうところの農民層分解過程(資本の本源的蓄積)は日本ではさほど激化しなかったわけです。このあたりも宇野弘蔵は理論化しています。
また、後発資本主義国がいずれも、帝国主義化を推進したのは、ブルジョア革命というよりも、上から資本主義化していった国だということです。とくに、ドイツや日本は、対外的に領土を拡張して帝国主義化していく方向に向かっていくのが特徴的だったわけです。
日本の帝国主義化は、日清戦争以後確立されたものといわれています。つまり、日清戦争に勝利して、八幡製鉄所を建設し、金融資本化-重工業化していったわけなのです。日清戦争そのものが天皇制ボナバルティズムを奮い立たせて行われたものです。
その後第一次大戦、第二次大戦とつながっていくのですが、この戦争の本質は、帝国主義国による市場再分割戦争という性格からきています。いずれも、日本帝国主義が戦争をする場合、天皇制ボナパルティズムが鼓舞され戦争動員体制が確立されていることに着目しなくてはなりません。
日本の場合、後発資本主義国として発達し、国民国家の概念がブルジョア市民そのものに統合されたというよりも、天皇制国家を頂点にして統合させ、また、自由民権運動も失敗したために、アメリカやイギリスのように自由を守る戦争だというようなもので国民を動員できず、天皇制を押し出して戦争動員体制を確立させていったのが第二次大戦だったわけです。
重要なのは、後発資本主義国として資本主義化したのが日本、日本の国民国家のあり方は天皇制を頂点にして形成された、後発資本主義国はいずれも帝国主義化しているなかで日本帝国主義も形成された、帝国主義膨張と戦争は天皇制ボナバルティズムで国民を総動員して行われた、ということです。
なお、戦後革命期以降については、次の提起にしたいと存じます。