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明治維新と革命について

2006/09/23 風遊人 60代以上 自営業

銀河さん、レスありがとございます。

 1867年統治能力を失った徳川慶喜が天皇に統治権を返還して、幕藩体制は崩壊しました。1868年王政復古の大号令は天皇による新政府の成立を宣言し、それは同時に徳川幕府消滅を意味しました。1890年に施行された大日本帝国憲法(明治憲法)は、日本の統治権は天皇にある。大日本帝国憲法(明治憲法)1条および大日本帝国憲法4条は謳っています。また、大日本帝国憲法10条は官制大権は天皇に属することを謳っています。立憲君主制にもとづく近代的官僚制がその特徴です。したがって、大日本帝国憲法の施行に遡る発布によって、正式に幕藩体制の武家政治による封建君主制から、天皇が直接統治支配する王政復古の絶対君主制に移行したわけです。

 これ以前の徳川幕府は、武士、百姓、工人(職人)、商人を「士農工商」という厳格な身分制度(カースト)を、あきれ返るほどのダブルスタンダードとして押し付け、公然支配の口実としてきました。ブルジョアジーもプロレタリアートもまだ発生のない、その時代に階級史観をあてはめても無理があるかと思いますので、私は「階級」ではなく「支配階層」と表現しました。そして、封建支配の長い鎖国社会の影響から、ヨーロッパのような発明や科学技術の進歩による産業革命やデモクラシーの発展を経ていません。幕藩体制のもとで土地に縛り付けられた農民と、それを徹底的に搾取する制度と遅れた農業生産方式が主だったわけです。総人口は、およそ今の半数で6000万人台、よって、確たる産業としての資本の蓄積も再生産もなかった時代です。商品数も数量も恐ろしく限られ、それを商う人々の数や社会的影響力も知れたものでしょう。国を閉ざした封建君主制のもとで、もともと、その社会基盤がブルジョアジー(自由市民)の存在を許していませんでした。存在のないところにその根拠や発生要因を探るのは無理があります。

 大日本帝国憲法、すなわち明治憲法により、武家政治による統治から天皇による統治という、絶対君主制(王政復古)に移行した事実は疑いの余地がないわけです。また、革命は被支配層(階級)が国家権力を握り、歴史の主人公になるわけですから、明治維新は「尊王」のイデオロギーを担いだ、体制内少数派による武家支配階層内に起こった内乱(クーデター)に他なりません。立憲君主制を突き抜け近代的なブルジョア社会の実現を模索した坂本竜馬が、徳川幕藩体制からも、後年は薩長同盟他からもとりわけ政治的危険分子としてその命を狙われ、真偽のほどは明らかではありませんが、暗殺したのは薩長同盟が放った刺客との一説もあります。これは、あくまでも私論・推論の範囲に過ぎませんが、坂本竜馬の大政奉還論は、今日でいうところの「平和革命論」であり、その根底にあるものは、「民権思想」だと思います。民権思想は民衆の“自主権”を覚醒するものであり、それゆえ新旧の両体制支配層にとって、その時代の坂本竜馬の大政奉還論の根底にあるイデオローグは、今日でいう共産主義を遥かに凌ぁw)・uョ“危険思想”だと認知されたと想像します。そのように観てくると、この明治維新の持つ、国家体制変換の歴史的必然と、その意味するものが何であったのかと考えさせられます。
 明治維新は立憲君主制の衣を纏った王政復古であって、不十分な革命でもなんでもないと思います。徳川幕藩体制の崩壊と、統治能力を失い統治権放棄に乗じて、新支配(天皇)を決定付け新政府軍(官軍)の威を見せ付けるセレモニーであるはずです。民衆にとって大迷惑な、無意味な内戦を引き起したに過ぎないと考えています。明治維新は、支配体制内における実効支配権力の移管だと捉えています。(1869年戊辰戦争終了)

>上層であれ下層であれ武士階級が維新によって存在しなくなったのではなかったでしょうか。

 武家社会という、幕藩体制の封建支配制度を「封建官僚支配」に置き換えてみれば、答えは明快だと思います。その旧武家支配階層を「士族」、旧公家と旧大名を「華族」として特権的階級、その他を平民として、大日本帝国憲法(明治憲法)を最大の拠りどころとして、絶対君主制の天皇による総攬として、支配の実権を近代的官僚支配のメカニズムに置き換えてきたのではないでしょうか。したがって、国権を握る天皇の官制大権を前提として、近代的官僚制度が整備され、「富国強兵と殖産興業」の大号令によって、西欧の知的財産と洋式工業技術の導入やロスチャイルドなどの先進国際金融資本から国家規模の財政資金導入による、急速な近代化によって官営生産と官制独占資本の育成と軍事大国化が不可分に結合した帝国主義化が図られてきたのでしょう。ひとつ例を挙げれば、朝鮮半島と中国の国土割譲をめぐる覇権、すなわち植民地主義の帝国主義戦争、帝政ロシアのあらかたの予想を覆す、大敗北による財政逼迫と権威の失墜が、ロシア第1次革命(1905年)の契機ともいわれています。その日露戦争(1904年)の日本側戦費はアメリカの仲介によって、当時の国家財政規模を遥かにしのぐ、国際金融資本からの巨額借款によって賄われています。それらの国家調達資金の大半が、絶対君主制の天皇による官僚実権支配によって軍産共同(複合)体の莫大な戦費に費やされ、絶対的天皇制による軍事支配のもとで、平民兵士を侵略の戦場に狩出し、アジア諸国人民の生命財産を奪い、いわれのない苦難と苦痛を押付け、日本国民(平民)は塗炭の苦しみに喘いできたのではありませんか。階級的史観の観点からも、明らかに旧支配階級の消滅ではなく、強権支配体制の継続と、装いを変えたその絶対支配の歯止めなき拡大と破滅的深刻化であったわけです。

 1945年、敗戦による大日本帝国憲法停止と戦後の現憲法の施行をもって、表向きの民主的改革がなされ、やっとブルジョア民主主義社会制度の実現を見たということでしょう。しかしながら、戦後61年を経て日米軍事同盟の止むことのない強化と一体化、君主制の残滓の存続や戦前の独占資本(旧財閥系)の新たに装いを凝らした国際進出の顕著化とホールディングス化の復活をみても、真の民主主義による主権在民とはとても云い難いと思います。急速に、右ウイングする今の世相のありよう。小泉流レバレッジを用いた欺瞞改革ではなく、徹底した民主主義による社会変革、すなわち国民(人民)の要求に根ざした民主主義革命を求めるのは、何も特定イデオロギーの信奉者や革命家がそれを代行しないし、なにより自己完結する政党に多くを望むのは無理です。とりわけ、政治指導者の指揮を仰ぐ必然性もないわけです。労働者階級に属すとなしにかかわらず、国家権力が抑圧的暴力行使の意図を持つ持たないにかかわらず。私達には現憲法と国内法の定めによって、平和的に民主主義による社会変革の可能性があります。これこそが誰はばかることなく・u毆)、また、誰かれなく広範な日本国民の1人ひとりとして当然要求すべき、極めてまっとうな権利だと申し上げて終わります。(尚、文中表記に誤りがある場合は謹んでお詫びいたします。)