共産党は以前、自衛隊反対、“平和憲法改正反対”政権党と成ってから、自主防衛を考える方針だった。今は、自衛隊容認論。何故このように変化してきたのか考えてみよう。
戦後暫らくは、共産党の方針の中に自主防衛の方針が有った。当時の自衛隊を見る眼は、資本家を守る軍隊と言う位置付けであった。人民の防衛軍という位置付けは無かった。翻って、中国の状況を見て見るなら良く解る。中国の人民解放軍は国家の軍隊ではない。中国共産党の軍隊と言う位置付けである。江沢民は政府の要職を引退しても、暫らくの間、人民解放軍の責任者であり続けた。
日本共産党の考えていた事も同じ事であった。当初、朝鮮戦争をしかえて、後方を固める必要によって、GHQにより造られた自衛隊は、反共的組織であった。朝鮮戦争後、日本共産党は、政権党となる望みが遠のくと共に、再軍備阻止の必要から、自衛隊反対、“平和憲法?擁護”となり、政権党と成ってからの自主防衛論を棄ててしまった。
独立国家日本に、自主防衛権を認めないと言う矛盾は、長く続く筈は無い、近頃の、自衛隊容認に至った理由はそこにある。“平和憲法擁護?”、自衛隊容認、集団的自衛権、専守防衛。日本共産党はひとつの選択を迫られつつある。“平和憲法?”を守れ、憲法9条を守れ、憲法改正反対、専守防衛(自衛隊容認)まで、集団的自衛権まで含め防衛体制を確立する。日本共産党の選択する幅はある。共産党の辿って来た政策の歴史もある。共産党支持者の選択の幅もある。中国のように、日本共産党の解放軍なら認める、と言った対案は許され無い。
私は、条件をつける事無く、独立国家日本の防衛軍を、認めるべきであろうと思う。普通の国家ではない、主権国家日本を認めるなら、中途半端は無責任だ。全ての国々は平和を求めている。平和はどのようにして守られ、どのようにして破壊されるのか、日本は良く知っている筈である。科学技術に善悪はない。其れと同じ事で、軍事力、核兵器も含め、其れをどのように使うか、使わないか、人の意志によるものであろう。北朝鮮が核兵器を持つか、持たぬか、独立国家を認めるなら、非難をし、圧力を加え、阻止使用としても、無理である場合もあることを覚悟するべきだろう。日本自身の万全な体制を立てる以外に方法は無い。それでも、被害を受ける事もある。其れを非難する人は、別な企みを持つ者(哲学、宗教、倫理観を以って社会を支配しょうと企む者)であろう。