皆さま、しばらくご無沙汰しておりました。
数日前から久しぶりにアクセスして読みすすめ、私が不在の
二ヶ月の間に起きた事をやっと理解しました。理解の助けにと
、千坂史郎さんや銀河さんのウェブサイトも参考にさせていた
だきました。
まず、「現状分析と対抗戦略」欄の原 仙作さんによる9/9付 「2005年総選挙における小泉圧勝の原因と護憲派の欠陥」 と題する論文が大変すばらしく、感銘をうけました、という事 を書きたくて、とりあえずキーボードを叩き始めました。この 場だけに留めておくのはもったいない気がします。
愚等虫さん、
「組織論・運動論」欄7/22付投稿を読ませていただきました
。ネット復帰直後に「平和への結集」の賛同人登録欄に愚等虫
さんの名前を見つけた時には拍手喝采でした。樹々の緑さんと
の討論は、本題の部分では樹々の緑さんに説得され、私自身納
得しています。本題からそれた部分でまだ十分には意を尽くせ
ていない点も多々ありますが、何から何までスリ合わせる必要
もないと思っていました。ただ、愚等虫さんのご指摘で新たに
理解できた事もあり、時間がゆるせばもう少し踏み込んで、書
き足りない所を補いたいと思っています。
川上慎一さん、
7/11付投稿で触れられている「さつき」のプロファイリング
を読み、思わず笑ってしまいました。私を女性扱いされている
方も何人かいらした事を知っていますが、この場の討論で男女
の別は不要な事と思っていますので、敢えて否定も肯定もしま
せん。匿名か実名かの違いにしても同じことで、私は、以下に
述べますように、言葉の力だけに頼りたいと思ってきました。
ご指摘の通り、私はさざ波通信が開設された99年に投稿を始 めました。当時宮沢賢治を読みふけっていた頃でしたので、そ の心構えとして「すきとほった」言葉を遣いたいと考え、中性 的なハンドルネームを選びました。もちろん、私の能力で「す きとほった」言葉を遣うなど無理なのですが、吉野傍さんとの 短いやりとりで多くを学んだ経験からも、その心構えだけは正 しいと確信し、言葉を選ぶ努力を続けてきました。川上さんの 投稿も、その手助けとなりました。
言葉を大切にするなら、わかることが多く、自分も変わるこ とができる。2003/10/14付の「ちょこ&みいたさんへ」と題す る私の投稿で、わかるという事は自分が変わるという事である という趣旨の事を書いた事がありますが、さざ波通信にかかわ るようになっての実感なのです。管理者の努力により「炎上」 しない仕組みの整ったこの場だからこそ、冷静な議論のために 言葉を大切にしたい。
詩人の長田弘さんは、「言葉の死」という詩で、この日本で 既に「言葉が死んでいた。」と書かれています。言葉の専門家 として、例えて言うなら「言葉の死亡診断書」を提出されたの です。粗暴な言葉遣いのネット右翼がはびこる昨今の事ではな く、1977年に発表されています。小泉首相を言葉の破壊者と評 することもできますが、既に「言葉が死んでいた」ので彼のよ うな怪物が誕生したのでしょう。私たちは運動の戦略を練る上 でもそのことをもっと自覚する必要があると思います。
言葉の死 長田弘
言葉が死んでいた。
ひっそりと死んでいた。
気づいたときにはもう死んでいた。
言葉が死んでいた。
死の際を誰も知らなかった。
いつでも言葉とは一緒だったが。
言葉が死んでいた。
想ったことすらなかったのだ。
いったい言葉が死ぬなんて。
言葉が死んでいた。
偶然ひとりでに死んだのか。
そうじゃないと誰もが知っていた。
言葉が死んでいた。
死体は事実しか語らない。
言葉は殺されていた。
言葉が死んでいた。
ふいに誰もが顔をそむけた。
身の危うさを知ったのだ。
言葉が死んでいた。
誰もアリバイはなかった。
いつでも言葉とは一緒だったのだ。
言葉が死んでいた。
誰が言葉を殺したか?
「私だ」と名乗る誰もいなかった。
初出、晶文社、1977年刊『言葉殺人事件』