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一般投稿欄

新日和見主義について(学生運動論)

2006/09/15 風来坊 50代 自営業

 油井喜夫氏の虚構の引用を中心に書きたいと思います。

新日和見主義と学生運動論
 新日和見主義の学生運動論批判は党中央文教部副部長・小林栄三(「新日和見主義の学生運動論批判」「前衛」1973年六月号 以下小林論文)が担当した。論文は学生運動論における新日和見主義の傾向の特徴を五点ほどあげている。
(1)大衆闘争を選挙・議会闘争や大衆的前衛党建設と対置させ、せまい 意味の大衆運動だけを社会発展の原動力とする一面的な史観の強調。
(2)学生運動の社会的役割の強調から学生と労働者階級を同列視。
(3)学生運動の「学ぶ」という任務を不当に軽視。
(4)戦後の学生運動史を二つの異なる社会主義思想の対立と分裂の歴史と特徴づけ、トロツキストを社会主義思想の潮流のなかに位置づける。
(5)学生運動への先輩の援助論を展開
 そして痛烈にも、新日和見主義の学生運動=軽騎兵論はトロツキズムの学生運動=プロレタリア運動の一環論=階級闘争の推進軸論、新日和見主義の労学提携論はトロツキズムの労学共闘論、新日和見主義の大学=民主主義の砦論はトロツキズムの大学=革命の砦論に近いものであったとした。
 民主的学生運動をリードしてきた新日和見主義者は六十年代から七十年代の一〇年あまり、トロツキスト諸派との闘争に明け暮れた。ところが彼らと「生死」をかけてたたかったのち、トロツキストに接近したというのだから、その批判はすさまじいものである。ミイラとりがミイラになったことになる。
 小林論文は1964年の全学連再建以来の到達した運動の成果にたいし、まるで「武装解除」を説くような批判であった。当時の全学連は傘下に数十万の学生を結集していた。その影響力は、今日の学生運動と比較にならないだろう。小林論文のはたした役割はその後の全学連運動の姿と無関係ではあるまい。略(虚構 油井喜夫)

一大衆闘争=社会発展の原動力論
 「一部の論者は、(中略)大衆の要求は階級的社会的矛盾のあらわれであり、要求実現の闘争は社会の階級矛盾を激化させるものであるから、大衆闘争を発展させるということこそ社会変革の原動力となるものであって、この立場が「弁証法的唯物論の哲学」「社会発展の理論」というものである。(中略)
 (中略)エンゲルスは階級闘争が理論闘争、政治闘争、経済闘争の三つの側面をもち、(中略)新日和見主義の「大衆闘争=社会変革の原動力」論が階級闘争を総合的に発展させる見地から、はなれさっていることは、いうまでもない」(小林論文)。
 一方、広谷は「入門」のなかでつぎのように述べた。
 「社会の運動・変化・発展は、生産手段を所有する階級と、生産手段を所有せず、労働力のみを所有する階級との矛盾をとおして展開される。われわれが、「要求」というのは、この階級的社会的矛盾のあらわれをいうのである。要求をとりあげて、その実現をめざしてたたかうということは、社会の階級的矛盾を激化させるということである。すなわち大衆闘争を発展させるということこそ社会変革の原動力となるものなのである。この社会的・階級的矛盾は、単にせまい意味での政治の面にだけあらわれるものではなく、経済・社会・思想・文化・教育などあらゆる面にあらわれている」(「入門」第一章 学生運動とは何か)。
 この文章は、もとはといえば学生運動=政治運動論を批判し、学生の要求のとらえ方と、それを実現するたたかいが社会変革のうえでいかなる性格をもつかに目的があった。「入門」が大衆闘争を発展させるということこそ社会変革の原動力(の一つ)と書けばどうだったのか。現に社会的・階級的矛盾は政治の面だけではなく、経済・社会・思想・文化・教育などあらゆる面にあらわれると述べていた。しかもそのあとつぎの文章を展開している。
 「学生運動が社会変革のための政治闘争を基本的目標とすべきだという見解は、それだけをとってみれば、いちおう正しいのであるが、実際には学問研究と教育、生活のあらゆる分野における階級の対立、社会の矛盾をとりあげることによって、学生のなかにある社会変革のエネルギーを最大限にもえたたせるという可能性を放棄することになってしまうという点で、政治的にも正しくないのである」(略)
 日本の学生運動は全学連結成から新左翼諸派との闘争の時代まで、政治闘争中心主義か、それとも幅ひろい要求闘争かの論争があった。新左翼諸派は要求闘争ナンセンス論を展開した。広谷の「入門」は学生運動=政治運動論を批判し、学ぶことの要求など学生の諸要求運動の大切さを述べたものだった。この点、前後の文脈からあきらかである。
 学生運動が社会変革のための政治闘争を基本的目標にすべきという見解は、それだけとってみればいちおう正しい―は1970年代初頭とはいえ、にわかに賛同するものではないが、学生運動=政治運動論を批判し、要求闘争の重要性を指摘したことに力点があったことをみないとすれば、論評の公平性を欠くことになろう。つまり社会的・階級的矛盾の激化は政治闘争のみにあらわれるのではなく、勉学上・生活上のたたかいも社会を変革する闘争の一環であることを強調するところに「入門」の意図があったと読める。従って「社会変革の原動力(の一つ)となる」と理解してもおかしくない。
 なお三章の大衆闘争唯一論のなかで引用したように、他に階級闘争が理論闘争・政治闘争・経済闘争の三つの側面をもつ物であることを強調した論文があったことも指摘しておきたい。(虚構 油井喜夫)

 この小林論文は、要求や政治課題に基づく大衆闘争という六十年代初頭から七十年代初頭にかけて闘われた、川上徹から早乙女裕へと引き継がれて行った、十年余りの民主的学生運動の成果と到達点を全て否定し、武装解除したに等しく、その後の学生運動の崩壊と停滞の元凶と言っても、言いすぎではないだろう。

三 学生運動=軽騎兵論、労学提携論
 小林は新日和見主義の学生運動=軽騎兵論を、トロツキズムの、学生運動=プロレタリア運動の一環論=階級闘争推進軸論、また新日和見主義の学生運動=労学提携論を、トロツキズムの学生運動=労学共闘論に接近したものと批判した。本節ではこれをとりあげる。
 「学生は青年労働者とともに世界を変革するもっとも重要なエネルギーであるとか、学生は生活と民主主義、平和をまもるためのたたかいの火がもえたったところへは、どこへでもかけつけ、あらゆる大衆闘争の発展をたすける「軽騎兵」の役割をはたすべきであるといった式の主張にもしめされていた」(小林論文)
 これはつぎの文章をさすのであろう。
 「学生は若い疲れをしらない行動力がある。資本主義社会の生活と俗物的思想に汚染されない、人間的純粋さ、理想主義的精神、正義感、批判的精神がある。このような学生は、青年労働者とともに、世界を変革するもっとも主要なエネルギーである。」「学生は、この若い行動力を、学生じしんの諸要求の実現、なかんずく大学の民主化のためにもえたたせねばならないが、それだけにとどまることなく、生活と民主主義、平和をまもるためのたたかいの火がもえたったところへは、どこへでもかけつけ、あらゆる大衆闘争の発展をたすける「軽騎兵」の役割をはたすべきである。(以上「学生運動入門」(略のため書籍名を記していないため 以下は「入門」風来坊)第一章 学生運動とは何か)。
 また小林論文は広谷の運動論の一端をつぎのように要約する。
 「学生戦線の強固な統一は日本の大衆運動、革新運動全体を飛躍的に前進させ、七十年代に民主連合政府を樹立する大きな推進力になるとか、住民運動が真に力ある大衆運動として発展するためには、労働組合、学生自治会のような経験をつんだ組織活動と結びつき、その支援をうけることが必要であるとか、「労学提携」をすすめるなかで労働運動の民主的強化をうながし、あらゆる分野の大衆運動を支援し、広大な統一戦線を実現する展望がひらかれる、といった意味の議論の展開によっても明らかである」(小林論文)。
 同様に右(横書きなので上 風来坊)の小林論文が要約する箇所に相当する文章を「入門」のなかにみることにする。
 「(中略)学生戦線の強固な統一を達成してみるべきではないか。それは、たんに、学生運動をこれまで経験したことのない高さにまで発展させ、大学問題を正しく解決しうるというだけではない。日本の大衆運動、革新運動全体を飛躍的に前進させ、七十年代に民主連合政府を樹立する大きな推進力となるであろう」(「入門」第二章 学生運動の到達点)。
 「この住民運動が真に力ある大衆運動として発展するためには、運動が民主主義的に行なわれ、地域住民がみんなの意見、創意をだし、任務を分担しあって活動すること、労働組合、学生自治会のような経験をつんだ組織活動と結びつき、その支援をうけることが必要であろう」。
 「学生運動はわが国の大衆運動の全分野のなかで、さきんじて、学生戦線の統一を達成し、大学を民主主義の砦にする可能性をもっている。この可能性を現実性に転化させるならば、労学提携をすすめるなかで労働運動の民主的強化をうながし、あらゆる分野の大衆運動を支持し、広大な統一戦線を実現する展望がひらかれる」(以上「入門」第四章 学生運動の戦術問題)。
 ところが以上の叙述をとらえ、小林論文はつぎの総括的批判を行なった。
 「このような「学生運動=軽騎兵」論は、学生を労働者階級と同様の役割をはたすもののようにみなすものである。そればかりか、労働運動の民主的強化は「労学提携」を通じて促進されるものと位置づけられ、結局、学生運動こそが労働者階級にはたらきかける主導性をもち、労働者階級は受動的立場に立つものとされ、このような相互関係にある「労学提携」のまわりに結集してこそ住民運動なども真に力ある大衆運動になりうるというのであり、学生運動こそ革新運動全体のかなめ、民主連合政府樹立の推進力だというのである。結局、学生を「軽騎兵」とし、「労学提携」をつくってその周囲に革新運動を結集して、民主連合政府をつくる―これが「学生運動=軽騎兵」の"戦略配置"なのである」(小林論文)
 しかし、このきめつけは論旨を作為的に歪めたうえで、適当に接合したといわれても仕方がない。こうした手法はしばしばみうけられるが、そのひどさにおいてぬきんでているものの一つである。労働組合・学生自治会のような経験をつんだ組織活動とか、労学提携をすすめるなかで労働運動の民主的強化をうながしなどという叙述もあるが、学生運動こそ革新運動のかなめ、民主連合政府樹立の推進力とはいっていない。
 広谷の認識の一つは、「学生も百六十万人、同一年齢層の青年のなかで五分の一以上が大学生になっている。大学卒業者の社会的役割はますます重要になっている」にあった(「入門」第五章学生戦線の統一)。しかも「入門」は学生・学生運動と労働者階級の関係をつぎのように解説していた。
 「労働者階級が、もっとも重要な生産のにない手であり、わが国ではすでに有業人口の過半数をしめるようになっており、しかもその主要部分は労働組合に組織されている。このような労働者階級の闘争力こそ、いぜんとして政治の動向を決し、社会体制を変革する中心勢力だということは明らかである。(「入門」第五章 学生戦線の統一)。
 「労働者階級は(中略)労働時間の短縮、職場の民主化と、生活の近代化、レジャー、新しい技術習得のための大幅賃上げを要求し、毎年の春闘をはじめ「合理化」反対などでたたかっている。」この労働者の闘争は、多くの学生にとっては、未来の自分たちの生活にかかわるものであり、つよい連帯感をもたざるをえない。学生は労働者階級のあらゆる闘争を支援しなければならない」(「入門」第一章学生運動とは、何か)。
 「全学生を組織した学生自治会と全学連の成立も、このような労働者階級の運動、広範な国民大衆の民主的な諸運動のたかまりのなかで、それにささえられてなりたつものであって、学生運動だけがそうなったわけではない」。「学生が先駆的行動や激烈なセンセーショナルな行動によって労働者階級の自覚をうながすという発想も観念的な発想である。労働者階級は毎日、毎日職場で労働強化にかりたてられ、生活の困難に苦しんでいる。こうした経験をとおしてこそ労働者階級はめざめるのであり、また、労働者階級のあらゆる苦しみ、生活の困難の真の原因を理解することによって政治的にめざめるのであって、このような職場や家庭生活における困難のなかで闘争にたちあがらない労働者が、自分たちとは生活の条件のちがう学生の激烈な闘争によって、政治的に闘争によって、政治的に階級的に自覚するなどということはありえない」(以上「入門」第2章 学生運動の到達点)。
 「国民的諸要求は、学生だけの力で達成しうるものではない。平和、民主主義、生活擁護を要求する、すべての勢力が団結し、国民の大多数を統一戦線に結集してこそ実現することができる。このなかで労働者階級のはたす役割は決定的に重要である」(「入門 」第三章 学生運動の当面の課題と任務)。
 また、住民運動についても以下のように位置づけていた。
 「三里塚の農民は、空港のための土地とりあげに反対してたたかっているが、全国いたるところで、各種の公害や自動車道路、貨物線の建設などで、たちのきをせまられ、生活環境を破壊される地域住民が、超党派的に団結して、生活をまもるためにたちあがっているのは、最近の大きな特徴になっている。学生自治会が、労働組合と協力して、これらの地域住民のたたかいを支援するならば、これらの住民運動は全国いたるところで急速に発展する条件がある。」(「入門」第一章学生運動とは何か)。
 「全学連は、かつて砂川基地拡張に反対して、農民の土地をまもるためにたたかった輝かしい経験をもっているが、生活と民主主義をまもるためにたたかうすべての住民運動を支援する必要がある。学生は公害にたいする科学的調査、実験の活動や、大学生活協同組合による廉価販売運動など学生らしい、いろいろな方法で住民運動に協力していくことが重要である。それによって住民運動をいちだんと力づけ、いたるところに大衆運動を力づよく発展させることができる」(「入門」第三章 学生運動の当面の課題と任務)。
 「全学連が、労働組合運動、住民運動などに支援、共闘をつよめる場合、自分たちが、これらの運動を「指導」しようという態度をとってはならない。
 どんな運動も、苦しみ、不満、いかり、要求をもった大衆が団結して、自主的に民主的に運動を発展させてこそ真の力になる。学生はこの自主的運動を支援することが必要なのである」(「入門」第四章 学生運動の戦術問題)
 以上のとおり、「入門」は学生・学生運動と労働運動、住民運動の関係を支持・支援・協力の関係においていた。学生を労働者階級と同様の役割をはたすもののようにみなすとか、学生運動こそ労働者階級にはたらきかける主導性をもち、労働者階級は受動的立場にたつものという断定は歪曲か、勝手な解釈である。
 また労働運動の民主的労学提携をつうじて促進されるものと位置づけられたという批判も、新左翼諸派の分裂主義を克服し全分野のなかで最初に学生戦線の統一をなしとげるなら、労学提携をすすめるなかで労働運動の民主的強化をうながし、広大な統一戦線を実現する展望がひらかれる、という期待を表明したものだった。統一を実現した学生戦線が労働運動に支援・協力すること、そして統一の思想をもった学生が、労働者となって労働者階級に加わっていくことは労働運動の民主的強化に貢献するはずであった。
 住民運動が、力ある大衆運動として発展するためには労働組合・学生自治会のような経験をつんだ組織活動と結びつき、その支援をうけることが必要であるという叙述も、当時のトロツキストの労働運動や住民運動への分裂的介入を念頭において書いたものだった。
 また学生戦線と全人民的統一戦線の関係を述べたところも、さしたるまちがいはないだろう。
 広谷はつぎのようにいう。
 「独占資本の支配に反対し、国民の生活をまもり、平和と民主主義をまもるたたかいには労働者階級を中心に、小生産者、知識人、婦人、青年、一部の中小企業家も参加する可能性をもっている。このような情勢のもとで、学生があげて民主統一戦線に参加することはもちろんであるが、学生は単に統一戦線の重要な一翼をにない統一戦線を発展させる積極的な役割をはたすだけでなく、一定の条件のもとでは、この統一戦線を活気づけ前進させる積極的役割をはたすこともある」(「入門」第一章 学生運動とは何か)。(虚構 油井喜夫)
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 一体広谷の「学生運動入門」のどこから
(1)大衆闘争を選挙・議会闘争や大衆的前衛党建設と対置させ、せまい意味の大衆運動だけを社会発展の原動力とする一面的な史観の強調。
(2)学生運動の社会的役割の強調から学生と労働者階級を同列視。
などという批判が出て来るのだろう。言いがかりとしか表現のしようがない。
 当時一部に、「現時点で、唯一、統一できる可能性がある大衆運動は学生運動だけだ。真っ先に統一を実現して、統一戦線の起爆剤になれないか」という議論はあった。しかし、これも広谷の書いていた「統一戦線を活気づけ前進させる積極的役割を果たすこともある」の範囲を超えてはいない。

 本節の最後に労学提携論にふれておきたい。小林は労学提携論をトロツキストの労学共闘論に近いものであったという。ところが「入門」には労学提携の言葉も二箇所ほどしか見当たらなかった。従って、むしろ他の文献からそれをみることにした。

 当時の全学連委員長早乙女裕はつぎのように語っている。
 「学生全体に共通する問題として、一つは、学生自身の要求、全国民的な課題、政治的課題にもとづくたたかい、もう一つは、学問研究、文化活動などの活動をとおして、将来も社会発展に貢献できるような民主的知識人、勤労者、市民になっていく、ということを決定したのです。(中略) 今回の中央委員会(1971年三月 全学連第十五回中央委員会 筆者)で労学提携を強調したさいには、むしろ、学生自身が労働者階級の実践に学んでいくというニュアンスの方が強かった。といいますのは、学生は卒業しても、すでにエリートとしての地位ではなくて大部分が勤労者になっていくばあいがはるかに多いわけです。こういう学生の地位の社会的状況の変化のもとで、学生が、自分の学問研究をすすめていくうえでも、現実の労働者の状態、たたかいを知り、学び、そして、自分の将来への確信としていくことが大切だという見地であった。こういう面でも労学提携は、「二つの任務」を追及していくうえで大切だということですね」
 「学生運動は、これまでも民主勢力の一翼、統一戦線の一翼をになってたたかうことがいわれてきたのですが、それでは、その一翼としての学生運動はどことむすびつくのか、本当の中軸はどこなのかという点では必ずしも明確ではなかった。この点を徹底的に討議して、それは、社会的生産の中枢をになっている労働者階級であり、学生の要求の実現やその利益も、労働者階級の利益と大部分は一致していることを確認したわけです。  労働者階級の前進こそが七十年代における統一戦線の結成、強化の決定的な力であり、この労働運動と行動的な学生運動が共同してたたかっていく―、この共通のたたかいのなかで学生運動は青年労働者のなかに良い影響を与えるだろうし、また逆に労働者階級のたたかいから学んで、真の変革の展望をつかむことができると思います。そういう労働者階級との共同の闘争のなかで、真の変革の思想、立場を身につけることによって、学生運動自体をもっとねばり強い実践的なものにし、思想的にも強固なものにしていくことができるのではないかということを明らかにしたわけです」(以上、討論「変革の力・統一戦線と学生運動の今日的課題」「青年運動」1971年六月号)。
 ここで、労学提携を強調した全学連第十五回中央委員会決定の文書から、「統一戦線の展望と労学提携」の項の一部を引いておく。
 「人口の圧倒的多数を占めてきている労働者と労働組合が日本の未来を切り開く統一戦線の主力部隊であり、その中軸とならなければならないことは明らかである。(中略)
 独占資本は巨大企業の労組を骨ぬきにし、労働戦線の右翼的再編の策動を積極的に支援し、労使協調主義に貫かれた「たたかわない労働組合運動への統一」を実現するために異常なまでの力を注いでいるのである。(中楽)
 こうした中で、不屈にたたかう戦闘的労働組合と労働者のたたかいは、学生運動に力強い励ましを与えつつある。同時に全学連が広範な学友の決起する壮大な断固たるたたかいを展開することは、たたかう労働者、とりわけ青年労働者を少なからず励ますものとなり、労働者のたたかいの発展に貢献するものとなると確信する。
 さらに全学連と全国の学生は、労働者に学生のたたかいへの支持を訴えるとともに、労働者のたたかいを支持し、春闘をたたかう青年労働者との積極的交流・連帯を強め、できるところから労学提携を強め共同闘争をつくりあげていかなければならない。都市では数のうえでも青年労働者についで多数を占め、全学連に強固に団結し、機敏で戦闘的なたたかいを展開している学生と若々しい行動力をもつ青年労働者のたたかいが合流するならば、全民主勢力の統一戦線実現にむかって巨大な力を発揮することができるであろう。(中略)
 こうしたことは、労働戦線の右翼的再編を左から補完し青年労働者の不満と要求をたくみに利用しながら労組破壊と統一の分断の策動を強めている「全共闘」「革マル」反戦青年委員会を孤立させ、解体していくうえでもきわめて重要である。それは、学生にとって「学生運動の二つの任務」を積極的に実践していくためにも重要な意義をもつものである」(「祖国と学問のために」1971年3月31日)。(虚構 油井喜夫)

 これからも(1)(2)の批判は根拠がないと言うしかない。さらに
(3)学生運動の「学ぶ}という任務を不当に軽視
 新日和見主義の労学提携論はトロツキズムの労学共闘論という批判も根拠のないこじつけとしか、表現しようがない。

四大学=民主主義の砦論  小林論文は大学=民主主義の砦論と批判し、「入門」の見解をつぎのよう概括する。
 「大学の民主的・進歩的勢力がかたく団結して大学民主化のためにたたかえば―その「核心」はいわゆる「学生参加」である―、独占資本が大学をその支配下におくことは、とうていできないとか、大学がわが国のあらゆる分野の民主主義をまもる「強力な砦」、民主主義の根拠地、社会全体の民主主義的変革の砦となるとかいう趣旨のものである」(小林論文)  例によって小林がいう箇所を引くことにする。
 「大学のすべての民主的・進歩的勢力がかたく団結して、反独占、大学民主化の路線に結集するならば、独占資本がその巨大な力をもってしても、大学をその支配下におくことは、とうていできないであろう。それどころか、大学がわが国のあらゆる分野の民主主義をまもり、さらに発展させていくうえでの強力な砦、民主主義の根拠地となる可能性をもっている。この点で大学をめぐる独占資本、反動勢力と、学生運動、全大学人、全民主勢力の対決は、重要な政治的対決であり、しかも民主勢力の側が勝利し、独占資本の支配体制の一角を掘り崩す、もっとも可能性のたかい橋頭堡たりうる展望をもった戦線なのである」(「入門」第三章 学生運動の当面の課題と任務)。
 この文章は政府・独占資本の大学にたいする反動的再編成計画を示したうえで、それとたたかう大学現場で、大学人の大多数を結集することの重要性を説いたものだった。文中、大学を支配下におくことはとうていできないとか、民主勢力の側が勝利し独占資本の支配体制の一角を掘り崩す可能性の高い橋頭堡、という叙述もあった。しかし、その前段にはつぎの文章がある。
 「大学の民主化ということは、大学の社会主義化、共産主義化ではない。研究の自由と大学の自治の擁護を主たる内容とするものである。したがって、資本主義体制擁護の立場にある人たちもふくめて大学人の大多数を結集しうる内容の運動である。しかも、この大学民主化の運動に大学人の圧倒的大多数を結集するならば、独占資本の大学支配、再編成のくわだては突破しようのない厚い壁によってさえぎられることになる。
 独占資本はこの壁をつきやぶるために、トロツキストの大学民主化ナンセンス、大学自治ナンセンス、「教授会=敵」論、大学解体論におおきな期待をかけていた。(中略)
 「全共闘」一派の大学解体は、その主観的意図のいかんにかかわらず、客観的にみれば独占資本の大学再編成のための、ブルドーザーの役割を演ずるものといわねばならない」(「入門」第三章 学生運動の当面の課題と任務)。
 また、社会全体の民主主義的変革の砦という文言はつぎの文章中にも示されている。
 「大学の民主化は、すべての大学人をなかんずく学生を民主主義的にきたえ、たかめ、先駆的に、民主主義を徹底的におしすすめることによって、社会全体の民主主義的変革の砦となることである。」(「入門」第三章 学生運動の課題と任務)。
 しかし、この場合も前段につぎの文章がおかれている。
 「大学は、真理探求の場であるためには、他のどこにもまして、民主主義的でなければならない。全員加入の学生自治会と全学連によって、学生運動は民主主義の組織になっている。そして学生運動だけでなく、大学全体がもっとも徹底した民主主義の場となるべきである。
 大学運営への学生の参加、将来の社会生活において、あらゆる管理に参加しうるように学生を訓練し淘治するという意味において、教育的にも必要な意義をもつ。
 「政治主義」の学生諸君は、社会全体を変革する前にまず、自分の属する大学の変革のためにたたかうことを理解する必要がある。それは社会全体を変革するためにも、必要なことである。
 自らの属する生活の場を、自分の力で変革することをとおして、自らも変革される。このなかでこそ自己の実存も確認されうる。民主主義のためのたたかい、大学民主化のたたかいは、自己の人間形成のたたかいでもある。(中略)大学の変革とは、民主主義の徹底であり、全学生・全大学人の大学運営への参加である」(「入門」第三章 学生運動の当面の課題と任務)。
 略
 「入門」の文脈を素直に読めば、本城・総本山・最高指令部など、他からぬきんでた存在に位置づけられたものではないことはあきらかだろう。
 「入門」は、労働者階級が基本階級であること。日本の民主主義の発展と変革、社会主義への展望も労働者階級の闘争によって切り開かれること。学生運動も労働者階級を中心とする統一戦線の一翼としてたたかったとき前進できること。学生運動と他の大衆運動との関係も支援・協力・共同にあること。そして学生が労働者のたたかいに学びながら、やがて労働者階級や民主的知識人の一員になって、そこに加わっていくことの意義を述べていた。
 略
 1960年代から70年代初頭にかけ、大学民主化闘争が噴出した原因は、大学の自治=教授会自治の名で大学の管理運営から学生をしめだし、授業料の大幅値上げや不正経理、マスプロ教育化・授業のマンネリ化、産学共同化・軍学共同化、施設の非民主的運営、学生への専横で独断的処分、等々を行ない、しかもこれに抗議する学生を弾圧するため、警察権力を導入したことなどからであった。

 そこで、小林論文が「入門」の大学民主化の核心は学生参加にある、と述べた点に批判を加えたことに入りたい。「入門」はつぎのように記している。
 「1969年1月、東大の確認書がとりかわされたとき、自民党政府と文部省は激昂して、東大の入学試験中止という前例のない異常な処置をとった。これが、報復的な懲罰的な処置であることは、あきらかである。
 なにが、彼らをこれほどまでに激怒させ、常軌を逸せさせたのか、それはこの確認書が、なによりも学生参加を約束し、大学の自治をこれまで以上に強固なものにする、という内容をもっていたからである。その後も、学長や学部長の選出に、学生が参加したところでは、文部省は学部長の発令を拒否するという処置をとっている。これらのことは、いかに反動勢力が大学の運営に学生が参加することをおそれ、かついかっているかを示している。いわば大学民主化のなかで、学生参加こそ、まさに民主化の核心と言うべきものである」(「入門」第三章 学生運動の当面の課題と任務)。
 見落としてはならないことは、学生参加が大学民主化の核心であることを強調するにあたって、その前提に大学運営の改革とその方向性、位置づけを以下のように論じていることである。
 「「大学の自治=教授会の自治」という、すでに破綻したこれまでの自治の形骸を擁護するのではもちろんない。これまでの教授会の自治は、独占資本、自民党政府、文部官僚のなしくずしの大学自治侵害によって、大学が次第に荒廃していくのをなんら有効に阻止できなかった。その結果、学生の深刻な不満をひきおこした。しかも、学生の不満は、自民党政府の文教政策に向かう前に教授会に向けられたのである。いま擁護されるべき研究の自由、大学の自治は、教授とともに大学院生にいたる全研究者、学生をふくむ全大学人の研究の自由であり、大学の自治である。このような大学の自治のみが、大学を真の学問研究と教育の場たらしめることができる。
 具体的には、助手、院生、職員、学生がそれぞれ層ごとに団結し、自治活動、組合活動、さらには生活協同組合活動、サークル活動など、いっさいの民主的活動の自由の保障であり、すべての大学人の思想、言論、政治活動の自由の保障である。そして、これらのすべての階層が、それぞれの立場から大学運営に参加することを制度的に保障することである。すなわち、大学の各階層の民主的な代表による全学協議会、学部協議会をもうけ、大学内の重要な問題はかならずこの協議会で協議したうえで実行することを制度化することである。」(「入門」第三章 学生運動の当面の課題と任務)
 略
 また、「入門」は民主主義革命の以前に大学だけが別個に変革されるとか、大学における民主主義的成果が他の諸分野での民主主義の確立・強化と無関係に維持されるともいっていない。

 ところが小林論文はつぎのように論じた。
 「「学生参加」による大学の自治の強化が学園ないで確認されても、これを現にみられるような反動勢力の攻撃・妨害からまもって具体化していくことは、社会的世論の支持によって、教育行政全体の民主化、教育政策を審議する国会の民主的運営、そのための選挙制度の民主化等々あらゆる分野での民主主義のための闘争の前進によって、よりよく保障される。
 こうした相互関係を忘れて、「学生参加」による大学民主化が実現しさえすれば、独占資本は大学に手が出せず、大学があらゆる分野の民主主義の「強力な砦」となって、これに依拠しさえすればいかなる政治反動も撃退できるかのように主張することは、大学自治を守る闘争の歴史の事実にそむくものであり、学生運動を他の大衆運動から事実上切りはなし、実際には学生運動のほこ先を主に大学当局だけに集中させて「民主主義の砦」たることを大学当局にもとめるということにもなりかねないのである。」
 しかし広谷はこんないい方はしなかった。しかも文言のつなぎ方や構成にも作為がある。「入門」が、学生参加が核心であると強調したとしても、大学変革のためには民主主義を徹底し、全学生・全大学人の大学運営への参加を説くことに力点をおいていた。
 つまり政府、文部官僚、私学の経営者のどとのつながりや圧力に屈することなく、教授をはじめ学生、院生、助手、職員などの団結した力で大学運営を民主化するなら、学生運動はいっそう大きな行動のエネルギーを発揮しうるようになる、学生運動、全大学人、全民主勢力にとって、大学問題は独占資本や反動勢力とのたたかいで重要な政治的課題になっている、と解説していた。(略)
 この本は大衆運動の一環である学生運動の、特定の入門書だった。だから学生運動のあり方とそこへの参加をよびかけるにあたって、独自の意義を強調することもあったろう。たとえば「入門」は学生戦線の統一と学生運動の意義をつぎのようによびかけている。「学生戦線の統一はすべての学生の熱望である。学生戦線の統一が建設されるならば、学生運動は、いまだかつてない巨大なエネルギーを発揮することができる。その結果、大学を民主主義の砦たらしめ、労働運動をはじめ、あらゆる大衆運動に強烈な刺激と支援をもたらし、全民主勢力の統一戦線への大結集を促進し、七十年代に民主連合政府を実現するために、大きな役割をはたすことができる。」「「入門」第五章 学生戦線の統一)。
 この基本点に誤りはないと思う。
 本節の最後に学ぶことについて、少したちもどる。
 小林論文は学生運動の学ぶという任務を不当に軽視したとか、大学=民主主義の砦論は学校教育に誤った任務をおしつけ、その結果、教養や専門の知識・技術の正しい学習を極端に軽視する結果をまねかざるをえないと書いていた。そこで、この点についてふれておきたい。「入門」は学生運動の理論が中心であるため、学ぶこと自体をとりあげた章や節があるわけではなかった。しかし各論中に勉学上の諸条件や学問の課題もとりあげている。以下の文章はその一つである。
 「学生は学問することが生活のおもな基軸となっている。このような学問や勉学活動が学生運動とは別個な次元のものであり得るはずがない。階級社会においては学問や教育も階級的であらざるをえないし、したがって学問研究、教育のなかにも階級対立があり、闘争があることはまぬがれないことである。学生は単に受動的に教授たちからあたえられる講義を聞き、指導される範囲で勉学に従事するものではない。学生自身が集団で各種の研究活動や自主的なゼミナール活動をやっているし、講義の内容や授業のあり方にたいして批判もするし、要求も出し、そのための集団的行動も行なっている。これらの活動は当然学生運動というべきものである。そして、このような学生たちの学問と教育のための自主的運動は、学生の勉学の質をたかめ、さらには政治的・社会的な自覚をたかめる契機となり、学生が大学卒業後、単に受動的に知識や技術をつめこまれた機械の付属部品のような人間としてではなく、知識や技術を積極的に社会的に活用しようとする自主的で進歩的な知識人としぁ???、社会生活にはいっていく契機となるものである」(「入門」第一章 学生運動とはなにか)。
 この叙述は学問の階級性にもふれた当然の見識といえよう。
 1967年3月、「赤旗」の主張は「学生の党員や民青同盟員はもっと勉強しよう」とよびかけた。これは「三・一四主張」とよばれ、歓迎をもって注目された。広谷はこの主張の実践のため、「学生党員、民青同盟員の勉強とその重要な意義について」(「前衛」1967年8月号)という論文を書いている。また民青中央常任委員の川上徹も「三・一四「赤旗」主張の前面実践のために」(「前衛」1967年8月号)を寄稿している。
 しかし小林論文はつぎのように批判する。
 「一部の論者は、大学はたんに学生に基礎学力、広い教養、専門知識、技術を学習させるだけでなく、たたかう勇気と団結を学ばしめねばならないとか、大学はなによりも民主主義的自由を守るために団結してたたかうことを学ぶ場とならなければならないとか主張した」。「闘争と団結それ自体を学ぶことは、学校の主たる任務ではなく、それは、労働者階級の前衛党をはじめ学生自治会をふくむ民主的大衆組織などの重要な任務の一部である。(中略)闘争と団結の学習が今日の大学の主要任務だという議論は、革命運動、民主運動の任務を大学にもとめると同時に、前衛党や大衆組織の役割を低めるという、二重の誤りをもった主張である」
 だが、この解釈にも曲解がある。ここでいう大学とは社会構成体の一つとしての大学である。
 大学は一般社会を構成する重要な独立した組織体だ。おもに学問・教育・研究をつかさどっている。これらの機能は大学の自治と民主主義が保障されてこそ正しく維持される。
 独立した社会構成体としての大学には教授会、教職員労働組合、大学生協などの人的組織や、図書館、各種研究施設等々、学問、教育特有の物的機能がある。学生はまた独自に学生自治会、各種のサークル、ゼミナールなどに参加し、全体として大学の一体性のなかで生活しながら、大学複合体の一員として社会的地位を得ている。
 学生の過半数は有権者として独立した人格を保障され市民権を行使している。ここでいう団結してたたかうことを学ぶとは、大学や教授にそれを要求して学ぶという意味ではなく、独立した社会構成体の一つである大学の諸機能や諸活動のなかから学ぶということである点で、それはほとんど自明のことであろう。(虚構 油井喜夫)

 小林論文の「大衆闘争=社会発展の原動力論」の批判がこれまでの闘いの成果と到達点の否定だとするならば、「大学=民主主義の砦論」の批判は、民主的学生運動の目指すべき目標と方向性の否定である。大学運営への学生参加は立命館方式とも呼ばれ、立命館大学および日本福祉大学で実現されていた。その方式は、現在の体制化での学内で獲得すべき目標、モデルケースとされ、それを目指して各大学の学園闘争は繰り広げられていた。
 それを小林論文は否定したのである。
 それまでの闘いの成果・到達点、今後の闘いの目標・方向性が全て否定され、こうして民主的学生運動は武装解除されたのである。
 学生運動の崩壊と停滞はこの新日和見主義事件に原因があることは明らかである。

五 先輩の援助論
 この項の内容は川上氏の「査問」にも出て来るので、このような議論は行なわれていたのだろう。しかし、私はこの問題を、(「新日和見主義批判は読んでいたがそれがどのような問題なのか把握していなかったので)査問が出版されるまで、何のことか全く知らなかったので、この議論に参加する立場にはない。当時、新左翼諸党派が自分たちのセクトの維持と後継者の育成のために留年してまで、かなりの人数が残っていた。それに対抗する為の対策を考えていたのかなと考えた程度だった。ただ言えることは、広谷のそれまでの立場や役割から考えて、広谷が了承し、その後何も指示変更がなければ、共産党中央の了解を得たと川上氏らが判断しても、何ら落度はないのではないだろうか。しかも、その後何の抵抗もなく、中止されているのだから。
 この項に関しては以下の点をふれるだけにします。
 小林は、「中国の一部勢力からのトロツキストにたいする支持・礼賛・激励、およびトロツキスト諸派の対外盲従への傾斜については、論者がけっして一言もふれようとしない事実である」と批判する。しかし広谷の本をもって、新日和見主義者が「自主独立の立場からはなれ、大衆運動の自主性擁護を放棄する、事実上の対外盲従に傾斜」した、と断ずるのはあまりに飛躍している。まして「毛沢東盲従の「連合赤軍」事件を暴露、追及することまでが、「反中国感情」をあおる反動勢力の排外主義を助けるものにされるという、まったく奇怪な主張さえ生まれていた」(榊利夫「新しい日和見主義の特徴―内外情勢との関連で」「赤旗」1972年6月19日~20日)というに至っては、ほとんど論外の非難であろう。そうでないというなら証拠を示すべきだ。

 党中央は、新日和見主義者と批判した人達が、先頭に立って新左翼諸党派と闘ってきた事実を意識的に欠落させている。彼らは大衆闘争の発展を願い、大衆闘争の先頭に立って闘ってきた。私には、党中央が右旋回して議会主義路線を進めるために、彼らを阻害要因と考えたという前の投稿と同じ結論しか出てこない。

 最後に、2004年12月18日の「いま、学生自治会の値打ちを考える―全学連再建40周年をふまえて」なる田熊和貴の講演にふれておく。
 まず、「田熊和貴に全学連再建をめぐる教訓について」講演する資格はない。
 党中央の尻馬に乗って、共に闘ってきた仲間を密告し、それまでの運動の成果を台無しにして、崩壊させた張本人の一人はお前だろう。
 お前には、あれだけ高揚した学生運動がなぜ崩壊・停滞したのか、その原因について、全く語れないだろう。
 また今後の運動の発展の方向や展望については、何一つ語れないだろう。
 こんな講演百害あって一利なしだ。