共産党では「史的唯物論に確信を持」たねばならないとの「教育」が施されています。
この点につき、以前(8月1日、8月19日)、「史的唯物論」と「レーニン主義的党運営」(民主集中制)によって「科学」に名を借りた「カルト宗教的な党運営」がなされているのが現実ではないか、との投稿をさせていただきました。
この点につき、風来坊殿より、投稿(9月8日)をいただきました。
風来坊殿の見解の補足や、私が「民主集中制と史的唯物論を同列に批判している」ことについての批判など、大変勉強になる投稿をいただきありがとうございました。
風来坊殿の投稿を(過去の分をいくつか)改めて拝見させていただくとともに、該投稿をありがたく読了させていただきました。
「史的唯物論の評価」と「共産党中央の責任」とは分けて考えなくてはならないというのは、その通りであると考えます。
ただ、史的唯物論に確信が無くなってしまえば、党員であってはならないのでしょうか。
私は、党員であり、地区機関以上の役員であります。
ご存知の通り、若手党員の減少ぶりは目を覆う有様です。
例えば、民青同盟は2万人と対外的には公表されていますが、私の経験では、実際に同盟費を支払っている人は40%ほどですし、まともに活動している人は25%ほどしかいません。
このことは、LCあての内部文書で、同盟費納入、「末結集」者への呼びかけ、が口すっぱく言われていることからも、推知できるのではないでしょうか。
にもかかわらず、民青の都道府県委員は1000人もいます。
形式数からいっても20人に1人は都道府県委員であるわけです。
実数からいえば、まともに活動している人の5人に1人は都道府県委員であるわけです。
(民青では、地区委員会が組織できず、崩壊しています)
これは、党においても、まったく同じで、若手の党員の顔ぶれは、民青同盟員とほぼ一致します。
そして、やる気のある若手党員は、「年配の党員は、若手はどこにおるんや、いうて嘆いとるんや」「地区党にも若手が必要や」「ベテランを励ますためにも、いっちょ役員を引き受けてくれへんか」などと『肩たたき』されて、役員に登用されるわけです。
史的唯物論が、党中央の物神化させ、党員を信者とさせるための道具として用いられているというのが私の見解ですが、「護憲」や「福祉」や「労働者の党」というところに共感を抱いて活動していることもあるわけです。
「史的唯物論に確信が無い者は地区機関以上の役員であってはいけない」というのであれば、我が共産党は、ますます支持者や党員の高齢化に拍車をかけてしまう(いまでさえ「余命20年」と陰口を叩かれていますが)ことになると思いますが、いかがでしょうか。
また、民主集中制と史的唯物論を同列に批判することは、いかなる点で問題なのでしょうか。ご教授くだされば幸いです。