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史的唯物論に確信を 5 (ロム3殿へ)

2006/09/16 土方副長 20代 学生

 以前(8月1日、8月19日)、「史的唯物論」と「レーニン主義的党運営」(民主集中制)によって「科学」に名を借りた「カルト宗教的な党運営」がなされているという観点から、党内で「史的唯物論に確信を持」たねばならないとの「教育」が施されていることに疑問を呈する投稿をさせていただきました。

 この点につき、ロム3殿より、投稿(8月28日)をいただきました。

 大変勉強になる投稿をいただきありがとうございました。
 ロム3殿の投稿を(過去の分をいくつか)改めて拝見させていただくとともに、該投稿をありがたく読了させていただきました。

 ロム3殿の投稿を読んで、いくつか私自身の見解を補足しておこうと思います。若干、考えが変わった部分もあるかもわかりません。

 確かに、ロム3殿の指摘される通り、「生産力の変化によって、世の中の仕組みが変わってくる」という史的唯物論的に考えるならば、高度に発展した資本主義国でしか革命は起こりえないはずです。
 史的唯物論的には、レーニンの革命は成立しないはずなのに、レーニン主義が幅をきかせてしまった。考えさせられますね。

 まず、整理しておきたいのですが、史的唯物論の重要性は肯定いたします。
 観念論では世の中を変えていくことはできないでしょう。

 ロム3殿は、「40年ぐらい前の日本共産党では、史的唯物論を学んでいた」とおっしゃいますが、現在でも、党や勤労教では、「物の見方、考え方」という、哲学的な勉強をしております。
 ただ、不破氏の教祖化が進行するとともに、党の独習指定文献などが(マルエン、レーニンの本から不破本へと)変化していったように、思われます。
 私は、いつから哲学が省みられなくなったのか存じませんが、イデオロギーが先行する官僚的で人間味のない党というイメージは、不破氏によってつくられたということでしょうか。
 もっとも、近年では、不破氏の現実迎合主義は、「さざなみ論文」にもある通り、とどまるところを知りませんが。

 さて、本論に移ります。
 仮に、史的唯物論(あるいは唯物論)が正しいとしても、「唯物論者」が正しいとは限らないのではないでしょうか。
 「科学の目」を得意とする不破氏を例にとりますと、彼は理論的に正しいといえるでしょうか。彼の理論の変遷ぶりと党の私物化ぶりは「イタイ」といわざるを得ません。
 にもかかわらず、党内では、党中央独裁体制=不破独裁体制がとられています。
 そして、党員を信者とする道具として、以下の三段論法がとられていると思われるのです。

唯物論は、正しい
  ↓
(唯物論を理解している)唯物論者は、正しい
  ↓
党中央の構成員は唯物論者である
  ↓
よって、党中央は、正しい

 党中央の、正しさ、を担保するのが、「唯物論」や「科学」というレトリックであります。
 その「正しい」党中央に、無条件で盲従することを強いるのが、党内独裁を容認する「民主集中制」であるわけです。

 唯物史観を問題にしたのは不正確であり、若干、訂正と補足をいたします。
 唯物史観を問題にしたいというよりも、(唯物論を理解している、とりわけ党中央の)唯物論者は「科学の目」を持っており、間違えないがごとき幻想を党員に植え付ける、洗脳の手段として用いられていることが問題なのです。
 「正しい」党中央に、無条件で盲従することを強いることを、正当化するためのレトリックとして、「唯物論」(唯物論者)や「科学」というレトリックが用いられているからです。

 そういう意味において、「唯物史観」が、党中央を物神化させ、党員を信者とする道具として用いられている現状では、党内独裁を容認する「民主集中制」とともに、多様な価値観や人権を尊重する社会を守る観点から、これらを批判していかねばならないと考えているわけです。

 異論、反論は、心より歓迎いたします。